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◆マーチン(Martin) B-10/139WC 双発爆撃機
写真(上)1940-1941年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第28爆撃飛行隊マーチン(Martin)B-10 B 爆撃機(53)正面での部隊記念写真
:1932年2月16日初飛行、1940年までに348機(うち輸出182機)生産。第二次大戦参戦前のアメリカ国籍マークを左右主翼下面に描いている。
English: 28th Bombardment Squadron - group photo with Martin B-10B 35-258, Nichols Field, Manila, Philippines, 1938 Date 1938 Source http://mfcblog.alyoung.com/2012/12/1938-photograph-features-28th.html Author United States Army Air Corps Permission (Reusing this file) USGOV-PD
写真は Wikimedia Commons,  Category:Martin B-10 File:28th Bombardment Squadron - Martin B-10B 35-258.jpg引用。


写真(上)1935年、アメリカ領パナマ運河地区(Panama Canal Zone)、アメリカ陸軍航空隊第25爆撃戦隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機
:全幅 (21.49 m)、全長 (13.64 m)、翼面積 (21.49 m) m2、自重 (4,391 kg)、離昇重量 (6,668 kg)、 発動機ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp2基、最高速力 (343 km/h)、航続距離(2,000 km)、乗員3名。7.62 mm機関銃3丁、爆弾 (1,025 kg)。1940年までに348機量産。
English: 25th Bombardment Squadron B-10s Date 1935 Source USAF Author US Air Force Museum
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:25th Bombardment Squadron B-10s.jpg引用。


1.マーチンモデル123型(Martin Model 123)

写真(右)1932年2月16日以降、アメリカ、舗装滑走路上に待機する濃紺迷彩のマーチン(Martin)XB-907試作機の左側面:ライト(Wright)SR-1820-E空冷星型9気筒エンジン装備。機首ガラス風防はなく、操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットである。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれていない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005611 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機試作機原型がマーチンモデル123型(Martin Model 123)である。受領したアメリカ陸軍航空隊は、本機をXB-907と命名した。XB-907の発動機は、ライト(Wright)SR-1820-E空冷星型9気筒エンジン2基で、機首ガラス風防・銃座はなく、操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットである。

写真(右)1932年2月16日以降、アメリカ、舗装滑走路上に待機する濃紺迷彩のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)XB-907試作機の前方左側:1932年2月16日に初飛行したが、機首ガラス風防はなく、操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットである。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれていない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005682 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


マーチン(Martin)B-10の原型は、グレン・マーチン社(Glenn L. Martin Company)、すなわちマーチン社内でマーチンモデル123型(Martin Model 123)と名付けられた機体である。特徴は、引込み式降着装置(引込み式脚)、胴体下面の密閉式爆弾槽、全金属製骨格を採用したことで、当時としては斬新な技術を取り入れている。

写真(右)1934年、アメリカ、飛行中の濃紺迷彩のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機原型のマーチン(Martin)XB-907試作機:機首ガラス風防はなく、操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットである。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれていない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005609 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


マーチンモデル123型(Martin Model 123)はライト(Wright)R-1820-E空冷星型9気筒エンジン(排気量29.87L:1,823in³)を装備して1932年2月16日に初飛行し、アメリカ陸軍でXB-907として審査が開始された。陸軍による審査の後、XB-907はマーチン社に戻され、XB-10として開発されたが、これは改良型を一新したといった印象を持たせている。

写真(右)1932年2月16日、アメリカ、試験飛行中のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機原型のマーチン(Martin)XB-907試作機:機首ガラス風防はなく、操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットである。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描いていない。
16 February 1932: First flight, Glenn L. Martin Co. Model 123, designated XB-907 by the U. S. Army Air Corps. It was powered by two Wright Cyclone SR-1820-E engines rated at 600 horsepower, each. The engines were covered by Townend rings to reduce drag and improve cooling.The first group of 14 airplanes were designated YB-10. The YB-10 (Martin Model 139) had enclosed canopies for the pilot and top gunner, and a nose turret. The crew consisted of a pilot, radio operator and three gunners.
写真は ThisDayinAviation Tag Archives: Martin XB-907 16 February 1932引用。


写真(右)1934年、アメリカ、飛行機格納庫前に待機する濃紺迷彩のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)XB-907試作機の左発動機ライト(Wright)SR-1820-E空冷星型9気筒エンジン(排気量29.87L:1,823in³)600 hp (447 kW)と段差のあるエンジンカウリング(cowling):マーチン(Martin)B-10爆撃機初期型試作機で原型となった。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005610 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


マーチンモデル123(Martin Model 123は、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機の原型である。マーチン社からモデル123を受領したアメリカ陸軍航空隊は、新たにXB-907と命名して審査した。XB-907の発動機は、ライト(Wright)SR-1820-E空冷星型9気筒エンジン2基で、機首ガラス風防・銃座はなく、操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットである。この点は、のちのマーチン(Martin)B-10爆撃機の機首銃座、密閉式コックピット、NACA(国立航空工学専門委員会)が1927年に開発した円滑なエンジンカウリング(cowling)とは大いに異なっている。

ライト(Wright)R-1820-97空冷星型9気筒エンジンの諸元
ボア 6.125in (155.58mm)
ストローク 6.875in (174.63mm)
全長 48.23in (1,225.04mm)
直径 55.10in (1,399.54mm)
排気量 29.87ℓ (1,823in³)
乾燥重量 1,310lbs (594kg)
離昇出力 1,200Bhp/895kW/2,500rpm/S.L.

写真(右)1932年2月16日、アメリカ、斬新な濃紺塗装のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機原型のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)Martin XB-907A (XB-10) 試作機(33-139):機首ガラス風防があるが、これは当初のソリッド機首を改造したものである。操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットで、密閉式ではないのでYB-10とは異なる。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描いていない。
These airplanes were powered by two air-cooled, supercharged, 1,823.129-cubic-inch-displacement (29.876 liter) Wright Cyclone SGR-1820-F2 (R-1820-25) 9-cylinder radial engines with a compression ratio of 6.4:1, which were rated at 750 horsepower at 1,950 r.p.m. at Sea Level. The engines turned three-bladed Hamilton Standard adjustable-pitch propellers through a 16:11 gear reduction. The R-1820-25 was 3 feet, 11–13/16 inches (1.214 meters) long, 4 feet, 5-¾ inches (1.365 meters) in diameter, and weighed 1,047 pounds (475 kilograms).
写真は ThisDayinAviation Martin XB-907, right profile. (U.s. Air Force)引用。



2.マーチン(Martin)XB-10/YB-10 試作機

写真(右)1932年2月16日頃、アメリカ、試験飛行中のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機原型のマーチン(Martin)XB-10試作機:機首と胴体後上方に7.62mm(0.30インチ)M1919ブローニング機関銃各1挺を搭載した。操縦席も後方銃座も開放式である。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは、第二次大戦勃発時までは、描かれてはいない。
The prototype Martin XB-10 in flight. 1932. (U.S. Air Force)
写真は ThisDayinAviation 27 November 1933引用。


マーチン(Martin)XB-10試作機は、機首に7.62mm(0.30インチ)M1919ブローニング機関銃1挺装備の銃塔、胴体後上方に7.62mm機関銃座が設けられている。機首銃塔は、右に回転させ7.62mm機関銃の銃身を上に向けて固定している。銃身を上下するスリットから冷気が流入するのを防ぐためであろう。操縦席も後方偵察員席も開放式コックピットで、これはXB-907の特徴である。

写真(右)1933年、アメリカ、オハイオ州デイトン郊外リバーサイド(Riverside)、ライトフィールド基地、斬新な濃紺塗装のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機原型のマーチン(Martin)YB-10 試作機(33-140):アメリカ陸軍航空隊で審査されたので、主翼下面に右にU.S.,左にARMYと記入している。機首ガラス風防が設けられ、操縦席も後方偵察員席も開放式から密閉式のコックピットに改良された。ライトフィールド基地は、第一次世界大戦の操縦士、整備士の訓練基地として用いられたが、同時アメリカ陸軍航空隊の新型機や新兵器の実験・試験飛行のためにも使用された。現在は、ライト・パターソン空軍基地として依然として重要な役割を負っている。
Martin YB-10 33-140 at Wright Field, 1933. (U.S. Air Force) 060511-F-1234S-004
写真は ThisDayinAviation Martin XB-907, right profile. (U.s. Air Force)引用。


マーチン(Martin)XB-10試作機の先行量産型YB-10爆撃機は、XB-10試作機までの開放式の操縦席・偵察員(後上部銃座手)のコックピットを密閉式ガラス風防に改装している。

写真(右)1933年、アメリカ、オハイオ州デイトン郊外リバーサイド(Riverside)、ライトフィールド基地、濃紺塗装のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)YB-10試作爆撃機の真正面:胴体下面に、開閉式のドアで覆われた密閉式爆弾倉を設けたが、写真では爆弾扉は開いた状態である。機首ガラス風防を設け旋回機関銃用の銃座を設置。操縦席も後方偵察員席も開放式から密閉式コックピットに変更。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。
Martin YB-10. (U.S. Air Force) 060511-F-1234S-005 The bomber could carry two 1,130 pound (513 kilogram) bombs, or five 300 pound (136 kilogram) bombs in its internal bomb bay. Alternatively, a 2,000 pound (907 kilogram) bomb could be carried externally. There were three .30-caliber (7.62 mm) Browning M1919 machine guns for defense.
写真は ThisDayinAviation Martin YB-10. (U.S. Air Force)引用。


マーチン(Martin)YB-10試作爆撃機は、防御火器として機首と胴体後上方に7.62mm(0.30インチ)M1919ブローニング機関銃各1丁を搭載し、爆撃用の爆弾は、胴体下面に爆弾倉を設けて、開閉式のドアで覆った密閉式爆弾倉を設けた。これは、引込み式降着装置と並んで、飛行中の空気抵抗を減少させ、速力、航続力の向上に繋がった。

写真(右)1933年、アメリカ、オハイオ州デイトン郊外リバーサイド(Riverside)、ライトフィールド基地、濃紺塗装の胴体、黄色塗装の主翼のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)YB-10試作爆撃機の右後方:機首ガラス風防を設け旋回機関銃用の銃座を設置。操縦席も後方偵察員席も開放式から密閉式コックピットに変更。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。Martin YB-10, right rear quarter view. (U.S. Air Force)
The bomber could carry two 1,130 pound (513 kilogram) bombs, or five 300 pound (136 kilogram) bombs in its internal bomb bay. Alternatively, a 2,000 pound (907 kilogram) bomb could be carried externally. There were three .30-caliber (7.62 mm) Browning M1919 machine guns for defense.
写真は ThisDayinAviation Martin YB-10. (U.S. Air Force)引用。


写真(右):1934年7月19日、アメリカ、タンクローリーから燃料補給中と思われるマーチン(Martin)YB-10試作爆撃機(150):マーチン社の試作したマーチンモデル123型(Martin Model 123)を受けてアメリカ陸軍は双発爆撃機として使用するためにマーチン(Martin)YB-10 を試作させた。これをアメリカ陸軍航空隊がマーチン(Martin)B-10爆撃機として制式し、量産を決めた。
Martin YB-10 / B-10 Bomber Aircraft Being Serviced 8x10 Silver Halide Photo Print Photographer/Credit: U.S. Air Force / RMP Archive Photo Image Date: July 19, 1934 Image ID: NA195 Side view photo of a Martin YB-10 being serviced by ground crew. The YB-10, later designated the B-10, was the first bomber made completely of metal and was faster than any other aircraft in the world at the time of its production.
写真は 1995-2023 eBay Inc. The McMahan Photo Art Gallery and Archive AL-61 A and B Album Photo Images引用。



3.アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10爆撃機

写真(右)1934年、アメリカ、未舗装滑走路上に待機する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機初期型の右側面:機首ガラス風防は旋回機関銃の銃座になっている。国籍マークは、主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。しかし、胴体側面に国籍マークは描かれておらず、三角形の部隊マークが記入されている。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005664 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


新たなXB-10は、NACA(National Advisory Committee for Aeronautics)エンジンカウリング(cowling) の装備、発動機のライト(Wright)R-1820-19 サイクロン(Cyclone)675 hp (503 kW) への換装、全幅(主翼)の8フィート (2.4 m) の延長、機首の密閉式銃座の設置が改良点である。XB-10は、1932年6月の試験で高度 6,000 フィート(1,830 m)で最高速力317 km/h(197 mph)を記録した。

写真(右)1934年、アメリカ、未舗装滑走路上に待機する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機初期型の機首右側面:機首ガラス風防は旋回機関銃の銃座になっている。3翅金属プロペラにスピナーはついていない。胴体側面に国籍マークは描かれておらず、三角形の部隊マークが記入されている。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005663 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機の機首銃塔:機首ガラス風防は旋回機関銃の銃座になっている。左右に回転し上下に銃身を移動できるので射界は広い。ただし、1930年初頭なので、搭載されているのは.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング(Browning)旋回機関銃1挺のみで、第二次世界大戦時には火力としては弱かった。胴体は濃紺の塗装を施している。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005719 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12爆撃機の尾翼と後部:胴体は濃紺の塗装を施している。胴体後方に偵察員席があり、可動式ガラス風防で覆われている。ここには、手動人力で稼働する.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング(Browning)旋回機関銃1挺を搭載できる。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005710
Manufacturer: Martin
Designation: B-12
Official Nickname: Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


マーチン(Martin)B-10/B-12爆撃機は、機首のガラス風防で覆われた回転式銃塔があり.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング(Browning)旋回機関銃1挺を装備した。胴体後方の偵察員席は、可動式ガラス風防で覆われており、開閉可能で、ここには、.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング(Browning)旋回機関銃1挺が搭載されている。

第二次世界大戦勃発前なので、アメリカ軍機の国籍記章は、太平洋戦争勃発後の1942年春まで、主翼上下に青丸白星中央赤丸を描き、さらに垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いた。また、胴体後方側面に国籍記章は1930年代にはなかったが、のちになって、青丸白星中央赤丸の国籍記章が追加して記入された。1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止された。

写真(右)1934年、アメリカ、未舗装滑走路上に待機する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機初期型の機首左側面:機首ガラス風防は旋回機関銃の銃座になっている。3翅金属プロペラにスピナーはついていない。胴体下面の爆弾倉扉が折り畳まれて開放されている。引込み式降着装置も密閉式爆弾倉も当時の航空技術の最先端だった。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005661 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


XB-10は、高性能だったためアメリカ陸軍は、1933年1月17日に48機発注した。この初めの引き渡し分14機は、YB-10としてオハイオ州ライトフィールド基地に1933年11月から引き渡された。そして、陸軍航空隊航空便の任務に使用された。

1935年にアメリカ陸軍は、YB-10を103機追加発注したが、これが量産型B-10B爆撃機である。

写真(右):1934-1935年頃、アメリカ、ロングビーチ、アメリカ陸軍航空隊のマーチンB-10A爆撃機(Martin B-10):
Description Martin B-10 Long Beach 1938 Date 25 July 2008, 13:24
Source Martin B-10 Long Beach 1938
Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Martin B-10 File:Martin B-10 Long Beach 1938 (4800374631).jpg引用。


1930年にマーチン社は、自主開発で123型を試作、これは前金属製、胴体内に爆弾槽を設けた双発爆撃機だった。1932年3月にXB-907試作機が完成、最高速力317 km/hは当時としては高速だった。1933年に機首に機関銃座を設けたXB−907Aは、YB-10の名称で48機の発注がなされた。B-10は、アメリカ陸軍航空隊が採用した最初の全金属製単葉双発引込み脚を採用した新鋭爆撃機である。

写真(右)1934年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発爆撃機(13)(A.M.18):国籍マークとして垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。A.M.18とは、エアメール・18で、シカゴ=サンフランシスコ路線という。1934年に民間航空便の契約紛争があった時期に、アメリカ陸軍航空隊は、航空便を代行した。
A.M. 18 means Air Mail route 18 (Chicago–San Francisco). The Army flew the mail during a prolonged contract dispute in 1934 - and 12 pilots were killed doing it.。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005632 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発爆撃機(16)(A.M.ROUTE18):国籍マークとして垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。A.M.18とは、エアメール・ルート18で、シカゴ=サンフランシスコ路線という。1934年に民間航空便の契約紛争があった時期に、アメリカ陸軍航空隊は、航空便を代行した。
A.M. 18 means Air Mail route 18 (Chicago–San Francisco). The Army flew the mail during a prolonged contract dispute in 1934 - and 12 pilots were killed doing it.。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005656 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊爆撃飛行隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機(BG)の引込み式降着装置(引込み式脚)のクローズアップ:国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。機首側面には、剣で貫くイメージの部隊マークを描いている。第二次大戦後期、アメリカ爆撃機には、女性の姿など軍用機らしからぬ個別識別絵画(パーソナルマーキング)が描かれるようになるが、当初は、まじめな部隊マークだった。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005673 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年、アメリカ、濃紺に迷彩塗装されたアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機の正面:国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸を描いている。中翼式だが、これは胴体下面に密閉式爆弾倉を設けて膨らみがあったためである。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005635 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年7-8月、アメリカ、ワシントンD.C.、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10爆撃機の右主翼下面に立つヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)大佐(1886年6月25日 - 1950年1月15日) :オリジナル解説の「1905年」はB-10と映っているので誤記。
ハップ・アーノルドは、第一次大戦中、アメリカ参戦前の1915年に大尉でロックウェル基地の操縦訓練を受けた。
1917年8月、大佐(戦時)として新設の陸軍航空部に勤務。
1934年7月、マーチンB-10爆撃機10機編隊でワシントンDCを起点にアラスカのフェアバンクスまで7400マイルを往復飛行した。
1935年2月、准将に特進。
1942年3月、大将としてアメリカ陸軍航空軍司令官に就任。
English: Title: ARNOLD, H.H. COLONEL Abstract/medium: 1 negative : glass ; 8 x 10 in. or smaller
Date 1905
Source Library of Congress
Author Harris & Ewing, photographer
United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID hec.21658
写真はWikimedia Commons, Category:Henry H. Arnold File:ARNOLD, H.H. COLONEL LCCN2016862703.jpg引用。


1934年7月から8月にヘンリー・ハーレー・“ハップ”・アーノルド (Henry Harley "Hap" Arnold: 1886−1950)中佐は、新鋭マーティン(Martin)B-10双発爆撃機10機の編隊で、アメリカ東部ワシントンDCのボーリング基地(Bolling Field)からマーチンB-10爆撃機10機編隊でワシントンDCを起点にミネアポリス、ウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由しアラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)まで8,290マイル (13,340 km)の北アメリカ縦断往復飛行に成功した。

写真(右)ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10爆撃機の左主翼前方に立つ飛行服姿のヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)中佐:マーチン(Martin) B-10爆撃機10機を率いて、ワシントンD.C.ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)を発進、ミネアポリス、カナダのウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由しアメリカのアラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)まで8,290マイル (13,340 km)の北アメリカ縦断往復飛行に成功した。エンジンナセル後方に主輪を引込むことで、飛行中の空気抵抗が減少し飛行性能がを向上した。このような引込み式み降着装置は、1930年代にアメリカの双発高速輸送機から普及し始めたが、当初は軍用機、時に単発の戦闘機ではほとんど採用されていなかった。
SDASM Archives Follow Arnold, Henry Hap Catalog #: BIOA00219 Last Name: Arnold First Name: Henry Hap Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アラスカへ米国陸軍[マーチンB-10]爆撃機十台で編隊大飛行 : 空の防備強化七月上旬決行『大阪朝日新聞』 大阪朝日新聞 Vol: 第 32巻 Page: 198 出版年 1934-06-23
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/np/0100343990/

[写真(アーノルド [Henry Arnold]中佐)あり 省略]
【ワシントン二十一日発連合】米国陸軍は[1934年]七月上旬を期しアラスカのフェアバンクスに向け[マーチン(Martin) B-10]爆撃機十台から成る編隊大飛行を敢行するに決し二十一日右飛行計画を発表した今回の壮挙の目的は
 「訓練ならびに撮影飛行」と公称しているが海軍が今年[1934年]一月[コンソリデーテッド]爆撃飛行艇[Consolidated P2Y-1]六台の編隊飛行でサンフランシスコから太平洋上の前哨基地真珠湾まで航程二千四百マイルを一気に翔破したのと相呼応し応急出動の訓練を遂げ要衝地点に空の防備強化を計るものと見られる

米陸軍省発表の計画内容左の如し
 時期 七月上旬▲参加機 陸軍爆撃機[マーチン(Martin) B-10]十台▲参加将校指揮官 カリフォルニア州リヴァサイド飛行隊長ヘンリー・アーノルド [Henry Arnold]中佐、飛行将校二十名、下士一名▲コース ワシントンを起点としミネアポリス、ウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由(右各地に着陸)してアラスカのフェアバンクスに達する▲総飛行距離 七千三百三十五マイル▲飛行日数 五十日(アラスカへ米国陸軍[マーチンB-10]爆撃機十台で編隊大飛行 : 空の防備強化七月上旬決行引用終わり)

写真(右)ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10爆撃機の機首左側に立つ飛行服姿のヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)大佐の正面:マーチン(Martin) B-10爆撃機10機を率いて、ワシントンD.C.ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)を発進、ミネアポリス、カナダのウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由しアメリカのアラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)まで8,290マイル (13,340 km)の北アメリカ縦断往復飛行に成功した。中翼式で、胴体下面に膨らみをつけて密閉式爆弾倉を設けている。
SDASM Archives Follow Arnold, Henry Hap Catalog #: BIOA00218 Last Name: Arnold First Name: Henry Hap Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ヘンリー・“ハップ”・アーノルド (Henry "Hap" Arnold: 1886−1950)1934年7‐8月にマーチンB-10爆撃機10機編隊でワシントンDC、ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)からアラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)のマーチンB-10爆撃機10機編隊による北アメリカ縦断編隊飛行を成功させた功績で、1935年、マッキー・トロフィーを受賞した。

マッキー・トロフィー (Mackay Trophyは1911年1月に当時発展していた〒電子事業社(Postal Telegraph-Cable Company)社長クラレンス・マッケイ(Clarence Mackay)が創設し航空事業の成果を讃えるものである。1912年第1回受賞者は、ヘンリー・“ハップ”・アーノルド (Henry "Hap" Arnold)中尉で、バージニア州での偵察飛行競技での功績を讃えてのものだった。


図(上)1962年作成、アメリカ東部ワシントンD.C.、ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)からアラスカ州フェアバンクスまで、マーチン(Martin) B-10爆撃機10機編隊で北アメリカ大陸縦断往復飛行させたアメリカ陸軍航空隊ヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)中佐とクルーたち
:マーチン(Martin) B-10爆撃機は、胴体が濃紺、主翼がイエローと華麗な塗装だが、これは平時だったためである。搭乗員はブラウンの革製飛行服を着用しているが、第二次大戦中のボンバージャケットと類似しており、1930年代のカーキ色の革製ジャケットとは異なるようだ。
Title: "Hap Arnold and Crew-Flight from Washington, D.C. to Alaska" Accession Number:201911013 Object: Title: "Hap Arnold and Crew-Flight from Washington, D.C. to Alaska"; In 1934, Lt. Col. Hap Arnold of the Army Air Corps led a group of 10 planes from Washington D.C. to Fairbanks, Alaska to show the long-range ability of the new B-10 bomber; Artist: Herb Mott; Date: 1962 (original art), print: 1969; U.S. Air Force Art Collection -Image from the SDASM Curatorial Collection. This item is currently on display in the Museum Rotunda.--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ヘンリー・“ハップ”・アーノルド (Henry "Hap" Arnold)は、1935年3月に2階級特進で准将(Brigadier general)に昇進した。太平洋戦争勃発直後、1941年12月15日、中将に昇進。1942年3月、大将としてアメリカ陸軍航空軍司令官に任命された。1943年2月、カサブランカ会談に出席、その後中国を訪問している。

写真(右)1934年頃(?)、アメリカ、海上で待機するアメリカ海軍航空隊コンソリデーティッド(Consolidated) P2Y双発飛行艇:1929年1月10日初飛行、1941年には退役、生産機数78機。 乗員: 5名 全長: 61 ft 9 in (18.82 m) 全幅: 100 ft 0 in (30.48 m) 全高: 19 ft 1 in (5.82 m) 主翼面積: 1,514 sq ft (140.65 m2) 空虚重量: 12,769 lb (5,792 kg) 総重量: 25,266 lb (11,460 kg) 発動機: 2 × Wright R-1820-90 Cyclone空冷星形9気筒エンジン750 hp (559 kW)。
Description 7-P-2neg Date 2 January 2010, 14:47 Source 7-P-2neg Author Bill Larkins.
写真はCategory:Consolidated P2YFile:Boeing Y1B-9 test flight USAF p29.jpg引用。


アメリカ海軍は、1934年1月新鋭コンソリデーテッド(Consolidated) P2Y-1飛行艇6機編隊でほんと西岸サンフランシスコから太平洋上のハワイ諸島オアフ島真珠湾基地まで航程2,400 マイルの東太平洋横断飛行に成功した。このルートは、第二次世界大戦初期にボーイングB-17爆撃機の空輸に、太平洋戦争に参戦してからはB-24リベレーター爆撃機、B-29爆撃機の空輸に使用された。

写真(右)1931-1934年、アメリカ、海上を低空飛行するアメリカ海軍航空隊第10哨戒飛行隊コンソリデーティッド(Consolidated) P2Y-1双発飛行艇:標準で航続距離は、1,180マイル、 (1,899 km, 1,030ノーティカルマイルで、そのままではアメリカ東岸からハワイまでの最短距離2,390 マイル(3,850Km)を一気に飛翔することはできない。航続距離を延長するために、燃料タンクを増設し搭載燃料を倍増するなど、改造が必要だった。ただし、戦闘行動ではないので、防御火器や防弾装備は不必要であり、その装備の重量増加はなかった。
Description A U.S. Navy Consolidated P2Y-1 flying boat of Patrol Squadron VP-10F in flight. The four-star flag indicates that an admiral is on board. Date circa 1931-1934 Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 2004.114.018 Author U.S. Navy
写真はCategory:Consolidated P2Y File:Consolidated P2Y VP-10F in flight 1930s.jpeg引用。


コンソリデーティッド(Consolidated) P2Y コンソリデーティッド(Consolidated) P2Y双発飛行艇の諸元
搭乗員: 5名
全長: 61 ft 9 in (18.82 m)
全幅: 100 ft 0 in (30.48 m)
全高: 19 ft 1 in (5.82 m)
主翼面積: 1,514 sq ft (140.65 m2)
空虚重量: 12,769 lb (5,792 kg)
総重量: 25,266 lb (11,460 kg)
発動機: 2 × ライト(Wright)R-1820-90サイクロン(Cyclone)空冷星型9気筒エンジン750 hp (559 kW)
最高速力:149 mph (240 km/h, 129 kn)
巡航速力: 118 mph (189 km/h, 103 kn)
航続距離: 1,180 mi (1,899 km, 1,030 nmi)
実用上昇限度: 16,100 ft (4,265 m)
上昇率: 650 ft/min (3.3 m/s)
兵装: 3 × .30 in (7.62 mm) M1919ブローニング(Browning)旋回機関銃
爆弾:2,000 lb (910 kg)

写真(右)1934年、アメリカ、濃紺に迷彩塗装されたアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機"BIRD-O-PREYーXII"(100):"BIRD-O-PREY"とは、bird of preyすなわち「猛禽類」で鷲、鷹であるが、猛禽8号機、とは後年の女性中心のパーソナルマーキングとは大きく異なって、まじめな空軍風の命名である。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005689 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年、アメリカ、舗装滑走路に待機する濃紺に迷彩塗装されたアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機(200):国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。まだ平時なので、垂直尾翼の前半分にも明るい華麗な塗装を施している。遠方の山並みからすると、カリフォルニア州の飛行場であろうか。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005686 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右)1934年、アメリカ、飛行場上空を上昇飛行する濃紺に迷彩塗装されたアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機(225):飛行場の端には、有刺鉄線が張り巡らされているが、敷地内は荒れ地のようで、飛行場拡張をしたばかりのように見える。降着装置は引込み式だが、離陸したばかりなので、主輪は降ろされたままである。尾輪は固定式である。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005647 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


アメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10は、アメリカ軍が採用した初の引込み式降着装置を実用化した双発爆撃機である。降着装置を引込むのには、後年になっても、日本やソ連の機体では、手動滑車回転の人力操作だった。

写真(右)1934年、アメリカ、飛行場上空を上昇飛行する濃紺に迷彩塗装されたアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機(227):降着装置は引込み式だが、離陸したばかりなので、主輪は降ろされたままである。尾輪は固定式である。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005648 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


しかし、アメリカ機では、小型モーターやエンジン駆動の伝達機構で機械式に引き上げることができた。しかし、離陸は操縦士の緊張すると時であり、機械式でも主輪の引込みには時間を要するので、離陸したばかりの機体は、降着装置を下ろしたままにしている。他方、マーチン(Martin)B-10の尾輪は固定式である。

写真(右)1934年、アメリカ、飛行場の付近を飛翔する迷彩塗装されたアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機(227?):大規模な工場の上空を飛行しているが、降着装置が「下りたままなので、滑走路から離陸したばかりなのであろう。主翼下面にARMY陸軍と記入されている。降着装置は引込み式だが、離陸したばかりなので、主輪は降ろされたままである。尾輪は固定式である。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。機首に部隊マークが描かれている。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005651 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


米国爆撃機の欠陥を改装す : 米陸軍の工作命令『神戸又新日報』 第34巻 P.207  1934-11-29
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/np/0100344730/

サンフランシスコ二十七日発電 —アメリカ陸軍は西海岸新爆撃隊の改装を命じ目下リヴァサイドにある[マーチン(Martin)B-10]爆撃機三十六機は近く出発当地へ飛来し機体故障の欠陥除去の工作を受けることとなった、このため航空機一台宛の操縦士及び五百二十五名の一般乗組員、地上勤務員も近く当地へ集まることとなっている、右改装令命は去る十月二日キロにおいて一爆撃機[マーチン(Martin)B-10]が翼の故障のため墜落して以来機体構造に欠陥あることが発見され発令されたものである(引用終わり)

写真(右)1936-1939年、アメリカ、舗装滑走路で待発進準備中と思われるアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10双発爆撃機(23):操縦席コックピットの側方ガラス風防は後ろに下げて開放されている。他方、偵察員席コックピットガラス風防は前方に押して開放されている。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005667 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives引用。


写真(右)1935年、フィリピン、ルソン島上空を低空飛行するアメリカ陸軍航空隊第28爆撃飛行隊所属のマーチン(Martin)B-10 B 爆撃機(57):Martin B-10B 28BS Philippines Nov39 [USAF 30193 AC] 方位測定用の環状ループアンテナを胴体中央上面に取り付けている。迷彩塗装はせず無塗装である。主輪は引込み式だが、密閉収納ではなく、主輪は外から見えている。
Martin B-10B of the 28th Bombardment Squadron, US-Bomber 1935 USAF photo of Martin B-10B in flight, collected from http://www.maxwell.af.mil/au "The Maxwell AFB Web site is provided as a public service by the 42nd Communication Squadron. Information presented on the Maxwell Web Site is considered public information and may be distributed or copied. Use of appropriate byline/photo/image credits is requested."
写真はInstitute of Museum and Library Services Category:Martin B-10 File:Martin-B-10B.jpg引用。


マーチン社は原型として、爆撃機試作機XB-907を試作し、1932年2月16日に初飛行させた。そして、1932年3月にXB-907試作機は、最高速力317 km/hをだした。これは当時としては高速で、当時のアメリカ戦闘機よりも早かったため、高速爆撃機として注目を浴びた。1933年に機首に機関銃座を設けたXB−907Aが、マーチン(Martin) YB-10の名称で、アメリカ陸軍により、48機が発注された。


写真(上)1940年12月以前、アメリカ、カリフォルニア州オークランド、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10BM 爆撃機(9-35P)
::第35追撃(戦闘)飛行隊に派遣され、単発戦闘機の迎撃訓練に敵機役として使用された。機体側面に足掛け3か所は場所を示す識別色で囲まれている。胴体中央上面に方位測定用の環状ループアンテナが装備。
Description The rare late markings for a B-10 that is usually seen in blue and yellow. This was an aircraft assigned to the 35th Pursuit Group visiting Oakland Airport in late 1940. Date 13 December 2008, 10:49 Source Martin B-10BM Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:25th Bombardment Squadron B-10s.jpg引用。


写真(右):1933-1935年頃、アメリカ、飛行試験中と思われるマーチン(Martin)B-10B爆撃機:アメリカ製マーチンMartin B-10B爆撃機は、輸出型をMartin 139Wと呼称し、オランダと中国に輸出された。
AL61A-515 Martin B-10 Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives AL-61 A and B Album Photo Images引用。

最初のマーチン(Martin) YB-12試作機は、1934年4月に完成し、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)(排気量29.87L)800 hp をプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690ホーネット(Hornet)(排気量27.7 L)789 hpに換装したが、YB-12の最高速力は、マーチン(Martin) B-10Bよりも時速5マイル(8km)程度早かった。しかし、新モデルB-12は、B-10とほとんど変わるところがなかった。形状の上では、B-12は、B-10と異なってエンジンナセルの側面に、潤滑油冷却器空気取入れ口(oil cooler intake)がついているので識別できる。

写真(右)1936年1月28日、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ、建設中のゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge:金門橋)上空を編隊飛行するアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機(131と132)の2機編隊:第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている
Author Unknown author or not provided Record creator War Department. Army Air Forces. 6/20/1941-9/26/1947 Title California - San Francisco Date 1917 – 1964 Collection National Archives and Records Administration National Archives at College Park - Archives II (College Park, MD) Record ID National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 23935577
写真はInstitute of Museum and Library Services Category:Martin B-10 File:California - San Francisco - NARA - 23935577.jpg引用。


サンフランシスコ湾にかかるのゴールデン・ゲート・ブリッジGolden Gate Bridge:金門橋)設は1933年1月5日に建設が始まり、1937年4月19日に完成した。橋の主塔の高さは海抜227メートルある。

写真(右)1936年1月28日、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ、上空を編隊飛行するアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機(131と132)の2機編隊:左遠方には建設中のゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge:金門橋)が見える。第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている
Author Unknown author or not provided Record creator War Department. Army Air Forces. 6/20/1941-9/26/1947 Title California - San Francisco Date 1917 – 1964 Collection National Archives and Records Administration National Archives at College Park - Archives II (College Park, MD) Record ID National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 23935575.
写真はInstitute of Museum and Library Services Category:Martin B-10 File:California - San Francisco - NARA - 23935575.jpg引用。


写真(右):1932-1935年頃、アメリカ、飛行中のマーチン(Martin)B-10B爆撃機
AL61A-460 Martin B-10B
Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club.
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives AL61A-460 引用。


マーチン(Martin) B-10爆撃機の初めての量産型が、B-10B爆撃機で,これは試作テストしたYB-10とほど同じだった。全長44 feet 9 inches (13.640 m)、全幅(wingspan)70 feet 6 inches (21.488 m)、全高 15 feet 5 inches (4.670 m)で、空虚重量 9,681 pounds (4,391 kg)。搭載発動機はライト・サイクロン(Wright Cyclone) SGR-1820-F3 (R-1820-33)で海面上で700馬力、毎分1,950回転、B-10Bの巡航速度(cruising speed)は、時速193 miles(311 km)、最高速力 213 miles (343 km)/10,000 feet (3,048 m)だった。

写真(右):1934年以降、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12A偵察爆撃機(6)とその奥に整列した3機のノースアメリカン(North American) O-47A偵察機(1,2,3、6):第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。次の写真に写っているマーチン(Martin)B-12偵察爆撃機と同じ。
Martin, B-12A
Catalog #: 01_00091081
Additional Information: USA, North American O-47A observation aircraft in background
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091081引用。


1933年1月17日、アメリカ陸軍は48機のマーチン・モデル(Martin Model)139単葉爆撃機(monoplane bomber)を発注し、この中で合計32機がYB-12とB-12A(7機がYB-12、25機がB-12A)である。この両機の差異は、搭載エンジンの種類で、YB-10の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney:P&W)R-1690-11空冷星形エンジン「ホーネット」(Hornet)でマーチン(Martin) B-10爆撃機は、ライト(Wright)社の空冷星形エンジン「サイクロン」(Cyclones)である。

写真(右):1934年以降、アメリカ、格納庫の中でアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12A偵察爆撃機とその手前に整列したノースロップ(Northrop)A-17A軽爆撃機:いずれの機体も、第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで)の国籍マークとして、左右主翼上下に青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。
Northrop, A-17A
Additional Information: USA, With a Martin B-10 bomber behind Tags: Northrop , A-17A
Catalog #: 01_00091115
写真はFlickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091115引用。


アメリカ軍の国籍マーク変遷
第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで:青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”

写真(右)1934年、アメリカ、離陸途上の滑走中に尾輪が滑走路から離れたアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発爆撃機(44)の右側面:操縦席と偵察員席のコックピットの搭乗員がよく見える。機首に部隊マークを描いている。エンジンカウリングが二色分割塗装がされている。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれていない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005678
Manufacturer: Martin Designation: B-10
Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


写真(右):1933-1935年頃、アメリカ、舗装滑走路上で左右のエンジン稼働中のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機(66):アメリカ製マーチンMartin B-10B爆撃機は、輸出型をMartin 139Wと呼称し、オランダと中国に輸出された。
Martin, B-10B
Catalog #: 01_00091079
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091079引用。


1930年代初め、アメリカのマーチン社は、後にマーチン(Martin) B-10爆撃機となる原型をマーチン・モデル123(Martin Model 123)として開発したが、これは全金属製、引込み脚、単葉、張線や支柱のない片持ち単葉(一枚主翼)の斬新な設計の双発爆撃機だった。そして、マーチン社は1932年2月に原型として、爆撃機試作機XB-907を試作し、1932年3月にXB-907試作機は、最高速力317 km/hをだした。

写真(右)1941年12月以前、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B双発爆撃機(66)の右側面:機首に部隊マークを描き、エンジンナセル外側と垂直尾翼に機体番号"66"を記入している。
Martin, B-10B Title: Martin, B-10B Catalog #: 01_00091080 Corporation Name: Martin Designation: B-10B Additional Information: USA Tags: Martin, B-10B Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons SDASM Archives 引用。


アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10B双発爆撃機は、1932年2月16日に原型試作機が初飛行し、1940年までに348機が量産された。しかし、アメリカ陸軍の採用は半数で、残り半数はオランダ軍、中国軍に売却されている。

写真(右):1933-1935年頃、アメリカ、滑走路エプロン上で待機中のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機(142):アメリカ製マーチンMartin B-10B爆撃機は、輸出型をMartin 139Wと呼称し、オランダと中国に輸出された。
AL61A-459 Martin B-10B Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091079引用。


最高速力317 km/hを出したマーチン・モデル123(Martin Model 123)は当時としては高速で、当時のアメリカ戦闘機よりも早かったため、高速爆撃機として注目を浴びた。1933年に機首に機関銃座を設けたXB−907Aが、YB-10の名称で、アメリカ陸軍により、48機が発注された。

写真(右):1933-1935年頃、アメリカ、未舗装滑走路上で待機中のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機(22)の左側面:この機体は、垂直尾翼前部と主翼前縁に、機体番号"22"を記入している。アメリカ製マーチンMartin B-10B爆撃機は、輸出型をMartin 139Wと呼称し、オランダと中国に輸出された。
Martin, B-10B
Catalog #: 01_00091079
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


アメリカ軍の国籍マークは、 第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。しかし、戦時には目立ちすぎるマーキングだったので、1941年12月の太平洋戦争参戦後は、星中央の赤丸、赤白ストライプは廃止された。

写真(右):1933-1935年頃、アメリカ、未舗装滑走路上で待機中のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機(22)の左側面:この機体は、垂直尾翼前部と主翼前縁に、機体番号"22"を記入している。民間人への公開中なのか、機体の前を歩く人物と、コックピット操縦席外側に腰かけている飛行服の搭乗員の対比が面白い。
Martin, B-10B
Catalog #: 01_00091079
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


写真(右):1933-1935年頃、アメリカ、舗装滑走路上でエンジンを駆動し3翅プロレペラを回転しているのアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機(216)の右側面
Martin : B-10 : Catalog #: 00005630 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091079引用。


アメリカ陸軍マーチン(Martin) B-10爆撃機の量産は、1934年からで、陸上用の車輪式降着装置を撤去して、水上用の双フロート(浮舟)を装着した水上爆撃型のB-12も試作された。

写真(右)1934年、アメリカ、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機(230):国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。まだ平時なので、垂直尾翼の前半分にも明るい華麗な塗装を施している。遠方の山並みからすると、カリフォルニア州の飛行場であろうか。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005644 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


アメリカ軍の国籍マーク変遷
第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで:青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

写真(右):1937年2月、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機
Title: Martin, B-10B爆撃機(73,75,76,77,78など)の戦列
Catalog #: 01_00091078
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091078引用。

 アメリカ陸軍で初めての全金属製単葉双発爆撃機としてマーチン(Martin) B-10を制式したが、オランダ、中国、アルゼンチン、トルコへの輸出仕様マーチン139Wが生産された。オランダ向けは、マーチン139WH、中国向けはマーチン139WCと区別し、いかにも購入国に配慮したような名称と、上手な売り込みを図っている。なんといっても、アメリカ陸軍航空隊が採用しているのであるから、その爆撃機は優秀であるに違いない、というイメージであろう。

写真(右):1932-1935年頃、アメリカ、マーチン(Martin)B-10爆撃機:試験飛行中なのか主輪を引き込まないまま安全飛行をしている。マーチンB-10爆撃機の初めての量産型が、B-10B爆撃機で,これは試作テストしたYB-10とほど同じだった。全長44 feet 9 inches (13.640 m)、全幅(wingspan)70 feet 6 inches (21.488 m)、全高 15 feet 5 inches (4.670 m)で、空虚重量 9,681 pounds (4,391 kg)。搭載発動機はライト・サイクロン(Wright Cyclone) SGR-1820-F3 (R-1820-33)で海面上で700馬力、毎分1,950回転、B-10Bの巡航速度(cruising speed)は、時速193 miles(311 km)、最高速力 213 miles (343 km)/10,000 feet (3,048 m)だった。
Martin B-10B
Catalog #: 00005627
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00005627引用。


写真(右):1932-1935年頃、アメリカ、主輪を引き込まないまま安全飛行をするマーチン(Martin)B-10爆撃機:飛行中に降着装置を引込んだようで、高速飛行中に引込み式降着装置の作動実験をしたのであろうか。
Martin B-10B
Catalog #: 00005654
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。

マーチンモデル123(Martin Model 123)は、アメリカ陸軍のXB−907Aの原型となった。軍用機として、機首に機関銃座を設けたのが、XB−907Aで、アメリカ陸軍は1933年に48機をマーチン社に発注した。こうして、アメリカ陸軍マーチン(Martin) B-10爆撃機の量産が開始されたのである。

写真(右):1940年、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊マーチン B-10爆撃機(115)
pictionid56896245 - catalogbd martin b-10 12 14 13.jpg - title--bd martin b-10 12 14 -- - filenamebd martin b-10 12 14 13.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives pictionid56896245引用。

マーチン(Martin) B-10爆撃機 マーチン(Martin) B-10爆撃機の諸元
搭乗員 4名
全長: 13.63 m
全幅: 21.60 m
全高: 3.48 m
翼面積: 63.4 平方メートル
全備重量: 7,460 kg(14,700 lbs)
発動機:ライト(Wright)R-1820-33サイクロン(Cyclone)空冷星型9気筒エンジン 775馬力2基
最高速力: 343 km/h(215 mph)
実用上限高度:7,365 m
航続距離: 1,996 km
爆弾搭載量 1,050 kg(2,200 lbs)
兵装:7.62ミリ(.30-cal.)ブローニング機関銃 3挺

写真(右):1940年、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ東20キロ、オークランド飛行場、アメリカ陸軍航空隊第91偵察中隊のマーチン B-10B偵察爆撃機:機体表面の金属外皮を留めるリベットが明瞭に映っている。胴体可能の爆弾倉の開閉式扉も確認できる。夜間のフラッシュ撮影には、2k所のゼネラルエレクトリック社製の大型照明器を準備したが、このような夜間撮影は1930年代では珍しかった。
Description This is a rare and unusual photo taken with two of the large GE #21 flash bulbs on a time exposure. It really shows the underwing detail and all of the rivets that you don't see in a normal daytime photo. B-10 of the 91st Observation Squadron at Oakland Airport 1940
Date 13 December 2008, 10:48
Source Martin B-10BM Night flash photo
Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Martin B-10 File:Martin B-10BM Night flash photo (6439669813).jpg引用。

マーチンB-10爆撃機は、増加試作まで当初ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形エンジン(675hp)を搭載していたが、量産型のマーチンB-10B爆撃機は、カーチスR-1820-33エンジン(775hp)と若干馬力を強化して、100機以上生産された。ライトR-1820サイクロンのR1820とは、エンジン排気量(シリンダー容積:Displacement)が 1,823立方インチ (29.88 L)であることからきている。ただし、YB-12として、エンジンをライト社ではなく、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney:P&W)社のR-1690「ホーネット」空冷星形エンジン(775hp)に換装した機体も30機程度若干生産されている。これがB-12A偵察爆撃機で、爆撃型YB-12の胴体下面の爆弾倉を追加燃料タンクとして、航続距離を延長した。

写真(右):1934年以降、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12 偵察爆撃機とその前に整列した飛行搭乗員が整列し、自動車でやってきた将校の検閲を受けている。:次の写真に写っているマーチン(Martin)B-12偵察爆撃機と同じ、髑髏の海賊風のマークを機首に描いている。
Martin B-12
Martin : B-12 :
Catalog #: 00005729
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00005729引用。

1933年1月17日、アメリカ陸軍は48機の マーチン・モデル(Martin Model)139単葉爆撃機(monoplane bomber)を発注し、この中で合計32機がYB-12とB-12A(7機がYB-12、25機がB-12A)である。この両機の差異は、搭載エンジンの種類で、YB-10の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney:P&W)R-1690-11空冷星形エンジン「ホーネット」(Hornet)で、B-10爆撃機は、ライト(Wright)社の空冷星形エンジン「サイクロン」(Cyclones)である。

写真(右):1934年以降、アメリカ、髑髏の海賊風のマークを機首に描いているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12 偵察爆撃機(129)とその前に整列した飛行搭乗員:海上に不時着した場合に備えて、ライフジャケットを着て、航空用に酸素吸入装置を付けている。
Martin B-12
Martin : B-12 :
Catalog #: 00005714
写真はFlickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00005714引用。

最初のマーチンYB-12試作機は、1934年4月に完成し、ホーネットエンジンの出力が高かったために、YB-12の最高速力は、B-10Bよりも時速5マイル(8km)程度早かった。しかし、新モデルマーチンB-12は、B-10とほとんど変わるところがなかった。形状の上では、B-12は、B-10と異なってエンジンナセルの側面に、潤滑油冷却器空気取入れ口(oil cooler intake)がついているので識別できる。

写真(右):1934年以降、アメリカ、髑髏の海賊風のマークを機首に描いているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12 偵察爆撃機(129)の左側面:舗装飛行場で待機する機体の機首側面に髑髏のマーク、胴体後方側面に機体番号129が白縁つきで記入されている。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005716 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname:
写真はFlickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00005714引用。

マーチンB-12Aは、胴体下部の爆弾槽(bomb bay)に256米ガロン(960L)の追加燃料タンク(extra fuel tank)を設けて、通常の燃料搭載量よりも、226米ガロン(850L)追加増量できるので、それだけ航続距離を伸ばすことができた。

写真(右):1934年以降、アメリカ、舗装滑走路で車輪止めをしてエンジンを稼働しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12 偵察爆撃機(132)の左側面:機首側面に髑髏のマーク、胴体後方側面に機体番号132が白縁つきで記入されている。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005728 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00005714引用。

マーチンB-10爆撃機の原型マーチンモデル123(Martin Model 123)は、機首に機関銃座を設けたXB−907Aとして爆撃機としての装備を整えた。そして、アメリカ陸軍から1933年に48機の発注を受けたのである。こうしてアメリカ陸軍はマーチンB-10爆撃機の部隊配備を進めた。

写真(右):1937年頃、舗装滑走路上で待機ステイるアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機(132)の左後方:アメリカ軍の国籍マークは、第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。しかし、1941年12月の参戦後は、敵から目立ちやすいとして、1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止された。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005681 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, SDASM Archives 引用。

写真(右)1941年12月以前、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第5爆撃飛行隊マーチン(Martin)B-10双爆撃機:アメリカ軍の国籍マークは、第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭1942年春までは、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
Martin B-12. Image taken from the National Museum of the USAF official website
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:Martin B-12 parked.jpg引用。


1932年2月16日初飛行のマーチン(Martin)B-10爆撃機の競争相手のボーイング社のモデル215(YB-9)は、金属製ではあったが、固定脚で、開放式コックピットの機体だった。他方、マーチンB-10は引込み脚、密閉式コックピットで、航続距離も1400マイル、最高速力も時速207マイルで、22マイル以上も早かった。アメリカ陸軍はすぐに14機のB-10を発注した。

写真(右)1940年12月以前、アメリカ、カリフォルニア州オークランド、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発爆撃機(9-35P):第35追撃(戦闘)飛行隊に派遣され、単発戦闘機の迎撃訓練に敵機役として使用された爆撃機であろう。機体側面に足掛け3か所があり、周囲は場所を示す識別色で囲まれている。胴体中央上面に方位測定用の環状ループアンテナが装着されている。
The rare late markings for a B-10 that is usually seen in blue and yellow. This was an aircraft assigned to the 35th Pursuit Group visiting Oakland Airport in late 1940. Date 13 December 2008, 10:49 Source Martin B-10BM Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:Martin B-10BM (6439669867).jpg引用。


写真(右)1940年12月以前、アメリカ、フロリダ州中部西岸、サラソータ、ローフィールド飛行場、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10爆撃機:初飛行は、1932年2月16日。B-10はアメリカ陸軍航空軍が採用した最初の全金属製単葉引込み脚採用の双発爆撃機である。
IMAGE NUMBER MJD0139 Michael Drake collection GEOGRAPHIC TERM Sarasota County (Fla.) Lowe Field (Sarasota, Fla.) Airplanes, Military Propeller-driven aircraft Bombers B-10 (Bomber) Martin airplanes PERSONAL SUBJECTS Shallat, Jack Accompanying note: "The donor, Michael J. Drake, received this photo from Jack Shallat."
写真はInstitute of Museum and Library Services Florida Memory IMAGE NUMBER MJD0139引用。



写真(上):1935年頃、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス西方、マーチ・フィールド基地舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機(200)
:この機体は、主翼前縁が明るい塗装に変更されて、機体番号"200"を記入している。
AL61A-457 Martin B-10B March Field Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


写真(右):1935年頃、アメリカ、未舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10 B爆撃機の右側面:この機体は、垂直尾翼前部と主翼前縁が明るい塗装に変更されている。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005669 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


原型が1932年2月16日に初飛行したマーチン(Martin)B-10はアメリカ陸軍航空軍が採用した最初の全金属製単葉引込み脚採用の双発爆撃機である。

写真(右):1935年頃、アメリカ、未舗装滑走路で発動機を駆動しプロペラを回転しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機の右側面:アメリカ軍の国籍マークは、 第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。この機体は、垂直尾翼前部が明るい塗装に変更されている。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005637 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname:
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


写真(右):1935年頃、アメリカ、飛行機格納庫まえの未舗装エプロン上で発動機を駆動しプロペラを回転しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B爆撃機の右側面:B-10爆撃機の搭載した発動機はライト・サイクロン(Wright Cyclone)SGR-1820-F3 (R-1820-33)700馬力、毎分1,950回転、B-10Bの巡航速度(cruising speed)は時速193 miles(311 km)、最高速力 213 miles (343 km)/10,000 feet (3,048 m)だった。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005691 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


写真(右):1934年以降、アメリカ、未舗装滑走路でエンジンを停止して待機中のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12 偵察爆撃機(71)の左側面:主翼下面には右にU.S.、左にARMYと記載されているようだ。
SDASM Archives Follow Martin : B-12 : Catalog #: 00005704 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00005714引用。

写真(右)1940年12月以前、アメリカ、滑走路脇の上で3翅プロペラを回転させ離陸準備をしているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12爆撃機(110)の右側面:コックピット操縦席、偵察員席に搭乗者が乗っており、スライド式のガラス風防を占めている。発進、離陸準備が成ったようだ。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005697 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


写真(右)1940年12月以前、アメリカ、滑走路脇の未舗装のエプロンで駐機しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12爆撃機(111):主翼下面が地面とロープでつながれているが、これは強風に煽られないようにするための留め金である。アメリカ軍の国籍マークは、 第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。この機体は、垂直尾翼前部が明るめの色に塗装に変更されている。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005699 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


写真(右)1940年12月以前、アメリカ、滑走路脇の未舗装のエプロンで駐機しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12爆撃機(111):主翼下面が地面とロープでつながれているが、これは強風に煽られないようにするための留め金である。アメリカ軍の国籍マークは、 第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。この機体は、垂直尾翼前部が明るめの色に塗装に変更されている。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005699 Manufacturer: Martin Designation: B-12
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


写真(右):1933-1935年頃、アメリカ領パナマ運河地帯、飛行機格納庫前のエプロンに並んだアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10A 爆撃機:アメリカ軍の国籍マークは、 第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。垂直尾翼前部が明るい塗装に変更されて、そこに部隊記号が記入されている。
SDASM Archives Follow Ray Wagner Collection Image PictionID:46166227 - Catalog:16_007717 - Title:Martin B-10A Panama Canal Zone - Filename:16_007717.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。

1903年11月3日、コロンビア北部の領土だったパナマがコロンビアから独立したが、これはパナマ運河のアメリカに建設、独占のためだった。アメリカは、独立させたパナマと同1903年11月18日にパナマ運河条約を締結し、アメリカが建設するパナマ運河地帯(Panama Canal Zone)を永久租借したのである。

写真(右):1933-1935年頃、アメリカ領パナマ運河地帯、エンジンを駆動し編隊飛行するアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10A爆撃機の左後方側面と僚機の右主翼:両機とも、第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで)の国籍マークとして、左右主翼上下に青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46166240 - Catalog:16_007718 - Title:Martin B-10A Panama Canal Zone - Filename:16_007718.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。

第一次世界大戦の勃発時、1914年8月15日、パナマ運河が開通したが、パナマ運河とその両岸はアメリカの管轄、主権の下に置かれたのである。

写真(右):1933-1935年頃、アメリカ領パナマ運河地帯、エンジンを駆動し3翅プロレペラを回転して飛行するアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10A爆撃機(107)の右側面:アメリカ軍の国籍マークは、 第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだった。この機体は、垂直尾翼前部と主翼前縁が明るい塗装に変更されて、機体番号"107"を記入している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46166215 - Catalog:16_007716 - Title:Martin B-10A Panama Canal Zone - Filename:16_007716.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091079引用。

1903年11月18日、アメリカはパナマ運河条約Convention for the Construction of a Ship Canal)、別名ヘイ=ブーナウ=バリッリャ条約(Hay–Bunau-Varilla Treaty)によって、パナマよりパナマ運河の両岸を租借し、アメリカ海外領土とした。これが、パナマ運河地帯である。

写真(右):1936年6月23日、アメリカ領パナマ運河地帯、エンジンを駆動し3翅プロレペラを回転して飛行するアメリカ陸軍航空隊第7偵察飛行隊(7RS)マーチン(Martin) B-10A爆撃機(73):この機体は、垂直尾翼前部と主翼前縁が明るい塗装に変更されて、機体番号"73"を記入している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46166265 - Catalog:16_007720 - Title:Martin B-10B 7RS 73 Panama 23Jun36 [USAF] - Filename:16_007720.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。

その後、1977年の新パナマ運河条約で、パナマ運河地帯の主権はパナマに返還されたが、運河地帯の一部はアメリカ軍基地と軍関係者居住地区がアメリカの管理地区として残った。1999年12月31日、全てのパナマ運河地帯はパナマに返還された。

写真(右):1936年6月23日、アメリカ領パナマ運河地帯、エンジンを駆動し3翅プロレペラを回転して飛行するアメリカ陸軍航空隊第7偵察飛行隊(7RS)マーチン(Martin) B-10A爆撃機(73):この機体は、垂直尾翼前部と主翼前縁が明るい塗装に変更されて、機体番号"73"を記入している。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005722 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。

写真(右):1933-1935年頃、、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊第9爆撃飛行隊(9BG)マーチン(Martin)B-10B 爆撃機(BI 23)の右側面
SDASM Archives Follow Ray Wagner Collection Image PictionID:46166152 - Catalog:16_007711 - Title:Martin B-10B 9BG BI23 - Filename:16_007711.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


写真(右)1941年12月以前、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第9爆撃飛行隊(9BG)マーチン(Martin)B-10B双発爆撃機(174)の右側面:機首の”IX”は第9爆撃飛行隊(9BG)の部隊マークであろう。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46166152 - Catalog:16_007711 - Title:Martin B-10B 9BG BI23 - Filename:16_007711.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons SDASM Archives 引用。


アメリカ陸軍航空隊第9爆撃飛行隊は、1941年12月7日の日本海軍のハワイ空襲の時にもハワイ方面に配備されていた航空兵力だった。しかし、日本機の奇襲を受け、敵情もわからないままだったために、爆撃機、攻撃機による反撃はできず、戦果はなかった。

写真(右)1941年12月以前、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10B双発爆撃機(178)の左側面:1932年2月16日に初飛行し、1940年までに348機が量産された。日本軍のハワイ空襲の時も配備されていたが、戦果はなかった。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005684 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons SDASM Archives 引用。


1932年2月16日に初飛行したアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発爆撃機のは、1940年までに348機が量産された。ただし、アメリカ軍に配属されたのは半数で、残りはオランダ軍、中国軍に引き渡されている。歴史的には、九州夜間空襲という日本本土初空襲を成功させたことで、実戦の戦果をあげている。

写真(右)1934年、アメリカ、草だらけの滑走路エプロンに待機する濃紺迷彩のアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発爆撃機(178)左側面:機首にではなく、エンジンカウリング外側に部隊マークを描いている。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれていない。
Martin : B-10 : Catalog #: 00005683 Manufacturer: Martin Designation: B-10 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。


1930年代初め、アメリカのマーチン社は、後にマーチンB-10爆撃機となる原型をマーチン・モデル123(Martin Model 123)として開発したが、これは全金属製、引込み脚、単葉、張線や支柱のない片持ち単葉(一枚主翼)の斬新な設計の双発爆撃機だった。

写真(右)1941年12月以前、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島上空を飛行するアメリカ陸軍航空隊第5爆撃飛行隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機(4):1932年2月16日に初飛行し、1940年までに348機が量産された。日本軍のハワイ空襲の時も配備されていたが、戦果はなかった。
English: Photo of a Martin B-10 variant of the 23d Bombardment Squadron taken in 1941 over Oahu, Hawaii. Date 1941 Source Self-photographed Author Harold Wahlberg
写真はWikimedia Commons SDASM Archives Category:5th Bombardment Group (United States Army Air Forces)引用。



写真(上)1936-1940年頃、アメリカ、ハワイ諸島、大戦参戦前の国籍マークを描いたアメリカ陸軍第9爆撃飛行隊ダグラス(Douglas) B-12 偵察爆撃機

10_0027351 Personnel: 23rd Bomb SQD. Inspection of Gen. Drum Lukefilld, Hawaiin Islands 1933.-Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons, SDASM Archives File:Douglas RB-23.jpg引用。



写真(右)1940年12月以前、アメリカ、カリフォルニア州オークランド、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10 B 双発爆撃機の右側面
::引込み式降着装置、密閉式爆弾倉は、アメリカ双発機として初の採用だった。胴体中央上面に方位測定用の環状ループアンテナを設置。国籍マークは、第二次世界大戦前から太平洋戦争初頭の1942年春まで主翼上下に青丸白星・中央赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプだが、胴体側面にも青丸白星・中央赤丸の国籍記章は第二次大戦直前の採用で、B-10爆撃機では珍しい。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46166126 - Catalog:16_007709 - Title:Martin B-10B - Filename:16_007709.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr. SDASM Archives引用。



4.アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12水上爆撃機

写真(右)1940年12月以前、アメリカ、水上機基地、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12水上爆撃機: 発動機にはライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp (578 kW)2基を装備しているが、降着装置は主輪も尾論も撤去されて、フロート浮舟が左右に装備されている。
sdasm image pictionid56896954 - catalogbd martin b-10 12 14 37.jpg - title--bd martin b-10 12 14 -- - filenamebd martin b-10 12 14 37.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum--------Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


1931年1月から、アメリカ陸軍は、アメリカ本土防衛のために海岸線を防衛する任務も担っており、アメリカ陸軍は、数機のB-12Aを改造して、巨大な双フロート(float)を付けて、水上で離発着できるB-12A水上機を試作し、1935年8月24日に完成させている。


写真(上)1940年12月以前、アメリカ、水上機基地で台車ドリーに載せられて待機しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12水上爆撃機
: 発動機にはライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp (578 kW)2基を装備しているが、降着装置は主輪も尾論も撤去されて、フロート浮舟が左右に装備されている。
AL61A-461 Martin B-12 Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


写真(右)1940年12月以前、アメリカ、水上機基地のランプ滑走台で燃料補給を受けているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12水上爆撃機: 発動機にはライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp (578 kW)2基を装備しているが、降着装置は主輪も尾論も撤去されて、フロート浮舟が左右に装備されている。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005718 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


1931年1月から、アメリカ陸軍は、アメリカ本土防衛のために海岸線を防衛する任務も担っており、アメリカ陸軍では、数機のB-12Aを改造して、巨大な双フロート(float)を付けて、水上で離発着できるB-12A水上機を試作し、1935年8月24日に完成させている。

写真(右)1940年12月以前、アメリカ、水上を艀(はしけ)バージに載せられて移動しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12水上爆撃機:後方の岸壁には多数の関係者が見送っている、降着装置は主輪も尾論も撤去されて、フロート浮舟を左右に装備していれうが、フロートの下には移動用台車ドリーを装着していない。クレーンで吊り下げて搭載し、海面にもクレーンを使って吊り降ろすのであろう。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005725 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


マーチン(Martin)Model 139Bは、水上機仕様のYB-12として、250米ガロン (950 L)あるいは500米ガロン (1,890 L) 相当の浮舟2本を装備した。発動機は、プラット&ホイットニー (Pratt & Whitney) R-1690-11ホーネット"Hornet" 空冷星型9気筒エンジン(排気量27.7 L)775 hp (578 kW)2基搭載、で陸上型B-10B (218 mph/351 km/h)と同等の飛行性能を発揮した。7機が生産され、1940年4月時点でも,5機が運用されていた。

写真(右)1940年12月以前、アメリカ、水上で待機しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12水上爆撃機の右側面:陸上用の引込み式降着装置は主輪も尾論も撤去されて、フロート浮舟が左右に装備されている。整備員がフロート後端上で舫をとっている。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005715 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。


アメリカ陸軍マーチンB-10爆撃機の量産は、原型の初飛行した1932年から2年が経過した1934年から開始された。沿岸防備用として、アメリカ陸軍は、陸上用車輪式降着装置を撤去して、双フロート(浮舟)を装着した水上爆撃型も試作しているが、これはアメリカ海軍との対立を引き起こしたのかもしれない。水上機仕様は量産されなかった。

写真(右)1940年12月以前、アメリカ、水上で待機しているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-12水上爆撃機: 発動機にはライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp (578 kW)2基を装備しているが、降着装置は主輪も尾論も撤去されて、フロート浮舟が左右に装備されている。
Martin : B-12 : Catalog #: 00005694 Manufacturer: Martin Designation: B-12 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum引用。



5.中国空軍マーチン(Martin) B-10/139WC 爆撃機

写真(右):1937年2月、中国に輸出することが決まったアメリカのマーチン(Martin)139WC爆撃機: マーチン139WC爆撃機は、金属胴体が輝いており、表面も滑らかである。他方、日本で製造された機械は、たくさんの鋲が並んで波打って今井、華奢な構造に見える。飛行機の構造は、堅牢さ、重量の軽減、量産性、整備性、そして空力学的な配慮が必要である。
Catalog #: 00068795 Manufacturer: Martin Designation: 139-W
Notes: As B-10 for export, 1936-39
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives PictionID:45646391引用。

 アメリカ陸軍で初めての全金属製単葉双発爆撃機としてマーチンB-10を制式したが、オランダ、中国、アルゼンチン、トルコへの輸出仕様マーチン139Wが生産された。オランダ向けは、マーチン139WH、中国向けはマーチン139WCと区別し、いかにも購入国に配慮したような名称と、上手な売り込みを図っている。なんといっても、アメリカ陸軍航空隊が採用しているのであるから、その爆撃機は優秀であるに違いない。

写真(右):1937年2月(?)、中国に到着した分解されたアメリカのマーチン(Martin)139WC爆撃機(胴体後方が見えている)とその前に勢ぞろいした中国人とアメリカ人のスタッフ: つなぎ作業服を着こんだ技師・整備士8人(3人は略帽)、軍帽の中国軍将兵4人は黒の革靴を履いている。右端に黒の長靴を履いて帽子を被ったアメリカ軍人が勢揃いしている。同時期と思われる組み立ての終ったマーチン(Martin)139WC爆撃機の写真もあるので、場所は中国、上海、虹橋飛行場のように思われる。右後方に見えるのゴザ・筵と竹で作られた壁は、組み立て作業用の大きな小屋である。
Martin : 139
Catalog #: 00068838
Manufacturer: Martin
Designation: 139
Notes: In China, as B-10
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00068838引用。

しかし、アメリカ陸軍としては、各国の軍隊がアメリカ軍と同じ優秀な飛行機を装備する事には警戒心が強かった。そこで、友好国のみに輸出するとして、居改正を取っている。オランダ、中国はこの許可を得ることができ、トルコなどマーチンB-10爆撃機は輸出されている。マーチンB-10 爆撃機の初の実戦参加は、1937年8月、第二次上海事変・日中戦争の時、中国空軍に配備されていたマーチン139WC爆撃機が日本軍を攻撃したときである。その後、オランダ空軍が蘭印(インドネシア)に配備したマーチン139WH爆撃機も日本軍を攻撃している。

写真(右):1937年2月(?)、中国、上海、分解されたアメリカのマーチン(Martin)139WC爆撃機の組み立て作業小屋:主翼の断面(左)、半球形機銃座の付いた機首(中央)が、棕櫚製ゴザと竹棒で囲まれた臨時組み立て作業場の中に見える。中国の技師とアメリカの軍人が立っているのが見える。マーチン(Martin)139WC爆撃機の写真もあるので、場所は中国、上海、虹橋飛行場のように思われる。右後方に見えるのゴザ・筵と竹で作られた壁は、組み立て作業用の大きな小屋である。
China in 1937 war with Japan
Catalog #: 01082
Manufacturer: Martin
Designation: 139
Notes: In China, as B-10
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01082引用。

中国に船積みされた輸出仕様マーチン(Martin)139WC爆撃機は、上海に到着し、大型木製箱に梱包されたまま、上海、虹橋飛行場で組み立てられたようだ。飛行場の片隅に、現地で調達した棕櫚ゴザ・筵、竹で囲い込み式、屋根を葺いた作業用の小屋が作られたが、これは臨時の大きな掘立小屋である。一つの作業小屋での組み立て作業は、つなぎ作業服を着た中国人技師・整備士8人以上で、ここに、中国軍将兵やアメリカ軍人も随時、参加、協力したようだ。主翼を取り付けると、作業小屋には入らなくなるの、臨時の掘立小屋を撤去して、マーチン(Martin)139WC爆撃機の最終組み立てを行ったと考えられる。

写真(右):1937年2月(?)、分解・輸出された中国の上海におけるアメリカのマーチン(Martin)139WC 爆撃機の組み立て作業小屋:風雨をしのぐ、敵(日本)の目から隠す目的で、棕櫚製ゴザで覆われた簡易小屋の中で、アメリカと中国の技師が、主翼、胴体、膠着装置、エンジンなどを取り付け組み立てる。 中国の技師とアメリカの軍人が立っているのが見える。マーチン(Martin)139WC爆撃機の写真もあるので、場所は中国、上海、虹橋飛行場のように思われる。右後方に見えるのゴザ・筵と竹で作られた壁は、組み立て作業用の大きな小屋である。
China in 1937 war with Japan
Catalog #: 01082
Subject: The Flying Tigers - China
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00068838引用。

1930年代初期に実用化されたマーチン(Martin)B-10爆撃機は、革新的なデザインの全金属製、単葉(主翼1枚)、引込み式脚の設計だった。胴体が太く、風貌や銃座の張出も無粋で空力学的に洗練されているとはいいがたいが、当時の世界各国の実用化されていた戦闘機よりも高速だった。1936年にマーチン社は、許可を得て二国に対する輸出型の販売を行った。これはオランダ向けのマーチン139WHと中国向けのマーチン139WCである。139の後のWは世界、Hはオランダ、Cは中国を示している。

写真(右):1937年2月(?)、輸出された中国における、分解されていたアメリカ製マーチン(Martin)139WC爆撃機の機体最終組み立て作業中の: 技師・整備士が機体の胴体上に乗り点検作業をしている。同時期と思われる組み立ての終ったマーチン(Martin)139WC爆撃機の写真から推測して、飛行場の場所は中国、上海の虹橋飛行場と思われる。飛行場の使用頻度も、繋留飛行機数も少ないために、飛行場滑走路は転圧のみで舗装はされていない。
Martin : 139
Catalog #: 00068834
Manufacturer: Martin Designation: 139
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00068834引用。

マーチン社は政府の許可を得て、中国軍仕様のマーチンB-10爆撃機を開発し、マーチン139WCとして中国に輸出した。1937年2月、盧溝橋事件勃発の5カ月前、マーチン139WC爆撃機6機が上海の虹橋飛行場に到着した。輸出仕様のマーチン139W爆撃機は、合計200機が生産されたが、中国にも引き続き販売され、中国だけでも数十機のマーチン爆撃機を中国空軍に部隊配備したものと考えられる。

写真(右):1937年2月、中国に到着した組み立ての終ったアメリカのマーチン(Martin)139WC爆撃機: マーチン139WC爆撃機の前に、中国人の飛行搭乗員とアメリカ陸軍航空隊の搭乗員が揃って記念写真を撮影した。サンジエゴ航空宇宙博物館アーカイブ(San Diego Air and Space Museum Archive)には、これと同じ写真が、トリミングを変えて3枚、所蔵、公開されている。
Martin : 139 Catalog #: 00068836 Manufacturer: Martin Designation: 139 Official Nickname: Notes: In China, as B-10 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 1609引用。

マーチン社は政府の許可を得て、中国軍仕様のマーチンB-10爆撃機を開発し、マーチン139WCとして中国に輸出した。1937年2月、盧溝橋事件勃発の5カ月前、マーチン139WC爆撃機6機が上海の虹橋飛行場に到着した。マーチン139WC爆撃機は、1936年から1939年にかけて、中国に向けて合計数十機が輸出されたようだ。1937年の中国空軍における配備部隊は、第14志願飛行隊(14th Volunteer squadron)、第10爆撃戦隊などである。

マーチンB-10爆撃機 マーチンB-10爆撃機は、増加試作まで当初ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形エンジン(675hp)を搭載していたが、量産型のマーチンB-10B爆撃機は、カーチスR-1820-33エンジン(775hp)と若干馬力を強化して、100機以上生産された。ライトR-1820サイクロンのR1820とは、エンジン排気量(シリンダー容積:Displacement)が 1,823立方インチ (29.88 L)であることからきている。

写真(右):1937年以降、中国空軍に配備されたアメリカ製マーチン(Martin)139WC爆撃機:手前には250キロ級の爆弾が専用運搬台車に載せられて待機している。雨でぬれた未舗装の滑走路、自転車で飛行機の周りに集まっている飛行兵や整備員。分解されアメリカから運ばれてきたマーチン(Martin)139WC爆撃機の胴体、主翼などを上海の飛行場で組み立てたようだ。場所は中国、上海、虹橋飛行場と思われる。
Martin : 139
Catalog #: 00068833
Manufacturer: Martin Designation: 139
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives PictionID:45646391引用。


マーチンB-10爆撃機は、YB-12として、エンジンをライト社ではなく、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney:P&W)社のR-1690「ホーネット」空冷星形エンジン(775hp)に換装した機体も30機程度若干生産されている。これがB-12A偵察爆撃機で、爆撃型YB-12の胴体下面の爆弾倉を追加燃料タンクとして、航続距離を延長した。

写真(右):1937年以降、中国空軍に配備されたアメリカ製マーチン(Martin)139WC爆撃機:胴体下面の爆弾倉には開閉式扉が設けられている。この扉を折り畳んで開けて爆弾懸架に50キロ級の爆弾を搭載している。作業場所は、未舗装で無造作に爆弾が転がっている。
Martin : 139 Catalog #: 00068841 Manufacturer: Martin Designation: 139 Official Nickname: Notes: In China, as B-10 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。

マーチン(Martin)139WC爆撃機の爆弾倉が開いているが、扉は軽量化と堅牢さを兼ねるように、波板構造となっている。爆弾は、木製台に車輪を付けた荷台で、爆弾を置く場所を木片で調整している。専用の爆弾運搬車は使われていない。

蒋介石 中国の蒋介石・その夫人宋美齢が購入に熱心だったアメリカの軍用機、マーチン139WC爆撃機6機は、1937年2月に上海虹橋飛行場に到着した。

この上海中心部近くにある虹橋飛行場は、1937年8月9日、日本海軍の中国駐屯警備隊である上海特別陸戦隊大山勇夫中尉と斎藤與蔵一等水兵が自動車で突入しようとして惨殺された場所である。大山中尉は、日本海軍上層部からの強い要望を受けて、死を覚悟で中国軍の警備する飛行場に突入を図ったと思われる。

この日本海軍が仕掛けた大山事件を契機に、1937年8月13日、第二次上海事変が勃発し、華北の北支事変は、華中、江南を含む支那事変に拡大してしまった。

マーチン139WCは、創設間もない中国空軍第30爆撃戦隊に配備され、第二次上海事変では上海に駐留していた日本海軍部隊、第三艦隊を攻撃することになる。

日中戦争中、1938年5月19日に中国空軍のB-10B(中国名:馬丁式重轟炸機)2機は、重慶を発進、で漢口と寧波を中継して九州の熊本県人吉に宣伝ビラを撒き、玉山と南昌を経由して漢口に帰還した。これが日本本土初空襲となった。

写真(右):1937年2月、中国に輸出することが決まったアメリカのマーチン(Martin)139W爆撃機の後上方の機銃座: マーチン139W爆撃機はB-10爆撃機の輸出型で中国やオランダに手出された。金属胴体が輝いており、表面も滑らかである。他方、日本で製造された機械は、たくさんの鋲が並んで波打って今井、華奢な構造に見える。飛行機の構造は、堅牢さ、重量の軽減、量産性、整備性、そして空力学的な配慮が必要である。
Martin : 139-W
Catalog #: 00068793
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00068793引用。

写真(右):1937年以降、中国空軍に配備されたアメリカ製マーチン(Martin)139WC爆撃機::胴体下面の爆弾倉に設けられた爆弾懸架に250キロ級の爆弾を搭載している。作業場所は、コンクリートで舗装されているように見える。 Martin : B-10 Catalog #: 00005688 Manufacturer: Martin Designation: 139 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00005688引用。
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


FDR フランクリン/ ルーズベルト[Franklin Roosevelt]大統領としては、中立、孤立主義の風靡する米国の世論と連邦議会とを参戦に転換したかった。ドイツとの劣勢の戦いを指導する英国首相ウィンストン・チャーチル[Winston Churchill]も、ドイツに首都モスクワも占領されそうなソ連の指導者ヨシフ・スターリン[Joseph Stalin]も、日本軍に北京・上海・広東を占領され、東北地方に傀儡「偽満州国」をつくられ、さらに首都重慶の爆撃や内陸への侵攻に苦しんでいる中国の指導者蒋介石も、同様に、米国がドイツ・日本に参戦することを心待ちにしていた。

米国は、中立をたもっていたが、英国連邦の一員のカナダは参戦しているが、カナダから英国への輸送船団には、米国海軍の駆逐艦・掃海艇が護衛についていた。そして,1940年には米国の駆逐艦50隻を英国に譲渡している。また、アメリカは、参戦前の1941年3月から武器貸与法によって、英国・ソ連に大量の航空機・戦車を含む軍需物資を提供していた。

アメリカは中立とはいっても,フランクリン・ ルーズベルト[Franklin Roosevelt]大統領自身が,イギリス首相チャーチルと共同で1941年8月14日、大西洋憲章(Atlantic Charter)を発表し、反ファシズムを明確に宣言していたのである。

ソ連も1937年の中ソ不可侵条約締結後,中国に多数の戦闘機,爆撃機を(有償?)譲渡。中国空軍の主力航空機となる。戦闘機,爆撃機を大量に中国に売却したが,これはスペイン内戦における共和国軍への軍事支援と同じだった。

つまり,コミンテルンでは,反ファシズム戦線として,ドイツと日本の侵攻を抑制すべきであると決議された。ソ連は中国の隣国であり,迅速に支援できたのである。しかし,華北が日本の支配下に入ると,次第にアメリカの軍事援助がソ連にとって代わった。

1941年6月22日には、独ソ不可侵条約を破ってドイツがソ連に侵攻してきた(バルバロッサ作戦)。それまで、共産主義国ソ連に敵対的であったイギリスもアメリカも対ドイツ戦争を優先して,ソ連支援を即座に決めた。ソ連も1937年の中ソ不可侵条約締結後,中国に多数の戦闘機,爆撃機を(有償)譲渡。中国空軍の主力航空機となる。戦闘機,爆撃機を大量に中国に売却したが,これはスペイン内戦における共和国軍への軍事支援と同じだった。

英米は、大量の軍需物資を輸送船団で、北海経由あるいは中東経由で,ソ連に送り込んだ。したがって、日米開戦は、ドイツ(ルーマニア、ハンガリー、フィンランドを含む)から攻撃を受けていたソ連にも都合が良かった。

第二次大戦が1939年に勃発すると、米国は英国に武器など軍需物資を提供し、1940年には船団護衛、対潜水艦戦のための駆逐艦50隻を貸与し、さらに密かに米国海軍艦艇に、英国側にたって参戦している隣国カナダから英国への護送船団に、米国の駆逐艦などを護衛艦として派遣している。さらに、日本と中国軍が戦火を交えている中国大陸へも、軍事支援をし、日中戦争に事実上、密かに「参戦」した。

米国は,1940年以降,アメリカ義勇部隊AVG,のちのフライングタイガーズによる,中国にある日本軍への航空攻撃を繰り返していた。これは,米軍によるものではなく,あくまで,退役軍人が個人の資格で中国空軍に入隊して,傭兵として,戦闘に参加するという建前をとっていた。しかし,装備された航空機は,当事の最新鋭機であり,アメリカ国内の陸軍航空隊で,組織的な義勇軍募集リクルートが行われた。アメリカ陸軍航空隊は,中国空軍・AVG向けの武器供与をおこなっていたのである。


6.現存するマーチン(Martin)139 爆撃機

写真(右):アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、マーチンB-10輸出仕様(マーチン(Martin)139)爆撃機(146)の機首(下面に爆撃照準器の装着される爆撃手窓、上面に7.62ミリ0.30口径旋回機銃の銃塔:アルゼンチン空軍が使用していた機体を1970年にアメリカに贈与した機体。
DAYTON, Ohio -- Martin B-10 in the Early Years Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
Gen. Henry H. "Hap" Arnold, who called the B-10 "the air power wonder of its day," led 10 B-10s on a 8,290-mile flight from Washington, D.C., to Fairbanks, Alaska, and back in 1934. By the late 1930s, B-17s and B-18s had replaced the Air Corps' B-10s and B-12s, but the Chinese and Dutch air forces flew export versions in combat against Japan at the start of World War II.
TECHNICAL NOTES:
Crew: Four
Armament: Three .30-cal. machine guns and 2,200 lbs. of bombs
Maximum speed: 215 mph Cruising speed: 183 mph
Range: 1,370 miles
Ceiling: 24,000 ft.
Span: 70 ft. 6 in. Length: 44 ft. 9 in. Height: 15 ft. 5 in.
Weight: 14,700 lbs. loaded
写真はWikimedia Commons, Official United States Air Force Website Martin B-10引用。


現在、マーチン(Martin)B-10輸出仕様マーチン139WAA爆撃機(146)は、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the United States Air Force)に世界中でただ1機のみ展示されている。このマーチン爆撃機はB-10輸出仕様の139Wで、1938年にアルゼンチンに売却された機体の1機である。アルゼンチン政府はアメリカからの要請に応じ、親睦のために、1970年にマーチン139W爆撃機をアメリカ空軍国立博物館に展示用にアメリカ政府に贈与した。

写真(右):アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the United States Air Force)に世界中でただ1機のみ展示されているマーチン(Martin)139WAA爆撃機(146)
DAYTON, Ohio -- Martin B-10 in the Early Years Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
Martin YB-10 in the National Museum of the United States Air Force Source www.vectorsite.net Author Greg V. Goebel Permission (Reusing this file) Public Domain,
写真はWikimedia Commons, Category:Martin B-10 File:Martin 139WAA (5-19-2022).jpg引用。

マーチン(Martin)B-10輸出仕様マーチン139WAA爆撃機(146)は、テキサス州の第96修理中隊(96th Maintenance Squadron)で1973-1976年の間、修復、復元され、現在はオハイオ州デートン(Dayton)市スパーツ(Spaatz)通りにあるライト・パターソン空軍基地(Wright-Patterson Air Force Base)のアメリカ空軍国立博物館の格納庫の一角に展示されている。

写真(右):アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館に展示されているマーチン(Martin)B-10輸出仕様マーチン139WAA爆撃機(146)の機首(下面に爆撃照準器の装着される爆撃手窓、上面に7.62ミリ0.30口径旋回機銃の銃塔:アルゼンチン空軍が使用していた機体を1970年にアメリカに贈与した機体。
DAYTON, Ohio -- Martin B-10 in the Early Years Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
Gen. Henry H. "Hap" Arnold, who called the B-10 "the air power wonder of its day," led 10 B-10s on a 8,290-mile flight from Washington, D.C., to Fairbanks, Alaska, and back in 1934. By the late 1930s, B-17s and B-18s had replaced the Air Corps' B-10s and B-12s, but the Chinese and Dutch air forces flew export versions in combat against Japan at the start of World War II.
TECHNICAL NOTES:
Crew: Four
Armament: Three .30-cal. machine guns and 2,200 lbs. of bombs
Maximum speed: 215 mph Cruising speed: 183 mph
Range: 1,370 miles
Ceiling: 24,000 ft.
Span: 70 ft. 6 in. Length: 44 ft. 9 in. Height: 15 ft. 5 in.
Weight: 14,700 lbs. loaded
写真はWikimedia Commons, Category:Martin B-10 File:Martin B-10BM Night flash photo (6439669813).jpg引用。


写真(右):2019年9月21日、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館に展示されているマーチンB-10輸出仕様(マーチン(Martin)139)爆撃機の機首(下面に爆撃照準器の装着される爆撃手窓、上面に7.62ミリ0.30口径旋回機銃の銃塔:発動機は、ライト(Wright) R-1820-33 サイクロン(Cyclone 9)空冷9気筒エンジン(排気量29.87L)775hp2基装備。
English: Martin B-10 at the NMUSAF, Dayton, OH Date 21 September 2019, 18:12:58 Source Own work Author Ducatipierre
写真はWikimedia Commons, Category:Martin B-10 File:Martin B-10 Dayton.jpg引用。


マーチン(Martin)B-10輸出仕様マーチン139WAA爆撃機(146)の発動機は、ライト(Wright) R-1820-33 サイクロン(Cyclone 9)空冷9気筒エンジン(排気量29.87L)775hpである。

同じライト(Wright) R-1820-33 サイクロン(Cyclone 9)は、ボーイングB-17 フライングフォートレス(R-1820-97排気タービン過給機付)、F3F艦上戦闘機、 F2A バッファロー戦闘機、FM-2艦上戦闘機(ゼネラルモーターズ製F4Fワイルドキャット)、カーチスSBC ヘルダイバー艦上爆撃機、ダグラスB-18 ボロ、SBD ドーントレス艦上爆撃機が装備している。

図(右)1942年9月、アメリカ陸軍航空隊のハンドブックに掲載されたアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機の三面図:1932年2月16日に初飛行し、1940年までに348機が量産された。
English: A 3-view silhouette of the Martin B-10. Head on view has been moved from prior position on page. Date September 1942 Source babel.hathitrust.org Author Chief, Field Services, Air Service Command, United States Army Air Forces Silhouette handbook of United States Army Air Forces airplanes / published by the authority of the Commanding General, Army Air Forces, by the Chief, Field Services, Air Service Command. 56 page scans
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:Martin B-10 3-view silhouette.png引用。


マーチン(Martin)B-10爆撃機の諸元
乗員 4名
全長: 13.63 m
全幅: 21.60 m
全高: 3.48 m
翼面積: 63.4 m2 全備重量: 7,460 kg
発動機:ライト R-1820-33 空冷9気筒エンジン 775hp ×2
最高速力: 343 km/h
実用上限高度:7,365 m
航続距離: 1,996 km
兵装:
爆弾1,050 kg
7.62mmブローニング旋回機関銃×3丁

アメリカ陸軍航空隊のほか、
アルゼンチン陸軍航空部隊が、22機の139WAAを受領した。アルゼンチン海軍航空隊も12機の139WANと、1機の139WAを受領した。
オランダ空軍が、1936年12月から13機のマーチン139WH-1を、1938年に26機のマーチン139WH-2を購入し、1940年3月までにマーチン166を含めて合計121機がオランダ向けに生産された。植民地の東インドで使用された。
シャム(タイ王国)空軍が、1937年に6機の139Wを1937年4月に受領、 1940‐1941年の対フランス戦争、タイ・仏印戦争に投入された。1942年、日本から蘭印で鹵獲した9機のオランダ受領マーチン139が貸与され、1949年まで使用された。
中華民国空が、1936-1937年に6機のM-139WC-1と3機のM-139C-2、合計9機のマーチン139を輸入し、対日戦に投入した。
トルコ空軍が1937年に20機のマーチン139Wを受領した。

1914年8月に勃発した第一次世界大戦に参戦アメリカが参戦したのは1917年で、航空兵力の重要性がすでに明らかになっていた時期だった。そこで、それまで陸軍の地上兵力、海軍の海上兵力が主力だったが、陸軍は、1918年5月にアメリカ陸軍航空サービス (U.S. Army Air Service: USAAS)を設置した。そして、ヨーロッパ大陸に派遣するアメリカ遠征軍 (America Expeditionary Force, AEF) にも航空兵力を加えた。第一次大戦後、1926年、アメリカ陸軍航空サービスは、アメリカ陸軍航空隊 (U.S. Army Air Corps, USAAC) に改編された。


7.米国空軍根拠地をズラリと列べる : 太平洋岸へ数ヶ所『大阪毎日新聞』 Vol: 第 35巻 Page: 186 出版年 1935-01-10
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100346302

【ロサンゼルス八日発連合】「参謀本部空軍」を新設して作戦用兵上に一時機を劃した米国陸軍当局は沿岸警備の名目でさらに西海岸に一連の空軍根拠地を増設、太平洋領域の空の護りを強化する方針と伝えられる  右根拠地は数ヶ所に分れ空軍の精鋭爆撃、攻撃機約二百台をもってカリフォルニア州からワシントン州にわたる全海岸線上に不磨の鉄壁を築くもの

である、空軍根拠地の候補地として伝えられるところは次の通り

 ロックウエル飛行場(サンディエゴ)爆撃三個中隊▲マーチ飛行場(カリフォルニア州リヴァーサイド)攻撃三個中隊▲ハミルトン飛行場(カリフォルニア州サン・ラファエル附近)爆撃三個中隊

 各根拠地に所属戦闘中隊以外に偵察中隊ならびに特科中隊各一隊ずつをおくものと見られる(米国空軍根拠地をズラリと列べる : 太平洋岸へ数ヶ所引用おわり)

⇒写真集Album:世界第一の米国海軍の戦艦と航空兵力:1933‐1934年を見る。 


写真(右)1940年頃(?)、飛行中のアメリカ、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)Y1B-9 爆撃機:1931年にボーイングがアメリカ陸軍航空隊競争試作に応じた初の全金属製単葉機で、1931年4月13日初飛行。乗員 4名 全長 15.7 m 全幅 23.4 m 高さ 3.86 m 翼面積 88.6 m2 空虚重量4,056 kg 最大離陸重量 6,500 kg 発動機 プラット・アンド・ホイットニー R-1860-11 "Hornet"空冷星型エンジン(600馬力)2基 最高速力 302 km/h 航続距離 870 km 実用上昇限界 6,325 m 兵装 ブローニング0.30インチ(7.62 mm)機関銃2挺 爆弾:2,200ポンド(1,000Kg)。しかし、1932年2月16日初飛行のマーチン(Martin)B-10が制式されたために、7機の試作で終わった。
Boeing Y1B-9 test flight, 1932, with its retractable landing gear extended..
写真はCategory:Boeing YB-9 File:Boeing Y1B-9 test flight USAF p29.jpg引用。


1914年8月、第一次世界大戦が勃発、アメリカは1917年に参戦したが、遠征軍をヨーロッパへ派遣し、実戦経験を積む中で、アメリカ陸軍航空サービス(U.S. Army Air Service)が1918年5月に設置された。1939年9月に第二次世界大戦が勃発、アメリカは、大戦中の空軍の威力、制空権の重要性を理解し、1941年6月にアメリカ陸軍航空隊(U.S. Army Air Forces)を設置し、空軍増強を急いだ。


8.ソ連ツポレフ (Tupolev)SB爆撃機

写真(右)1939年頃、ソ連、ソ連空軍ツポレフ (Tupolev)SB 2M爆撃機:1934年10月7日に初飛行、1936年 - 1941年に6,945機製造。独ソ戦の初期の主力爆撃機だったが、1942年には退役。中国空軍が1937年の日中戦争勃発時にSB-2M爆撃機60機を貸与し、その後の中国空軍主力爆撃機となった。チェコスロバキア空軍は、ドイツとの戦争を意識し1938年にSB爆撃機60機を購入した。フィンランド空軍は、1939-1940年の対ソ連冬戦争でSB爆撃機8機を鹵獲し使用した。
Tupolev, SB Catalog #: 01_00089075 Manufacturer: Tupolev Designation: SB Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, SB, USSR
写真はSDASM Archives引用。


ツポレフ(Tupolev)SB ツポレフ(Tupolev)SB 高速双発爆撃機の諸元
乗員: 3名
全長: 12.57 m
全高: 3.60 m
翼幅: 66 ft 8 in(20.33 m) 翼面積:56.7平方メートル
自重量:4,768 kg
全備重量: 6,308 kg
発動機: クリモフ M103 液冷V12型エンジン960 hp 2基
最大速力:450 km/h 高度4,100m
航続距離: 2,300 km
実用上昇限度: 9,300 m
兵装:7.62ミリShKAS機関銃4丁
搭載爆弾量: 爆弾槽・翼下爆弾架 500kg-1t

⇒写真集Album:ツポレフ(Tupolev)SB-2/ANT-40高速爆撃機を見る。 


9.イギリス空軍ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)爆撃機

写真(右)1944年3月頃、ドイツ同盟国フィンランド、ブリストル マーキュリー Mk.8空冷9気筒エンジン(995hp)と機首に偽装網をかけたフィンランド空軍ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.I双発爆撃機:ブレニム (Blenheim)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1935年4月12日。全幅 17.17 m、全長 12.12m、翼面積 84.0 m2、自重4,441 kg、総重量 6,532 kg 発動機ブリストル(Bristol) マーキュリー (Mercury)空冷星形9気筒エンジン840 hp2基、 最高速力 418 km/h、航続距離 1810 km、乗員3名、兵装 7.7 mm 機関銃2丁、爆弾搭載量454 kg。。
Bristol Blenheim -pommikone naamioverkon alla. Erik Blomberg, valokuvaaja Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Erik Blomberg, valokuvaaja
写真は、FINNA.Fl引用。


イギリス空軍ブリストル・ブレニムMark I型Bristol Blenheim Mark I)の機首は段なし大型ガラス風防であり、その改良型のMk.IV型は、段がある機首に変更されている。イギリス製のブリストル・ブレンハイム (Bristol Blenheim) 爆撃機の機首段なし風防Mk.I型、機首段付き風防Mk.IV型の双方を、フィンランド空軍はイギリスから購入し部隊配備し、対ソ連継続戦争に投入している。

ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim) ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.IV爆撃機の諸元
乗員: 3名
全幅: 17.17 m
全長: 12.98 m
全高: 2.99m 機体重量: 5670 kg
エンジン: ブリストル マーキュリー Mk. 15 空冷9気筒 離昇出力 995馬力×2
最大速度: 428 km/h
航続距離: 2350 km
武装
7.7 mm 旋回機関銃 × 5挺
爆弾 600 kg

⇒写真集Album:イギリス空軍ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)爆撃機を見る。


10.ダグラス(Douglas)B-18 爆撃機

写真(右)1936-1939年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)爆撃機(32AB):初飛行は1936年4月。全幅 89 ft 6 in (27.28 m)、全長 57 ft 10 in (17.63 m)、翼面積 89.1 m2、自重 16,320 lb (7,403 kg)、総重量 24,000 lb (10,886 kg)、 発動機 ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒1,000 hp (750 kW)2基、最高速力 216 mph (348 km/h, 188 kn)、航続距離 900 mi (1,400 km, 780 nmi)、乗員6名。.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,000 lb (910 kg) 。1939年までに351機量産。
Douglas B-18, 32AB Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons SDASM Archives引用。


ダグラスB-18 ボロは1936年制式で、ダグラスDC2旅客機の主翼を流用し、開発期間を短縮したが、速力不足(357km/h)、爆弾搭載量(2000lbs/908kg)は十分ではなかった。

⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)爆撃機 


◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただきますれば幸いに存じます。よろしくご協力をお願い申し上げます。
◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,サイパン玉砕戦も分析しました。

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