◆世界第一の米国海軍の戦艦と航空兵力:1933年
写真(上)1919年、アメリカ領パナマ運河地帯、ガツン湖閘門、アメリカ海軍ニューメキシコ級戦艦ミシシッピ (USS Mississippi, BB-41)艦首方向:1917年12月18日就役、基準排水量3万3,400トン、全長190.20 m、全幅32.39 m、50口径35.6cm三連装砲塔4基12門、25口径12.7cm単装砲14門。
Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo
Catalog #: 09_00050
Title: Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo
Additional Information: Destroyer coming in through Gatun Locks, Canal Zone, 1919, Lt. Austin was a pioneer pilot with the US Army who attempted a flight from Panama to Washington DC
Tags: Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo, 1919
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(上)1939-1942年、アメリカ、上空から俯瞰したアメリカ海軍レキシントン級航空母艦サラトガ(USS Saratoga, CV-3)と飛行甲板のF3F フライングバレル艦上戦闘機、SBC ヘルダイバー急降下爆撃機:1927年11月16日就役、基準排水量3万7,000トン、全長270.7 m、全幅32.3 m、吃水9.3 m、最高速力33.2knots、搭載機数 78機。
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USS Saratoga
PictionID:38275952 - Catalog:AL-135B 068 CV-3 USS Saratoga - Filename:AL-135B 068 CV-3 USS Saratoga.tif - This image is from a photo album donated to the Museum by JL Highfill which includes images taken in the Pacific during the Second World War-----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
1−1.第一線は何処 : 世界平和の尊き使命『大阪毎日新聞』 第28巻 P.128 1933-01-01
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100336599神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
世界第一の米国海軍は、東太平洋の金門湾や真珠軍港で濛々と黒煙を上げ、十六インチ(40.6cm) 砲以下数百門の大砲は仰角をかけて、いざという場合、いつでも鯨波を蹴り、飛沫を立て、極東を指して邁進し得る用意を整え、ソヴィエト露国は、極東シベリア方面に精強な三軍団を配する外、幾十万の大軍を東洋に進め得る如く産業五年計画の完成を急ぎつつある。
支那は西は露国、東は米国と手を握り、その援助により、万里の長城を一跨ぎに、百万の大兵を満洲国内に進め、失地回復の機会を狙っている。これが現在極東の軍略的実際の姿である。吾等は以上の実相を頭に描き、本紙附録の国防大地図と対照して、帝国の新国防策および満洲国をめぐり利害の最も交錯する露支米三国の軍備と、その戦略とを概観しようと思う(カット写真は昨春太平洋上に行われた米国海軍大演習における全艦隊から放射された探照灯の偉観)
[記事画像に該当写真なし]
帝国の国防方針
満蒙は帝国の生命線であるが、列国いずれも日本の勢力の満洲に伸びることを嫉んでいる。支那は勿論のこと米国、露国は最もこれを好まない。ここに対米、対露関係が生じ、帝国の国防には陸軍も海軍もともに重大なる責務をもつわけである。
即ちわれ等の陸海軍は、大陸方面と、太平洋方面とにかかわらず、帝国の存立を脅かすものに対してこれを排撃し、東洋の平和延いては世界の平和を維持することを使命とする。陸上国防の第一線は満洲国国境、海上国防の第一線は、大隊西部太平洋を包む千島北端と、南洋諸島東部とを連ぬる線と見て差支あるまい。
陸上国防 世界第一のわが陸軍 平時兵員二十三万
陸軍軍備は日本領土および満洲国の防衛に必要なる兵力と、戦略上経済上他の方面の出動にも必要なる最小限度の兵力を準備している。陸軍の平時兵力は十七師団、兵員約二十三万であるが、戦時総動員すれば師団数は約二倍、兵数は第一線兵だけでも、二倍または三倍内外に増加することが出来るであろう。
帝国陸軍の精強については、世界第一として鼻高々であるが、ただ遺憾なのは新兵器殊に飛行機の整備いまだ十分でないことである。しかしこれも本年から追々準備されることになったので、鬼に金棒という訳である。
露国の軍備政策
国内の反共産主義者を抑え、外は資本主義諸国に対して自国を防護する外、進んで世界赤化の後援となすため強大な陸軍を養っている。世界赤化は事実上の世界侵略である。その目標は第一に未開地方のアジアに向けられ、外蒙はすでに赤色に染み、いま新疆にその手が伸びつつあり、支那の中心部もすでに大部赤化し、支那民衆は共産軍の暴虐に悩まされている。北満は元来露国の勢力地帯で太平洋進出の要路であり、極東赤化の玄関口であって、露国にとりては、極めて重要な地方である。
従って満洲国の成立は露国の極東政策に対する一大障害である。然るに満洲事変に皇軍が軍旗を翻して北満に進撃しても、赤軍が鳴りを沈めて傍観しているのは何ゆえかというに、本国赤軍の本陣に準備の未だ十分でないものがあるからである、目下露国は産業五年計画の途中にあるが、それが完成する四、五年以後の露国の態度、赤軍の動きこそ大いに警戒を要するものがある。
ロシア怖るべし 尨大な空軍
赤軍の概観
歩兵七十一個師団、騎兵十二個師団と九旅団、空軍百九十四中隊、その他多数の新式技術部隊を備え、平時兵力約百三十万である、赤軍の特徴は軍の機械化、空軍の拡張、化学戦の準備であって、戦車隊装甲自動車を主体とする常設の機械化旅団四個と師団に配属されている機械化部隊もあり、殊に化学戦部隊は各連隊にまで附属されている。空軍は次の如くで注意を要するのはその爆撃機の優勢なことである。
[図表あり 省略]
平時極東方面にある赤軍はシベリア軍管区に三個師団、極東特別軍として満洲国の周囲に約十個師団を配置し、必要の場合欧露方面より随時増兵することとしている。
支那軍
支那の軍隊は蒋介石、張学良、閻錫山その他諸軍閥等が政権を握り私腹を肥やさんがために養っている私兵で、現在歩兵百十三師団と三十八旅団、騎兵十五師団と数旅団兵数合計二百万、その他に多数の土匪軍あるも正確な数は判明しない。武器には相当新式のものもあり、飛行機も各軍閥のものを合すれば四百機くらい持っているが武器も飛行機も各国の寄せ集めもので統一していない。
支那は去月露国と無条件で国交を回復し、同時に利権をもって米国を抱き込み、両国の力を借り外交的にも軍事的にも飽くまで日本を牽制して窮地に陥れ満洲国を取返そうと謀計をめぐらしている
満洲国の危険信号 露支両軍に包囲さる 寡兵、各個撃破の内線作戦
陸上国防の第一線
昨年[1932年]九月帝国が満洲国の承認とともに[1932年9月15日]日満議定書により日本国および満洲国は領土および治安に対し両国共同して防衛に当ることを約し、これがため所要の日本軍は満洲国内に駐屯することとなった。それは満洲国の治安維持も、露国支那との国境に対する満洲国の国防も日本の国防と全然一致するからである。
現在露国との国境方面には約十万の[ソ連]赤軍があり、支那方面の国境には十八万の[張]学良軍が頑張り、その背後には各大軍が控え、満洲国は三方面より包囲されているからその国防のためには内線作戦をとらねばならない。それには露支両軍を相手にする場合を仮想し両国はどの位の兵をわれに向け得るかを考察しなければならない。詳しい計算は省いて動員せる大赤軍はその内より約九十万内外を極東に出し得るものと見られている。また支那軍は二百万の内半数の百万位はわれに向わせることが出来るだろうといわれている。
しかし戦闘能力の上から計算して[ソ連]赤軍はわれとほぼ同等、支那軍は約半分と見れば合計百四十万となる。これに対して日本軍を七十万位とすれば日本軍は二分の一の兵力をもって露支両軍に当らねばならない。しかもこの場合日米海戦も同時なることを考慮すれば○○○○○方面にも相当の陸軍を要し内地植民地の首尾も欠くことが出来ないから満洲においては半数以下の日本軍に若干の満洲国軍を加えた小兵力で露支両軍を相手としなければならないことになる。
ここにおいて利用すべきことは地の利である。遠隔の欧露より一本の鉄道で増兵する赤軍、中南支よりのこのこ北に向う支那軍に対し動員せる日本軍は日本海、対馬海峡を越え幾条の鉄道により短時日間に満洲国内に集中し内線作戦により寡兵をもって大軍に対し各故撃破[各個撃破]の戦法をとるのである。その方法は参謀本部の握る極秘の虎の巻で門外漢の知るところではないが、その成敗については国民は安心して軍当局に任せて置いてよい。
ただこの場合少々厄介なのは、チタとウラヂオ方面のマンブフカ附近にある百八十台の赤軍飛行機である。満洲国内ばかりでなく、朝鮮内地まで相当の脅威である。しかも欧露より真先に増援するものはまたその空軍なることを予期しなければならぬ。空軍の危険はさらに支那方面にもある。支那はすでに米支合弁および独支合弁の航空路を開設し、殊に米支合弁では多数の米国機および操縦者を使用するほか去月中旬支那は対米飛行機借款により、沿岸に三大飛行場を設け、五百機を増加するとの説が伝えられている。これが実現の暁には、有事の日、米国の援助とともに日本にとって甚大の危険を来すであろう
満洲国と露支両国の海軍
満洲国[1932年成立]には目下松花江に砲艦数隻より成る江防艦隊あるのみだが将来黒竜江および渤海湾にも若干の海軍を必要とするであろう。露国が太平洋方面に多少とも海軍を復興し、支那が米国の指導援助の下に新式海軍を若干でも整備することになれば日満両国対露支米三国の国防に多少の変化を来さざるを得ないであろう。
海上国防 四要港と三大軍港 劣勢よく米国に当り得るか
危い六割海軍
帝国海軍軍備は西太平洋を管制して国土を安全ならしむるとともにわが国と極東大陸との海上交通を保護し、なお南洋およびインド方面との通商を安全にするため必要なる海軍力を整備している。しかしてその兵力は守勢的に米国海軍の約七割を標準としているが[1921年]ワシントン[会議]および[1930年]ロンドン会議において劣勢な六割三分に押しつめられてしまった。即ち米国は海上における大砲の力によらず、卓上三寸の舌をもって帝国海軍力の約四割を易々と撃沈したのである。
艦隊新編制
昭和八年度のため改新された艦隊は連合艦隊として第一、第二艦隊を合したもの、その軍艦数は戦艦陸奥以下大小六十隻内外、将兵約二万、軍艦の総価額は六億円余に上り連合艦隊司令長官小林中将これを統率し、優勢な米国艦隊に対して太平洋の守りに日夜心血を注いでいるのである、第三艦隊は上海および南支方面の警備に任ずるもので、出雲、天竜などのほか第一遣外艦隊の十数隻ならびに陸戦隊約二千名がいる。第二遣外艦隊は旅順を根拠地とし北支方面の警備に当っている。
写真(上)1919年7月19日、アメリカ領パナマ運河地帯、ガツン湖閘門、アメリカ海軍ニューメキシコ級戦艦ミシシッピ (USS Mississippi, BB-41)の艦首方向:1914年8月、第一次世界大戦の勃発の時に完成したパナマ運河は、全長82km、カリブ海 ⇔ ガトゥン閘門 ⇔ ガトゥン湖 ⇔ ゲイラード・カット ⇔ ペドロ・ミゲル閘門 ⇔ ミラ・フローレス湖 ⇔ ミラ・フローレス閘門 ⇔ 太平洋と上下3段の階段式水路を航行できる。最高地点は海抜26mのガトゥン湖である。航行可能な艦船は、閘門のサイズに制約され、全長:294.1メートル、全幅:32.3メートル、喫水:12メートルとされる。
Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo
Catalog #: 09_00088
Title: Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo
Additional Information: USS Mississippi, Gatun, Canal Zone, Lt. Austin was a pioneer pilot with the US Army who attempted a flight from Panama to Washington DC
Tags: Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive There are very similar photos of USS Mississippi (BB-41) transiting the Panama Canal, and dated July 26, 1919. The biplane is also in those photos,
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(上)1919年、アメリカ領パナマ運河地帯、ガツン湖閘門、アメリカ海軍ニューメキシコ級戦艦ミシシッピ (USS Mississippi, BB-41)艦尾方向:1917年12月18日就役、基準排水量3万3,400トン、全長190.20 m、全幅32.39 m、50口径35.6cm三連装砲塔4基12門、25口径12.7cm単装砲14門。
Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo
Catalog #: 09_00050
Title: Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo
Additional Information: Destroyer coming in through Gatun Locks, Canal Zone, 1919, Lt. Austin was a pioneer pilot with the US Army who attempted a flight from Panama to Washington DC
Tags: Lt. Charles B. Austin Special Collection Photo, 1919
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
帝国海岸海面の防備
日本領土は北は氷雪の千島樺太より、南は灼熱の赤道直下にある南洋諸島まで延び、その間に点々する陸地と島を囲む海岸海面は海軍の手で護られている、そのために帝国の海岸海面は五つの海軍区に分たれ、第一海軍区は横須賀鎮守府、第二海軍区は呉鎮守府、第三海軍区は佐世保鎮守府の分担で他に満洲方面の関東海軍区(佐世保所属)南洋海軍区(横須賀所属)がある。横須賀、呉、佐世保の三大軍港はわが海軍の大根拠地で、他に小根拠地として大湊、舞鶴、鎮海、馬公の四要港がある。
陸軍の要塞は、海軍とも密接の関係あり、津軽、東京湾、由良、舞鶴、豊予、下関、佐世保、長崎、対馬、壱岐、鎮海湾、永興湾、基隆、澎湖島、奄美大島、小笠原島の諸要塞がある。これらはその位置によって想像し得る如く戦時海軍と協力し重要な海峡や港湾の入口を塞ぎ敵軍艦殊に潜水艦の侵入を防ぎ重要地艦船などを安全にするものである、戦時には他の重要地にも防備が施されるであろう。
[図表(輪型陣図解RING FORMATION)あり 省略]
写真(右)1921年 8月10日以降、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外、メア・アイランド海軍工廠で就役直後のアメリカ海軍テネシー(Tennessee)級戦艦「カリフォルニア」USS California (BB 44) :起工 1916年 10月25日
進水 1919年 11月20日
就役 1921年 8月10日。排水量 基準:32,600トン、満載:35,190トン
全長 190.35m
全幅 34.74m
吃水 10.36m
最高速力 21ノット
兵装: 50口径14インチ35.6cm砲三連装砲4基12門
38口径5インチ12.7cm砲14門。
Photographer
Unknown author
Title
USS California (BB-44)
Description
English: Underway shortly after her completion, in about 1921. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
Date circa 1921
Collection
Naval History & Heritage Command wikidata:Q3250126
Accession number
NH 55023
写真はWikimedia Commons, Category:USS California (BB-44) File:USS California (BB-44) - NH 55023.jpg引用。
写真(右)1927年3月6日、アメリカ領パナマ運河地帯、ペドロ・ミゲル閘門(Pedro Miguel Lock)、アメリカ海軍コロラド級戦艦1番艦コロラド(USS Colorado (BB-45) ):太平洋から入ると、パナマ市郊外のミラフローレス閘門の次のペドロ・ミゲル閘門から水の階段を上がり高水位のガツン湖に入る。そこから下って大西洋に出る。1924年から1941年まで戦艦コロラド(USS Colorado (BB-45) )は太平洋方面に主に配置されたが、しばしばパナマ運河経由で、アメリカ東海岸やカリブ海でにも回航している。
USS Colorado in Pedro Miguel Lock, Panama Canal March 6, 1927 (Wikidata search (Cirrus search) Wikidata query (SPARQL) Create new Wikidata item based on this file)
Creator Panama Canal Company. 7/1/1951-10/1/1979
Title
USS Colorado in Pedro Miguel Lock, Panama Canal March 6, 1927
Date 6 March 1927
Collection
National Archives at College Park - Still Pictures
写真はWikimedia Commons, Category:USS Colorado (BB-45) File:USS Colorado (BB-45) New York 1932.jpg引用。
写真(右)1932年、アメリカ、ニューヨーク沖、16インチ連装砲塔4基搭載のアメリカ海軍コロラド(Colorado)級戦艦1番艦「コロラド」USS Colorado (BB-45) :後甲板と第3砲塔にボート(Vought)O3Uコルセア(Corsair)水上偵察機を搭載している。発注 1916年8月29日
起工 1919年5月29日
進水 1921年3月22日
就役 1923年8月30日。排水量 基準:32,500トン、
満載:33,590トン
全長 190.20m
全幅 32.92m
吃水 9.07m
機関 蒸気タービン 4軸:
28,900 shp (22 MW)
最高速力 21ノット
兵装: 45口径16インチ40.6cm砲連装砲4基8門
38口径5インチ12.7cm砲14門。
English: English: The U.S. Navy battleship USS Colorado (BB-45) steams through rough seas, circa 1932. Note the hull number painted atop one of the forward turrets and the Vought O3U Corsairs positioned on the catpults.
Date circa 1932
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 2004.042.053 [1]
Author U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:USS Colorado (BB-45) File:USS Colorado (BB-45) New York 1932.jpg引用。
謎の太平洋に米国海軍の暗躍 作戦本営サンフランシスコ 出動本陣はハワイ
米国海軍政策
米国が極東に目をつけたのは百五十年前の昔からであるが米国海軍が東洋遠洋作戦を考え出したのは日露戦争後日本が[エドワード・ヘンリー・]ハリマン[Edward Harriman, 1848-1909]に満鉄を売らなかったときからである。だから米国の満洲に対する関心は決して新しいものではない。それは単に経済的問題ばかりでなく、米国では満洲を手に入れるものは極東を制し、極東を制するものは太平洋を制し、太平洋を制するものは世界を制するものと重視しているからである。
従って米国の国策は飽くまで日本の大陸発展を妨害することにあるのである。米国の海軍政策もここに出発するもので米国海軍はその国策と商業貿易を支援するとともに米本土と海外領土とを防護することを目的としている。これがためには世界第一の海軍となし大西洋では守勢作戦をとり太平洋方面においては攻勢作戦をとる方針を定めている
米国海軍の特徴と新艦隊編制
米国海軍の特徴は、航続力大なること、砲力優大なること、居住性完備すること、右いずれも渡洋作戦に必要な条件のみである。しかして米国艦隊は太平洋作戦に重点を置き[1930年の補助艦(巡洋艦、駆逐艦、潜水艦)保有制限の]ロンドン会議後専ら対日関係を中心として艦隊の編制を新たにし現在海軍力の九十パーセントを太平洋に集中し、本年早々また遠洋作戦の大演習を開始し三月末まで続行することになっている。
米国新艦隊は戦闘部隊、索敵部隊、潜水部隊、根拠地部隊の四つに区分し、その巻数約三百数十隻、日本の常備艦隊とはケタ違いである。
右の他米国海軍はマニラを根拠地とするアジア艦隊、グワム警備として砲艦一と特務艦を配しパナマ運河警備のため粒米艦隊を備えている。
写真(上)1928年、アメリカ領パナマ運河地帯、ガツン湖閘門、アメリカ海軍空母レキシントン (USS Lexington)の艦首右舷:艦首後方の煙突右脇上位に探照灯2個が設置されているのがレキシントンで、同型空母サラトガでは、煙突右脇中位に探照灯が2個設置されている。運河沿いには運搬用の軌道列車が運行している。
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AL009A_127 USS Lexington Panama Canal 1928
Photo from the Album belonging to B.A. Gillies.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1930年2月、アメリカ領パナマ運河地帯、ガツン湖閘門、アメリカ海軍空母サラトガ (USS Saratoga (CV-3))の艦首右舷:1914年8月、第一次世界大戦の勃発の時に完成したパナマ運河の航行可能な艦船は、閘門のサイズに制約され、全長:294.1メートル、全幅:32.3メートル、喫水:12メートルとされる。
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USS Saratoga (CV-3) )circa 1930 2
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
TVL1970
9mo
This is actually USS Saratoga (CV-3), note the lower mounted searchlight platforms on the starboard side of the funnel, as compared to her sister ship, USS Lexington (CV-2), whose searchlight platforms were mounted closer to the top of the funnel. It is easy to see why the Navy would subsequently paint a vertical stipe on Saratoga's funnel and a horizontal stripe at the top of Lexington's funnel to ease identification of the ships.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1930年、アメリカ領パナマ運河地帯、アメリカ海軍空母サラトガ (USS Saratoga (CV-3))の艦首右舷:
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USS Saratoga (CV-3), CZ, circa 1930 3
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Sorry, but this not the Lexington, but her sister-ship, the USS Saratoga (CV-3) transiting the Panama Canal, during the carrier's maiden voyage toward her future home port of San Diego/North Island area, on 7Feb1928, after a two-day layover in Gatun Lake basin, after passing thru the Gatun Locks on the 5th.
Saratoga has not received her funnel vertical black stripe as of this date (received in early part of 1929 after the Fleet Problem IX exercise), and would take aboard her air squadrons after operating off the lower West Coast during further sea trials, only several of the ship's Utility Unit's aircraft were aboard at the time of the photograph.
Lexington had a black horizontal stripe surrounding the top of her funnel stack, as did the Saratoga when first launched, but Sara had her horizontal stripe painted over at Norfolk, VA. (which were used for covering the funnel's exhaust gases along the rim, not for identification as were used later on), before leaving on the ship's transfer to the US Battle Fleet.
Hope this Helps!
Michael Goforth.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1930年、アメリカ領パナマ運河地帯、2隻のタグボートに曳航されているアメリカ海軍空母サラトガ (USS Saratoga (CV-3)):空母サラトガは、満載排水量 4万3,746t、全長888ft(270.66m)、全幅130ft 1in(39.65m)、エレベーター 2基、搭載機78機。1946年ビキニ環礁核実験クロスロード作戦で標的にされた。
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AL-135B JL Highfill Album Image
PictionID:38274077 - Catalog:AL-135B 178 - Filename:AL-135B 178.tif - This image is from a photo album donated to the Museum by JL Highfill which includes images taken in the Pacific during the Second World War------SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1930年、アメリカ領パナマ運河地帯、閘門の間で推移を調整しているアメリカ海軍空母サラトガ (USS Saratoga (CV-3)):サラトガは、ニューヨーク造船所でレキシントン級巡洋戦艦3番艦(CC-3)として寄港されたが、ワシントン海軍軍縮条約で戦艦として竣工できなくなったため、1922年7月に航空母艦に設計変更になった。1925年4月7日進水、1927年11月16日就役、初代艦長のハリー・E・ヤーネル大佐は、1936年10月から1939年7月にアジア艦隊司令官を務めた。空母サラトガの飛行甲板は、全長909.45ft(277.2m)、全幅130ft 1in(39.65m)、竣工時に飛行甲板にカタパルトは1944年まで装備されていない。
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Saratoga CV3
Catalog #: SHIPS00343
Ship Name : Saratoga
Hull #: CV3
Country : USA
Ship Type : Aircraft Carrier
Notes: Lexington
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
米国海軍根拠地
米国の海軍根拠地は戦略攻略商略上より統制的に配置設備されている。太平洋作戦のため米国の戦略的根拠地たる北方ピューゼット・サウンドと南方のパナマを底とし、ハワイの真珠軍港を頂点とする大三角形を描きその底部に大小数多の根拠地を備えるほか最前進根拠地としてグワム、マニラを有し、さらにアリューシャン群島のウナラスカおよびキスカ、南太平洋のサモアにも要港があって、有事の日はハワイを枢軸として翼をキスカ、サモアに張り、西太平洋を包む大陣形をとり得る構えとなっている。現在戦略上の大根拠地はサンフランシスコを中心にピューゼット・サウンドとサンヂエゴを作戦根拠地、ハワイを前進根拠地として太平洋作戦が計画されている。右のほか太平洋方面にある小根拠地は本土西岸にサンピドロ、アストリア、ポートエンゼルス、アラスカ方面にはシトカ、セワードなどがある。しかして太平洋作戦の本営はサンフランシスコ、出動本陣はハワイである。
図(上)1940年1月31日、アメリカ、アメリカ海軍航空巡洋艦(Flight deck cruiser) CF-2の構想三面図面:1922年のワシントン軍縮会議で、巡洋戦艦を空母「レキシントン」「サラトガ」に改造して竣工させた。そこで、1930年のロンドン軍縮条約前に、同様の発想で巡洋艦にも航空機搭載能力を持たせて、多数の小型空母を保有し、損害を分散させることが構想された。全長640フィート、ビーム67フィート、全高(飛行甲板まで)65.5フィート、基準排水量1万2200トン、最高速力33ノット、機関出力(SHP)10万馬力、行動半径1万マイル/15ノット、前後の甲板に47口径6インチ三連装砲塔(旋回角度270度)各1基6門(正面装甲6.5インチ、側面装甲1.5−3インチ、天井2インチ、バーヘッド5インチ)、アイランド型環境の前後に38口径5インチ連装高角砲各1基4門、飛行機36機。
English: Proposed Flight Deck Cruiser, CF-2
Preliminary design plan prepared for the General Board during the final effort to develop a flight deck cruiser ("CF"). This plan, dated 31 January 1940, is for a 12,200 ton standard displacement ship (14,560 ton trial displacement) with a main battery of six 6"/47 guns, a secondary battery of four 5"/38 guns and an aircraft complement of 36 scout-bombers. Ship's dimensions are: waterline length 640'; waterline beam 67'; draft 22'. Powerplant has 100,000 horsepower for a speed of 33 knots. Scale of the plan and side elevation drawings is 1/32" = 1'.
The original plan is in the 1939-1944 "Spring Styles Book" held by the Naval Historical Center.
Date 31 January 1940
Source http://www.history.navy.mil/photos/images/s-file/s511-05c.htm
Author United States Navy
写真はWikimedia Commons Category:Flight deck cruiser proposals File:Flight deck cruiser design CF-2 31 Jan 1940.jpg引用。
大空軍二千八百機
空の大魔軍
海軍機は、すでに五年計画完成し、第一線用として艦隊所属五百六十九機、陸上航空隊三百四十五機、海兵航空隊八十六機、合計一千機を有している。米国海軍は航空機に重きを置き、艦上機だけで日本海軍の艦上、陸上を合せた全機数より優勢なものとする計画を立てロンドン会議に三案を懐にして臨んだが一番少い第三案に成功し、保有巡洋艦の四分一に飛行機甲板をつけた航空巡洋艦を設けることとした。米国では航空母艦と右航空巡洋艦により飛行機を建造すれば、合計九百三十機の大拡張をなし得るのである。これを現有機と合すれば、二千機に近きものとなり、これに対し、日本海軍機は現在十七隊のほか計画中の十四隊完成しても、僅かに八百機に過ぎない、海上国防上の一大脅威といわなければならない。日本が軍縮会議に最近航母、航空巡洋艦の廃止を提案したのもこのためである。
写真(右)1936-1939年、アメリカ、舗装滑走路で待発進準備中と思われるアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10双発爆撃機(23):機首銃座には7.62ミリ(.30-cal.)ブローニング機関銃 1挺が装備される設計だが、実際に機銃を搭載している機体の写真はほとんどない。平時だったので、機関銃搭載は空気抵抗を増やし、視界を妨げ、重量増加につながるので、搭載しなかったようだ。
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pictionid56896218 - catalogbd martin b-10 12 14 12.jpg - title--bd martin b-10 12 14 -- - filenamebd martin b-10 12 14 12.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum--------Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives引用。
米国陸軍機
陸軍機も一九二六年より五年計画で千八百機充実することになっている。その内現在次の如く配置されている。
パナマ 四十一機さらに八十機増加中(他に海軍飛行艇三十台)
ハワイ 九十六機
比島 五十機(飛行場十余ヶ所新設)
写真(右)1936-1939年、アメリカ、舗装滑走路エプロンに戦列をなしているアメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10双発爆撃機:初飛行は、1936年4月。搭乗員 4名
全長: 13.63 m
全幅: 21.60 m
全高: 3.48 m
翼面積: 63.4 平方メートル
全備重量: 7,460 kg(14,700 lbs)、
発動機 ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775hp2基、最高速力: 343 km/h(215 mph)
実用上限高度:7,365 m
航続距離: 1,996 km
爆弾搭載量 1,050 kg(2,200 lbs)
兵装:7.62ミリ(.30-cal.)ブローニング機関銃 3挺
Martin : B-10 :
Catalog #: 00005625
Manufacturer: Martin
Designation: B-10
Official Nickname:
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SDASM Archives引用。
不公平な太平洋の防備制限
南洋に広く点々するわが[国連]委任統治[League of Nations mandate][南陽]諸島は、海軍のため非常に重要なところである。この島々には平和条約により平時軍事設備は出来ないが、軍艦の錨地もあり、殊に潜水艦のかくれ場所などにはあつらえ向きである。ここがフィリピンに向う米国艦隊の通路に当るのだから、米国海軍にとりては非常な脅威に相違ない。
ワシントン会議で米国はハワイに、英国はシンガポールに金城鉄壁の大根拠地を築くことを自由とし、日本には玄関先の小笠原島、奄美大島さえも防備制限区域として束縛した。如何にも横暴極まるものである。しかし日本がこれを承諾したのは深い意義がある。
即ち米国は日本に対し主力艦の六割を要求してやまなかったが、米国が十の大艦隊を比島に集中すれば日本は西太平洋で必敗の十対六で戦わねばならぬ。比島に大根拠地の設備を制限すれば、米国は十の艦隊をハワイで勢揃いするほかはない。ハワイから遠き西太平洋に進出するまでには、〇割かの犠牲を払わねばならないので、日本はここを狙って比島、グワムの防備制限を交換条件として主力艦六割を承諾したのである。
極東指して堂々と進攻 得意の輪型陣
極東進攻作戦
米国が極東に向って進攻作戦をとる艦隊は、戦闘部隊と索敵部隊の全部で、これにフィリピンを根拠地とするアジア艦隊が策応するものである。戦艦十五隻を中心として、これに巡洋艦三十三隻、航空母艦四隻、駆逐艦二百余隻、潜水艦八十余隻この他多数の特務艦を合し、合計四百隻内外の大艦隊が極東指して堂々と進攻するのである。これがためとる隊形は米国海軍が多年研究訓練せるリング・フォーメーション即ち輪型陣と称する堅固無比の雄大な陣型である。
輪型陣は主力艦を中心に、二十マイルの半径をもって円を描きその線上に巡洋艦を配し、さらにその線上より五マイルおきに一円を描きその線上に駆逐艦を置き、さらにその外方視認距離に円を描きそこに潜水艦を備え、三段構えの厳重な網を張り、その前方二百乃至五百マイルに一万トン巡洋艦十一隻を間隔二十五マイルとして横に並べ、巾二百五十マイルの広き海面に捜索網を張るものである、しかしてその前方にはさらに多数の飛行機を放ち、日本艦隊を索めつつ堂々大洋を圧し、極東に向って突進するのである。(上段の凸版附図参照)
まず敵に損害を与え然る後決戦 わが海軍の作戦計画
これに対する日本海軍は軍艦こそ少いがその精鋭さは世界無比を誇る海軍である。むざむざと米艦隊の西太平洋進入を許すはずがない。第一に目先きにあるアジア艦隊の根拠地たるフィリピンおよびグワムの血祭りは免れぬであろう。次に米艦隊の恐るるところは日本主力艦隊は米艦隊の優勢なる間、何れかの安全根拠地にかくれて決戦を避け、その間に補助艦、奇襲艦隊を放ってポカリポカリとやられることである。その幾割かがやられ日本主力艦隊が躍り出たときこそ、一挙に米艦隊が葬られるときだからである。尤もそれまでの間、東支那海はもちろん南支那海にも敵艦の進入を許してはならない。
殊に満洲国成立[1932年3月1日]以来国防上特に重要となった日本海は絶対に安全にしなければならぬ。ただ厄介なのは航空母艦または航空巡洋艦による内地に対する空中攻撃である。それはアリューシャン方面、シベリア、支那方面の陸上よりする空襲とともに、大なり小なり到底免れないであろう。内地重要地の防空設備の必要なゆえんである。しかしながら帝国海軍は断じて米海軍には負けない。現在然り、一九三六年以後も同様である。
米国の攻勢陸軍
米国陸軍も非常に雄大なる攻勢作戦を目的としていることは、一九二二年参謀総長パーシング[John Joseph Pershing]大将の発表せる国防方針でも明瞭である、細説はここに省き、一言にしてこれを尽せば平時兵力は少数だが、国家総動員により、八ヶ月の後四百万の戦時兵員を作り、これをもって五十四個師団の大陸軍を編制し、遠征軍として攻勢作戦を敢行する方針となっているのである。平時太平洋方面では正規軍の内フィリピン[Philippine]、ハワイ[Hawaii]、パナマ[Panama]に各一個師団、アラスカに歩兵一大隊を配置している。
戦わぬための国防
帝国の陸海軍備は、決して他国を侵略する軍備でない。日本の生存と東洋の平和を妨害する国の不法なる圧迫を排する破邪の剣である。利己主義の横暴国に対し帝国および満洲国の陣営を堅くしその非望を自制断念させて、戦いを起さしめないことである。
第一線は何処 : 世界平和の尊き使命『大阪毎日新聞』 第28巻 P.128 1933-01-01引用終わり)
1ー2.極東進出に成功の汎米航空会社 (一・二・完) : 支那の航空路を掌中に収めて : 世界周航路完成近し
『東京時事新報』
Vol: 第 3巻
Page: 10
出版年
1933-05-01/1933-05-15
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100192817神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
(一)
[図表あり 省略]
地球を還る航空路連鎖の一環として支那は目下世界航空界の関心は悉く此処集っている、特に[1927年運航開始の]汎米航空会社(パン アメリカン エアウエーズ[Pan American Airways])の極東進出振りは注目に値する
独逸は第一次計画の失敗に、こりず目下再びロシアを経て支那に至る航空路開拓の魁をしようと猛運動をしている、ターケスタン[ルフトハンザ(Lufthansa)は既にソ聯邦及び支那政府の協力を得て着々凖備を進めている、遥か南方には和蘭、英国及び仏国の航空路は既にビルマ、蘭領東印度諸嶋並にサイゴン等に達しているが、これら三ケ国共未だ支那へその航空路線を延長することが出来ずにいる
四年前当時米国航空界の大立物の一人であったC、M・キーズ氏はカーチス輸出会社と提携して優秀な飛行士アーサー ケーバートン氏外数名と機関士に小型陸上機並にローニング水上機を各幾台づつか持たせて上海に送り支那政府の協力を得て揚子江上流地方への定期航空路を開いた、この線は忽ち各国人に依って利用され重宝がられたが政局の不安定と共に協定が保たれず其の後予期の業績を収め得ずに振わなくなったがこの線が汎米航空[Pan Am]の手に帰すると共に米国は他国に先じて支那国内に有力な航空路の一線を獲得するに至った、この最初の揚子江線の外に其の後非常に重要な上海、北京毎日航空便の権利を得次で香港に到る千五百浬の海岸航空路線を其の掌中に収めたが茲に汎米航空会社は自国領比律賓から僅々六三〇哩の地点に其のアジアに於ける航空路を近接するに到った
(二) 支那航空界活況を期待
列国も漸く着目
【ワシントン発電通】米国の汎米航空会社[Pan American Airways]が中国航空公司の株の四割五分を買収したことは既報されたが之で米国は極東に航空事業の覇権獲得を目指していた欧洲四大航空会社をマンマとノックアウトした訳である、欧洲の四大航空会社といえば英国のインピリアル エアウエイズ[Imperial Airways]と、仏国のエア オリエント、独逸のドイツチェ ルフトハンザ[Deutsche Lufthansa]、和蘭[オランダ]のローヤル ダッチ エアラインズ[Royal Dutch Airlines]であるが、インピリアル エアウエイズ会社[Imperial Airways]は今年中に印度から濠洲に至る新航空路開設の計画で其の途中ラングーンから支那本部へ航空路を延長せんとして居り、エア オリエントの航空路はインピリアル エアウエイズと並行して印度支那のサイゴン迄来ているが、更に之を香港上海の方へ延長の計画を進めて居る、ローヤル ダッチ エアラインズ[Royal Dutch Airlines]は既にバタヴイアに至る九千哩の航空路を有しているが之も支那に於て英仏の二大会社と競争の計画を樹てている、
他方ルフト、ハンザ会社[ルフト、ハンザ会社]も既に支那に於ける営業権を獲得しソヴイトの航空トラストと密接な関係を結んでいる、然し中国航空公司の株は汎米会社の保持する以外は南京政府が持っているので同会社は重要航空路には特権を許されている、而して同会社は近き将来に上海、南京、漢口間に毎日旅客及び郵便飛行、上海、北平は一週間に三回、上海から揚子江に沿い重慶に至る間を一週に二回の定期旅客及び郵便航空路を開設する筈で此の外四川省の成都に至る航空路上海から広東、香港に至る重要な沿岸航空路をも計画しているから之等が完成すれば支那の定期航空は素晴しい盛況を呈するであろう
(完) 米国が開拓を急ぐ太平洋航空路
既に可能性を認め就航機を註文
汎米航空会社の話
米亜航空路
汎米航空会社[Pan Am]の支那進出は前々回本紙特信並に前回の電通華府郵信に見る通りであるが、汎米航空会社は既に西印度諸嶋、中米、南米に於て航空路経営に成功の経験を有しているので今後支那に於ける同社の活躍は米本国では大いに期待されている、まだ正式に航空路設置の独占権は認められて居らないとはいうけれども支那政府が五五%からの投資をしている汎米会社[Pan Am]に優先権のあることは容易に想像出来ることで、この点で独逸を厳然と押えているこうした因果関係がなかったならば独逸は迅くに航空路を開拓して本国及び在留実業家に尠からぬ利益を与えて居たに相違ない
前々回掲載の地図を見ると幾多の興味ある航空路を発見する、先ず汎米社のアラスカ枝線が将来東京及び南北支那を連継する米亜線の連絡線として突出している、この米亜航空路線は日本の経営する筈になっている東京−上海又は東京−北平線及びセントポール又はピューゼット・サウンドで加奈陀航空路とを結んで米本国の各航空路と連継するものである
写真(右)1931年10月以降,アメリカ、沿岸部を低空飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇::1928年10月に開発が始まったシコルスキー(Sikorsky)S-40は、単葉の四発大型飛行艇で38 人の乗客を運ぶことができたが、これは前作のS-38飛行艇の乗客8人を大幅に上回った。シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、1931年8月7日に初飛行、1931年10月12日、アメリカ大統領ハーバート・フーバー夫人ルー・ヘンリー・フーバー(Lou Henry Hoover)によって「 アメリカン クリッパー」と命名された。
Sikorsky S-40
Catalog #: 00071000
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-40
写真はSmugMug+Flickr. SDASM Archives 引用。
千哩損をしても南方コース
自国領のみ飛ぶ利益
更にわれ等の異常な興味と関心の対照となるのは米国の計画する南方太平洋横断航空路である、二年前までは、こうした計画は米国の航空関係者間でも嘲笑の種となったものである、太平洋ツエペリン会社は既に比律賓諸嶋と加州を継ぐ予定線の調査を完成した、しかしキングスフォード スミス氏がオークランドから濠洲への南太平洋飛行に成功してからはアメリカの航空界の技術家も経営者も太平洋横断は飛行機の領域であることを自覚するに至り専らこの方面に研究が進められて来た、
昨冬汎米航空会社々長ジュアン テイ トリッペ氏は時速一五〇哩を出し三千哩無着陸飛行が出来るスーパー クリッパー水上機[シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇]の建造をシュルスキー グレン マーチン会社と契約を了したことを発表している、非公式ではあるがリンドバーグ大佐を含む同社の技術部委員の意見によると目下実際に建造中の同機は大西洋並に太平洋横断が容易であることが報告されて居る
南線の利害
大洋航空に無電が実用上役立つことはキングスフォード スミス氏に依って実証され、更に太平洋横断コース上には幾多の嶋嶼が散在している、[シコルスキーS-40飛行艇なら]桑港から二千四百哩で布哇に達し、其処から横浜へのコースの北又は西に千三百二十哩でミドウェー嶋があり、ここから千二百六十哩飛べばウエーク嶋に達し、更に千五百哩でグアム嶋があるが、グアム嶋からマニラまでは千六百哩、ここまで来れば前々回で述べた通り香港までは六百三十哩の距離である、
この米国西岸から南太平洋を横断して上海に出るコースは八千哩余で実際航空時間六十時間を要するが、アラスカを経由する北方コースによれば南方コースに比して約一千哩を短縮することが出来る、しかし米国にして見れば南方コースは距離に於て不利でも全コース中マニラ香港間を除けば全く自国領のみを飛べるという大きな利益があるので汎米航空会社としても相当自信を以て南太平洋横断コース開拓の実現を待望しているわけである
(極東進出に成功の汎米航空会社 (一・二・完) : 支那の航空路を掌中に収めて : 世界周航路完成近し
引用終わり)神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ
写真(右)1939年、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、アメリカ海軍航空隊第6戦闘飛行隊(空母「ヨークタウン」搭載?)グラマン(Grumman) F3F-2艦上戦闘機(6-F-13)(0998):複葉機だが、引込み式降着装置を採用した。
Description Leaving Oakland Airport in 1939 after visiting NRAB Oakland.
Date 4 June 2011, 09:39
Source Grumman F3F-2 (0998) 6-F-13
Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:SBC Helldiver of the United States Navy File:Curtiss SBC-3 (0512) (6695790655).jpg引用。
写真(右)1937年-1940年、アメリカ、アメリカ海軍航空隊カーチス・ライトSBC ヘルダイバー(Curtiss-Wright SBC Helldiver)艦上爆撃機(5-S-12):初飛行:1935年12月9日
Ray Wagner Collection Image
PictionID:42976426 - Catalog:16_003339 - Title:Curtiss SBC - Filename:16_003339.tif - -- Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons, Category:SBC Helldiver of the United States Navy File:SBC-3 Helldiver VS-5 in flight c1939.jpeg引用。
カーチス・ライトSBC ヘルダイバー(Curtiss-Wright SBC Helldiver)艦上爆撃機(5-S-12)の諸元
初飛行:1935年12月9日
搭乗員 2名
全長:8.64 m
全幅:10.36 m
全高:3.84 m
全備重量:3,211 kg
発動機:ライト R-1820-34 空冷星型9気筒 950hp
最高速力:381 km/h
実用上限高度:7,750 m
航続距離:950 km
兵装
爆弾 452 kg
7.62mm機関銃×2
生産数:257機
写真(右)1937年-1940年、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、アメリカ海軍航空隊第5偵察飛行隊(空母「ヨークタウン」搭載)SBC ヘルダイヴァー(Curtiss-Wright SBC Helldiver)艦上爆撃機(5-S-12):1935年12月9日
初飛行の複葉急降下爆撃機で、引込み式降着装置を採用し、飛行中は主輪を胴体内に収納できる。
A U.S. Navy Curtiss SBC-3 Helldiver (BuNo 0543) of Scouting Squadron Five (VS-5) in flight. The squadron was assigned to the aircraft carrier USS Yorktown (CV-5) and flew the aircraft during from 1937 to 1940. The SBC-3 BuNo 0543 was retired on 6 July 1943.
Date circa 1937-1940
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.253.094
Author U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:SBC Helldiver of the United States Navy File:SBC-3 Helldiver VS-5 in flight c1939.jpeg引用。
写真(右)1937年-1940年、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、アメリカ海軍航空隊第5偵察飛行隊(空母「ヨークタウン」搭載)カーチス・ライトSBC ヘルダイバー(Curtiss-Wright SBC Helldiver)艦上爆撃機(3-S-3)(0512):複葉機だが、引込み式降着装置を採用した。
One of a group of three from Scouting Squadron Three visiting NRAB Oakland in 1938. It was a much better looking aircraft than the SBC-4.
Date 13 January 2012, 14:16
Source Curtiss SBC-3 (0512)
Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:SBC Helldiver of the United States Navy File:Curtiss SBC-3 (0512) (6695790655).jpg引用。
1−3.日米戦争は、早晩避けられぬ運命だ : 米下院に於て前空軍大佐が太平洋戦備を強調大阪時事新報
Vol: 第 29巻
Page: 41
出版年
1933-04-01
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100343934
【ワシントン連合三十日発】前アメリカ陸軍所属空軍司令官補ウィリアム・ミッチェル[William "Billy" Mitchell]大佐は三十日会員陸軍委員会に対しアメリカの陸海軍を一人の主長の下に統制し国防省を新設してアメリカ軍力の性能を増進し国防費の節減を図るべき案を提議し特に太平洋戦争の不完備を主張して左の如く述べた
国軍の能率を増進し年額二億五千万乃至三億弗の国防費節約を実現するため我国防費の節減充実を行うことが刻下の急務だと思う、先ず陸海空三軍を一つに統轄し一人の主長の下に国防省[Department of Defense]を新設すべきである、その他の重要国防問題は太平洋岸に集中されて居ることは言を俟たず、太平洋岸には世界の覇者を目指す極めて頑強有力な一国が控えて居る、余は彼等と共にシベリヤ、満洲、日本に暮したことがあるが彼等は恰も彼の成吉思汗[Genghis Khan]の遠征にでも出て居るが如き考を懐いて居るのである、吾々が欲すると否とを問わず吾々は早晩彼等と衝突せざるを得ない斯る情勢の下に於てアメリカがその空軍の充実を期せないのは大なる誤りである、何人も戦闘艦を建造しようとするものでない、彼等は斯く愚ではない(日米戦争は、早晩避けられぬ運命だ : 米下院に於て前空軍大佐が太平洋戦備を強調引用終わり)
写真(右):1940年、アメリカ、舗装滑走路上、濃紺迷彩塗装をしたアメリカ陸軍航空隊マーチン B-10爆撃機:操縦席コックピットから搭乗員か整備士が軽装で乗り出している。右の3翅プロペラはゆっくりと回転しているが、左のプロペラは停止しているようだ。
Martin : B-10 :
Catalog #: 00005624
Manufacturer: Martin
Designation: B-10
Official Nickname:
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, SDASM Archives pictionid56896245引用。
マーチン B-10爆撃機の諸元
乗員 4名
全長: 13.63 m
全幅: 21.60 m
全高: 3.48 m
翼面積: 63.4 平方メートル
全備重量: 7,460 kg
発動機:ライト R-1820-33 空冷エンジン9気筒 775馬力2基
最高速力: 343 km/h
実用上限高度:7,365 m
航続距離: 1,996 km
爆弾搭載量 1,050 kg
兵装:7.62ミリ機銃3丁
2−1.太平洋に於ける列国の海軍勢力
著者
軍令部参謀海軍大佐 下村正助『神戸新聞』 Vol: 第 31巻
Page: 7
出版年
1934-01-03/1934-01-04
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100344897
(上)
太平洋の波に洗われて居る多数の国々、その国々の内にて今日国際間に重きをなして居る一つは我日本帝国であって他の一つは『アメリカ』である。一は太平洋の西、他は太平洋の東にありて所謂太平洋を相挟んで対立して居るのである。またこの日本『アメリカ』の外に太平洋に面するカナダ、濠洲の関係からイギリスも亦太平洋に於て大切なる役割を持って日本及びアメリカの間に割込んで居るのである。尤も英国民の心持としては割込むなどとは怪しからん、寧ろ日本『アメリカ』が我が領分に割込んで居るのだと申すに違いあるまいと思う。
御承知の通り、日没することなしと主張して居たイギリス、そのイギリスの領土は実に全世界に跨り且つ過去数世紀に亘り海の王者として海を我物と致して居った。従ってイギリスとして此の観念は無理ならぬことである。日、米、英の外にフランスも亦その領土の関係より太平洋に関心を持って居るが海軍力の関する限り、太平洋に於ける勢力は寡くて日、英、米の比較にはならぬ状態である。然し乍らこれ等日本、アメリカ、イギリス、フランスの四国は太平洋の波の荒立たぬことを希望したであろうか。一九二一年『ワシントン』に於て互に太平洋方面に持って居る島島の権利を尊重すべきことを約束する所謂四国条約を締結して、太平洋の一定地域内に於ける防備制限をして居り実に太平洋の太平なるか否かはこの四つの国、取分け日米両国の責任に属するものが多いとせねばならぬのである。
今この四つの国の太平洋に於ける海上兵力、配備の状況を見るに、米国は海上兵力の殆ど全部を太平洋に浮べて居る。即ちその大部を米国西岸に集めその一部を割いて『アジア』艦隊とし『マニラ』を根拠として極東方面に遊弋させて居る。米国の艦隊の一部である索敵艦隊即ち一万噸八吋砲搭載巡洋艦七隻のほか航空戦隊、水雷戦隊等皆で七十一隻は従来は大西洋に配置せられてあった。一昨年二月上海事変の当時『アメリカ』は全艦隊を布哇に集中し、海軍大演習を行ったがこの索敵艦隊は未だ引続き太平洋に止まり、又昨秋に至り紐育の外大西洋岸にある海軍陸上設備即ち海軍工廠、造船所、無線電信所、海兵団等の思い切った縮小廃止等を断行した。
又先般海軍大臣『スワンソン』氏は索敵艦隊は極東の形勢に変化なき限り、太平洋に置く旨を声明した。この東洋の形勢に変化なしとは如何なる意味であるかは解らぬが彼此思い合すれば愈々腰を落着け問題の索敵艦隊は当分永く太平洋に止まるのではないかとも思われる。
尤も大西洋岸には未だ戦艦三隻が残って居るが之は大砲、機関等の近代化のため大修理を行って居るので何れも目下船渠に入って動けぬ状態である。従ってアメリカは其の海軍の全力を挙げて太平洋に集中して居ると云うも過言ではない。尤も昨年末に、今年の夏大演習のため全艦隊を大西洋に一時移動する旨を声明したが此の声明によれば演習後は再び太平洋に集中するならんと想像される。
次に米国艦隊の配備に関する沿革を述べると、一九一九年以前には全力を大西洋に集中して居った。其の後艦隊を二分し其の半分を太平洋に、他の半分を大西洋に置いて一昨年に及んだが、前述の通り昨年二月以来此の半部を大西洋より太平洋に移し現在では殆ど全力を太平洋に集中して居る有様である、従って大西洋の向う岸にあって『アメリカ』と均等の海軍兵力を持って居るイギリスには、何等の心配懸念もないかの如く、却って恰も一〇対六乃至は一〇対七の日米海軍は茲に太平洋を隔てて対抗洋上に相浮んで居るかの如き姿勢となった、今、太平洋に浮んで居る日米英仏の海軍兵力を比較すれば主力艦日本九隻、米国十二隻、英国なし、仏国なし、航空母艦日本四隻、米国三隻、英国二隻、仏国なし、其の他巡洋艦、駆逐艦、潜水艦合せて日本百七十八隻、米国百八十二隻、英国四十四隻、仏国三隻である。
更に日米英仏の持って居る全海軍兵力を噸数で示せば日本約七十二万噸、米国百五万噸、英国百十五万噸で仏国は五十六万噸である。以上太平洋に関係ある四大海軍国の海軍軍備並に現在太平洋上に游弋せる兵力に就て述べたが、嘗てイギリスの記者『ウイルスン』は『凡そ一国の興るや先ず其の兆を海軍に表し、其の将に衰退せんとするや、又其の兆を先ず海軍に見る』と、謂って居るが太平洋の舞台に活躍しまた活躍せんとする四つの国々、此の国々の将来の運命と、今持つ海軍とは果して『ウイルスン』の言う因果関係をなすや否や、これ等は将来を俟って『時』の審判に委すの外はない。
米国の海軍政策は華府軍縮会議後に成文として発表され又倫敦条約の結果一九三一年改訂発布されたもので、これに依ると『米国海軍は国家政策と通商を維待し本国並に海外領土の防禦に、充分なる勢力を保持しなければならぬ』と云うのが根本となって居る。米国の国家政策は云う迄もなく米大陸に於ける『モンロー』主義と極東に対する門戸開放、機会均等主義であるが、之に関して有力な海軍専門家が『モンロー主義には防禦的海軍で足りるが門戸開放主義の遂行には、攻勢的海軍を必要とする』と公言して居る。
扨て此の根本政策に基いて他の種々な政策即ち世界第一の海璽を作り之を維持し運用することや、海軍兵力の決定は第一に戦闘を目標とすることなど制定されて居って特に目立って我らの目に映ずるものは、平時より明日の戦闘に直に応ずる施設を強調して居ること、又いろいろの艦船の総てに亘って遠距離航海の出来ること専門的の言葉では行動半径を大きくして居ることで孰れも皆所謂遠洋作戦の準備でなきものはない、之が米国海軍の特徴である
日米関係の将来に関しては一昨々年以来満洲の事態に関する日米の見解は事毎に相反して未が解決を見ずして今日に持ち越して居るが従って此の点より日米外交の将来は決して楽観を許さずと判断する向もある。然しながら過去の大政治家、大外交家は常人の見て以て困難なりとする難事も、容易に解決するを例とした。私は軍人であるが、国民の一人として皆様と共に彼我大政治家、大外交家は必ずや日米の関係を外交最後の場面に導くことなく之を調節して、太平洋に於ける暗雲を一掃するの誠意手腕並に技量のあることを信じ亦之を希望するものである。或人は又次の様なことを云って居る。
米国は満洲事変以来、他の列国と同じく満洲に於ける吾行動を非難するに急にして、事態を静観するの余裕と雅量とに欠けて居る。形式は兎に角、日本及支那を真に諒解して居らぬ。凡そ過去現存に亘り無限に継続する時より、或る瞬間のみを切り離し唯日本の武力行使を見、其の因って来る過去の原因を探らず唯一途に武力行使より出発して日本を非難して居るの観がある。元来自己の尺度を以て、何物を判断すると云うことは、免れぬ所であるが、軈て米国も極東の真相を諒解し、過去に於て極東に向って自分の物指しを用いたるの、不明を悟り、又支那の政府其ものが果して支那四億の民衆の意思代表であるや否やを検討する必要がある。
旦支那には目下多分に共産的危険性を含み之が軈て自分に振りかかって来る運命なることを洞察すると共に、日本が極東平和の安定上必要である所以を自覚し結局日本を通じてで無ければ、自己の極東政策の実現も不可能なるを悟り、日米真に諒解するの時機が来る
と云うて居るが私共は之を信ずるものである。
次に軍備と密接な関係のある戦争の原因について一言致すならば、有史以来、国興り国亡ぶるもの枚挙に遑なきほどである、干戈を交うるもの千を以て算うべく、戦争動因の形式に至っては千態万様である。然しながら之等を一貫する通則は『或る一定の地域に於ては同格なる二人の主人の存在を許さないこと』でなければならぬ。
更に又留意を要することは、戦争の原因は経済的打算に左右せらるるということ。之は重要な一大理論ではある。然し古来の戦例に依ると、戦争の原因は必ずしも利害の打算にのみ帰することは出来ない。或は感情等に支配せられることもあって、戦争には所謂算盤に乗らぬ部分のあることである。
最後に、近来国防思想が普及し、従って殊に敵の飛行機に対する郷土防衛に就いて国民一般に努力して居らるることは誠に結構なことで私は更に百尺竿頭一歩を進めて『海防即防空』であることを世人によく諒解して戴きたいと思うのである。是は私が海軍軍人なるが故に斯く絶叫するのではない。帝国は四面海を以て繞らす海国であるから完全なる防空、徹底的防空には其の根元となる所の敵の航空根拠地又は敵の航空母艦を撃破せなければならぬのであって飛行機が我国土の上空に現れてからでは既に遅い。元来比常なる速力で攻め寄せて来る飛行機を大砲で一々射止めることは却々困難である。
仮令内地沿岸から多数の飛行機を出して防衛するにしても其の範囲は沖合二、三百浬を出ることが出来ないのであるから、どうしても敵飛行機の根元を撃つ必要があるのである。勿論これとても或は撃ち洩らす場合もあり敵飛行機が絶対に内地に来襲しないことを断言することが出来ぬから郷土防衛も必要なことは之を認めるが、之を以て吾が事終れりとする考えが若しありとすれば非常な誤りを招くことになりはせぬかと憂うる次第で一言茲に附け加えた訳である。(太平洋に於ける列国の海軍勢力
著者
軍令部参謀海軍大佐 下村正助引用終わり)
写真(右)1938年10月、アメリカ、カリフォルニア州州オークランド飛行場、アメリカ海軍航空隊ダグラスTBD デヴァステイター(Douglas TBD Devastator)雷撃機(先頭)、カーチスSBC ヘルダイヴァー(Curtiss-Wright SBC Helldiver)艦上爆撃機、グラマンF3Fフライングバレル(Grumman F3F Flying Barrel)艦上戦闘機(奥):1935年4月15日初飛行のダグラスTBD デヴァステイター(Douglas TBD Devastator)の諸元:
乗員:3名(パイロット、雷撃手/航海士、通信士/銃手)
全長:10.67 m
全幅(翼長・翼幅):15.24 m
全高:4.60 m
翼面積:39.2 m2
空虚重量:2,540 kg
満載重量:4,213 kg
最大離陸重量:4,624 kg
発動機:P&W R-1830-64 ツイン・ワスプ 900 HP (672 kW)
最高速力:331 km/h
航続距離:700 km (雷撃時)、1,152 km (1000 lb (454 kg) 爆弾搭載時)
兵装:
ブローニング 7.62mm AN/M2 機関銃 または ブローニング AN/M2 12.7mm機関銃 前面固定×1
ブローニング 7.62mm AN/M2 機関銃 後方旋回×1
Mk.XIII魚雷 ×1
生産数:129機
A U.S. Navy Douglas TBD-1 Devastator (BuNo 0322) of Torpedo Squadron 6 (VT-6) joins and Grumman F3F-2 of Fighting Squadron 6 (VF-6) and an Ccurtiss SBC-3 Helldiver (BuNo 0545) of Scouting Squadron 6 (VS-6) in a flight over the Virginia countryside. All squadrons were part of the Enterprise Air Group.
The TBD-1 0322 was lost when it stalled on take-off from the aircraft carrier USS Enterprise (CV-6) on 10 March 1939. The crew was not injured.
Date circa 1938
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.253.993
Author U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:SBC Helldiver of the United States Navy File:TBD F3F SBC of Enterprise Air Group c1938.jpg引用。
2−2.ヒリッピンの根拠地を愈よ放棄せん : 独立に対するアメリカの妥恊交渉近く成立『神戸新聞』
Vol: 第 31巻
Page: 93
出版年
1934-02-26
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100345083
【ワシントン二十四日発連合】ヒリッピン独立に関するホーズ・カッティング法がヒリッピン議会の拒否に遭い無効に帰したためアメリカ政府当局ではこれが妥協策とし独立許容後ヒリッピンにあるすべての陸海軍要塞根拠地を放棄する案をたて慎重にこれを研究するとともにマニラ当局と交渉中であるがいよいよ右の方策が実現すればアメリカの太平洋における最前線根拠地はハワイ真珠湾となり従って極東に対するアメリカの軍事行動計画は根本的変革を要することとなるのである、アメリカ政府の考慮している妥協案は前述の如く今後十数年後ヒリッピンに独立政府が確立された場合同島にある軍事施設を全部独立政府に引渡すものであり右の妥協交渉は近く成立するものと期待されている(ヒリッピンの根拠地を愈よ放棄せん : 独立に対するアメリカの妥恊交渉近く成立引用終わり)
写真(右)1939年11月、アメリカ領、フィリピン、ルソン島上空を低空飛行するアメリカ陸軍航空隊第28爆撃飛行隊所属のマーチン(Martin)B-10B 爆撃機(57):方位測定用の環状ループアンテナを胴体中央上面に取り付けている。迷彩塗装はせず無塗装にである。主輪は引込み式だが、密閉収納ではなく、主輪は外から見えている。
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46166278 - Catalog:16_007721 - Title:Martin B-10B 28BS Philippines Nov39 [USAF 30193 AC] - Filename:16_007721.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr. SDASM Archives引用。
2−3.駐米英総領事の本国召還を提議 : 大海軍案の阻止策動説にアメリカ共和党議員憤慨『大阪朝日新聞』
Vol: 第 32巻
Page: 18
出版年
1934-04-22
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100343905
【電通ワシントンニ十日発】アメリカ下院前海軍委員長共和党議員フレッド・ブリテン氏は二十日下院においてイギリスのニューヨーク総領事ジェラルド・キャムベル少佐の本国召還を提議して俄然問題を起した、ブリテン氏は
『キャムベル氏がスワンソン大海軍建造法案の成立を阻止すべき策動を試みたのは怪しからぬ』
と難じハル国務長官をしてキャムベル総領事の本国召還方をイギリスへ要求するように依頼するつもりだ
と敦圉いている、
ブリテン氏は案の下院通過以前に妨害する目的で該案反対の宣伝運動を指導したキャムベル氏のほか数名の駐米イギリス外交官を挙げ
余はアメリカ国防策に異議を挟む演説を試みるが如き他国の外交官に大反対を唱うるものである
これに対し民主党議員トーマス・ブラントン氏は
ブリテン氏はイギリス政府はわれらの友人であることを想起しかかる要求をなす以前に熟慮すべきではないか
と注意したが、ブリテン氏は再び起って
然らば我が友邦は速に戦債を支払いその誠意を示して欲しいものだ
と皮肉った(駐米英総領事の本国召還を提議 : 大海軍案の阻止策動説にアメリカ共和党議員憤慨引用終わり)
写真(右)1934年、アメリカ、濃紺に迷彩塗装されたアメリカ陸軍航空隊のマーチン(Martin)B-10双発爆撃機:機首側面には部隊マークが描かれている。国籍マークとして主翼上下に青丸白星赤丸、垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いているが、胴体側面に国籍マークは描かれない。
Martin : B-10 :
Catalog #: 00005679
Manufacturer: Martin
Designation: B-10
Official Nickname:
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はInstitute of Museum and Library Services SDASM Archives 引用。
写真(右)ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10爆撃機の機首左側に立つ飛行服姿のヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)大佐(1886年6月25日 - 1950年1月15日) :
SDASM Archives
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Arnold, Henry Hap
Catalog #: BIOA00218
Last Name: Arnold
First Name: Henry Hap
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。
ヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)は、マーチン(Martin) B-10爆撃機10機を率いて、ワシントンD.C.ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)を発進、ミネアポリス、カナダのウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由しアメリカのアラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)まで8,290マイル (13,340 km)の北アメリカ縦断往復飛行に成功した。
ヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)は、第一次大戦中、アメリカ参戦前の1915年に大尉でロックウェル基地の操縦術教練を受けた。1917年8月、大佐(戦時)として新設の陸軍航空部に勤務。1933年7月、マーチンB-10爆撃機10機編隊でワシントンDCを起点にミネアポリス、ウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由しアラスカのフェアバンクスまで7400マイルを往復飛行した。1935年2月、准将に特進。1942年3月、大将としてアメリカ陸軍航空軍司令官に任命された。1943年2月、カサブランカ会談に出席、その後中国を訪問したこともある。
2ー4.アラスカへ米国陸軍[マーチンB-10]爆撃機十台で編隊大飛行 : 空の防備強化七月上旬決行『大阪朝日新聞』
Vol: 第 32巻
Page: 198
出版年
1934-06-23
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/np/0100343990/
[写真(アーノルド中佐)あり 省略]
【ワシントン二十一日発連合】米国陸軍は七月上旬を期しアラスカのフェアバンクスに向け[マーチン(Martin) B-10]爆撃機十台から成る編隊大飛行を敢行するに決し二十一日右飛行計画を発表した今回の壮挙の目的は
「訓練ならびに撮影飛行」と公称しているが海軍が今年一月爆撃飛行艇[Consolidated P2Y-1]六台の編隊飛行でサンフランシスコから太平洋上の前哨基地真珠湾まで航程二千四百マイルを一気に翔破したのと相呼応し応急出動の訓練を遂げ要衝地点に空の防備強化を計るものと見られる
米陸軍省発表の計画内容左の如し
時期 七月上旬▲参加機 陸軍爆撃機[マーチン(Martin) B-10]十台▲参加将校指揮官 カリフォルニア州リヴァサイド飛行隊長ヘンリー・アーノルド [Henry Arnold]中佐、飛行将校二十名、下士一名▲コース ワシントンを起点としミネアポリス、ウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由(右各地に着陸)してアラスカのフェアバンクスに達する▲総飛行距離 七千三百三十五マイル▲飛行日数 五十日(アラスカへ米国陸軍[マーチンB-10]爆撃機十台で編隊大飛行 : 空の防備強化七月上旬決行引用終わり)
写真(右)1937-1939年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-10双発爆撃機の右側面:右主翼外側に速度計測用のピトー管が取り付けられている。第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで)の青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。初飛行は、1932年2月16日。アメリカ陸軍航空軍が採用した最初の全金属製単葉双発引込み脚爆撃機である。競争相手のボーイング社のモデル215(YB-9)は、金属製ではあったが、固定脚で、開放式コックピットの機体だった。他方、マーチンB-10は引込み脚、密閉式コックピットで、航続距離も1400マイル、最高速力も時速207マイルで、22マイル以上も早かった。アメリカ陸軍はすぐに14機のB-10を発注した。
Martin : B-10 :
Catalog #: 00005655
Manufacturer: Martin
Designation: B-10
Official Nickname:
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr. SDASM Archives 引用。
1933年1月17日、アメリカ陸軍は48機の マーチン・モデル(Martin Model)139単葉爆撃機(monoplane bomber)を発注し、この中で合計32機がYB-12とB-12A(7機がYB-12、25機がB-12A)である。この両機の差異は、搭載エンジンの種類で、YB-10の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney:P&W)R-1690-11空冷星形エンジン「ホーネット」(Hornet)で、B-10爆撃機は、ライト(Wright)社の空冷星形エンジン「サイクロン」(Cyclones)である。
写真(右)1932年、アメリカ、離水しようと海上を高速で滑走するアメリカ海軍航空隊コンソリデーティッド(Consolidated) P2Y双発飛行艇:1929年1月10日初飛行、1941年には退役、生産機数78機。 乗員: 5名
全長: 61 ft 9 in (18.82 m)
全幅: 100 ft 0 in (30.48 m)
全高: 19 ft 1 in (5.82 m)
主翼面積: 1,514 sq ft (140.65 m2)
空虚重量: 12,769 lb (5,792 kg)
総重量: 25,266 lb (11,460 kg)
発動機: 2 × Wright R-1820-90 Cyclone空冷星形9気筒エンジン750 hp (559 kW)。
Description The U.S. Navy Consolidated XP2Y-1 flying boat (BuNo A8939) pictured spashing through rough seas on a take off run.
Date circa 1932
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 2010.060.001.014
Author U.S. Navy
写真はCategory:Consolidated P2YFile:Consolidated XP2Y-1 taking off c1932.jpeg引用。
解説:1934年7月から8月にヘンリー・ハーレー・“ハップ”・アーノルド (Henry Harley "Hap" Arnold: 1886−1950)中佐は、新鋭マーティン(Martin)B-10双発爆撃機10機の編隊で、アメリカ東部ワシントンDCのボーリング基地(Bolling Field)からアラスカ州フェアバンクス( Fairbanks)まで8,290マイル (13,340 km)の北アメリカ横断往復飛行に成功した。この功績で、アーノルドは、1935年、マッキー・トロフィーを受賞し、3月に2階級特進し、准将(Brigadier general)に昇進した。太平洋戦争勃発直後、1941年12月15日、アーノルドは中将に昇進。
写真(右)1931-1934年、アメリカ、ニューヨーク市上空を低空飛行するアメリカ海軍航空隊第10哨戒飛行隊コンソリデーティッド(Consolidated) P2Y双発飛行艇(s/n 2101) :日本向けに改造された仕様。最高速力:149 mph (240 km/h, 129 kn)
巡航速力: 118 mph (189 km/h, 103 kn)
航続距離: 1,180 mi (1,899 km, 1,030 nmi)
実用上昇限度: 16,100 ft (4,265 m)
上昇率: 650 ft/min (3.3 m/s)
兵装:
3 × .30 in (7.62 mm) M1919ブローニング(Browning)旋回機関銃
爆弾:2,000 lb (910 kg) 。
Description An unidentified Consolidated P2Y (s/n 2101) in flight. This may be the Consolidated "HXC" or "Navy Experimental Type C Flying Boat" produced for Japan. Note the blimp on the right.
Date circa 1934
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1993.195.001.008
Author U.S. Navy
写真はCategory:Consolidated P2Y File:Consolidated P2Y in flight c1934.jpeg引用。
2−5.斎藤大使・外相に報告 : アメリカは依然―大海軍主義を堅持す : 軍縮の基調は両条約の強化 : 対日感情次第に冷静『神戸新聞』
Vol: 第 33巻
Page: 12
出版年
1934-07-18
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100344361
斎藤駐米大使は十七日午後四時半横浜着と同時に外務省に広田外相を訪問、着任より今日までのアメリカの情勢を左の如く詳細に報告、次期海軍会議に対処すべき外交工作上最も重要なる地位にあるアメリカ大使としてルーズヴェルト大統領ハル国務長官その他アメリカ朝野の有力者と会見の結果得たる貴重なる対米外交の体験を外相に報告併せて今後海軍会議に臨むに当っての献策をなし外相と人を交えず懇談一時間半に亘り同五時四十分辞去したが十八日からは大角海相、林陸相とも会見を行い所信を披瀝するはずでこれがため軍部外務のアメリカの認織を深め必ずや来年の会議に臨む帝国政府の対策に貢献するところ多大なものがあろう、即ち
一般情勢
アメリカは最初スチムソンドクトリン[The Stimson Doctrine]を真向に振り翳して満洲国の成立を拒否していたが満洲国が帝政を実施し独立国として著しい躍進をとげつつある事実に直面し、予想外の感にうたれているようで、かかる状態ならば日本の援助によって円満に発展して行くなら干渉する必要はあるまいという空気が強いハルメッセーヂ中にも広田[弘毅]、ハルメッセーヂ中にもハル[Cordell Hull]国務長官は日米間には何ら問題はないと外相の意見に賛成しているのはこの間の消息を伝えている、
アメリカ官辺では日米関係の調整には広田、ハルのメッセーヂによって十分であり今更不戦条約、不可侵条約の締結というようなことを考えていない、この点日本と同感のようだ
対日感情
対日感情を打診するアメリカは非常時打開のNRAの産業復興計画で他を顧みる余裕ない現状である通商関係について見るに近時日米間に互恵協定を締結せよとの声があるがこれはオランダなどヨーロッパの国々に適合することで日米間は多角貿易のよくバランスのとれた理想的ステータスであるからこれに互恵制採用の必要はない、これは日米国交上誠に結構な次第である、排日移民法が悪法なことは識者のつとに諒解せるところで、これが撤廃の空気は濃厚で殆ど時の問題とされている、
以上の如く最近のアメリカは両三年前より余程冷静となって来た、ルーズベルト[Franklin Roosevelt]大統領ハル[ Hull, Cordell]国務長官も大所高所より事象を判断しつつあるから外交工作よろしきを得ば日米国交の将来は期してまつべきものがある
海軍情勢
海軍ではワシントン、ロンドン両条約の維持乃至強化を軍縮の大方針としている、現海軍部内は相当強硬なる意見を有しロンドン条約を締結した諸星は面白からぬ立場にあるアメリカ労働階級は主に生活にありつくことを第一義としているからたとえ軍備拡張になろうと失業救済となればこれに参加するであろう、目下のところ労働階級か平和運動に余り関心を有していない、条約許与量一杯の建艦事業たる産業復興法ならびにヴィンソン拡張計画は所定の如く完成すると見て誤りあるまい、
アメリカでは優勢海軍の保持の理由として海岸線の長大なること海外物資の輸入確保のため大海軍主義を高調していることは今なお同様である来年の海軍会議にも相当強硬なる態度をもって臨むことは予想されるしかしながらルーズヴェルト大統領が大海軍論者であると考えるのは当らない日本が既存条約より脱却するとの主張にはまだアメリカは批判を加えていない
(斎藤大使・外相に報告 : アメリカは依然―大海軍主義を堅持す : 軍縮の基調は両条約の強化 : 対日感情次第に冷静引用終わり)
マーチン社は試作機XB-907を1932年2月16日に初飛行させ、1932年3月にXB-907試作機は、最高速力317 km/hをだした。これは当時としては高速で、当時のアメリカ戦闘機よりも早かったため、高速爆撃機として注目を浴びた。1933年に機首に機関銃座を設けたXB−907Aが、アメリカ陸軍により、YB-10の名称で48機が発注された。
2−6.次の世界大戦に列国頻りに備う : "無敵空軍"提唱 : アメリカ元陸軍長官らの空軍拡充案公表『大阪朝日新聞』
Vol: 第 33巻
Page: 25
出版年
1934-07-24
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100343877
[写真(ベーカー氏)あり 省略]
【ニューヨーク特電二十二日発】イギリスは空軍の拡張計画を発表し、近来アメリカもアラスカに一大飛行根拠地を設置する意向あるなど列国の軍事作戦が空軍に重点をおく傾向が顕著となって来た折柄、昨年末陸軍長官によって任命された元陸軍長官ニュートン・ベー力ー氏を首班とするアメリカ空軍調査委員会はかねて報告書作成中のところこのほど成案を得陸軍長官の手許まで提出した、右報告書は二十一日付で発表されたがその内容は各般にわたり空軍を拡張して"無敵空軍"を目標とするものですなわち左のごとくである
一、陸、海軍の空軍を合体しこれを陸海軍省の管轄から独立せしむる案は重大なる欠陥を生じ一旦緩急ある場合国防の安全を阻碍するおそれあるのみならず国民に不必要なる財政的負担を課するとの理由をもってこれに反対を主張している
一、現在の航空隊員十一万五千を二十八万に増大し戦闘機を更に八百二十台建造して総数を二千三百二十台たらしめ、これを空軍参謀本部に直轄せしめる、しかしてこの本部将官には有力なる将官を任命しこれに絶対的権限を附与する案を提唱している
一、飛行機工業を監督し、一旦緩急ある場含には直に大量生産をなし得るよう平時において予じめ準備せしむる
一、人事行政の法規を改正し将校ならびに下士卒の適当なる昇進の途を開き五ヶ年計画をもって空軍の拡張充実をはかること
一、陸軍機は特殊の目的を有するが故に郵便飛行には適せざること
一、陸軍機の性能を賞讚しもし予算が許せば最も近代的な飛行機をもってアメリカが世界各国に比し最強の空軍を直に保持しうる可能性あることを確信しアメリカ空軍が能力劣れりとの風評を不当なりとしている
一、飛行士の訓練制度を変更しその昇進を速かならしむること
一、陸軍空軍と民間飛行界との連絡を密接ならしむること
右の如くであって先年実行された五ヶ年計画の失敗を再び繰返すことなきよう警告している、しかしてダーン陸軍長官はベーカー委員長に書翰を寄せ『余は原則として報告書の結論ならびに提案に賛成するに躊躇しない」と述べている(次の世界大戦に列国頻りに備う : "無敵空軍"提唱 : アメリカ元陸軍長官らの空軍拡充案公表引用終わり)
写真(右)1934年5月31日、アメリカ、ニューヨーク沖、14インチ三連装砲塔4基搭載のアメリカ海軍テネシー(Tennessee)級戦艦「カリフォルニア」USS California (BB 44) :起工 1916年 10月25日
進水 1919年 11月20日
就役 1921年 8月10日。排水量 基準:32,600トン、満載:35,190トン
全長 190.35m
全幅 34.74m
吃水 10.36m
最高速力 21ノット
兵装: 50口径14インチ35.6cm砲三連装砲4基12門
38口径5インチ12.7cm砲14門。
80-G-463936: Aerial oblique view of USS California (BB 44) off the port quarter while off New York, May 31, 1934. Official U.S. Navy photograph, now in the collections of the National Archives. (2016/09/20).
Date 20 September 2016, 11:18
Source 80-G-463936
Author National Museum of the U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:USS California (BB-44)
File:80-G-463936 (29194906683).jpg引用。
写真(右)1932年、アメリカ、ニューヨーク沖、16インチ連装砲塔4基搭載のアメリカ海軍コロラド(Colorado)級戦艦1番艦「コロラド」USS Colorado (BB-45) :発注 1916年8月29日
起工 1919年5月29日
進水 1921年3月22日
就役 1923年8月30日。排水量 基準:32,500トン、
満載:33,590トン
全長 190.20m
全幅 32.92m
吃水 9.07m
機関 蒸気タービン 4軸:
28,900 shp (22 MW)
最高速力 21ノット
兵装: 45口径16インチ40.6cm砲連装砲4基8門
38口径5インチ12.7cm砲14門。
English: The modernized U.S. Navy battleship USS Colorado (BB-45) steams off lower Manhattan (New York City, USA), circa 1932.[1]
Date circa 1932
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 2004.042.052 [1]
写真はWikimedia Commons, Category:USS Colorado (BB-45) File:USS Colorado (BB-45) New York 1932.jpg引用。
2−7.海軍軍縮問題の概観 (1〜2)著者
海軍軍事普及部委員長海軍大佐 野田清『大阪朝日新聞』
大阪朝日新聞
Vol: 第 33巻
Page: 146
出版年
1934-09-14/1934-09-19
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100344978
(1) 華府[ワシントン]条約の基準に矛盾
軍備の制限縮小—軍縮—に関する問題は大正十年のワシントン会議以来特に最近において重要なる国内及び国際問題と化し一般に多大の関心をもたるるようである、動機は必ずしも一様でないが、軍縮の着想は太古より存在し、紀元前四百四年ペロポネサス戦争でスパルタがアテネを屈服した時の講和条約において、アテネの軍艦を十隻に制限した事例がある、爾来今日にいたるまで海、陸、空軍備の制限縮小に関する諸般の会議がしばしば開催せられて戦争の結果などにより出来上った一方的の軍縮条約は相当あるけれども、関係国相互間の軍縮協定は海軍においてのみ多く実現している、それは何故であろうが、政治的、経済的などの環境による影響は別とし海軍軍備自体が制限縮小に好適なる条件を有している、すなわち
一、軍縮の基準として例えば現有勢力主義とか、均等主義とか、比率主義とか比較的簡明でかつ適用に便なるものがあること
二、軍縮の対象として軍艦という明確なるものがあること、軍縮の規定が履行せられているか否かを監視するような制度を設けなくとも相互に十分これを遵守し得ること
以上はもとより比較的のことであるが、海軍軍縮を実現せしめた特徴と見做さるべきものである、試みに空軍について考えるならば、民用飛行機は迅速かつ容易に軍用に転化せられ得るであろうし、また飛行機数を制限するも、その履行を確実ならしむるためには絶えず監督を要するであろう、また設備さえ整頓しておれば制限を越えて多数の飛行機を短時日に製造し得るから、空軍軍縮の基準の対象が明確を欠きその実行の監視が容易でなく、海軍軍縮が先んじて実現し、また空軍および陸軍軍縮が大なる努力を払われたるにもかかわらず、今日なお何ら実質的協定に到達しないのもこれがためである
問題は軍縮方式
さて海軍軍縮を考察する場合において、もっとも重要なるものはいうまでもなくその制限縮小に関する基準方式である、何となればこれが軍縮の核心をなしその協定の価値を定むる素因であるからである、筆者はここで主として、従来いかなる軍縮基準が提唱せられまた採択せられたるか、さらに来るべき会議に際してはいかなる基準が最適であるか、などの点について簡述せんとするものである
写真(右)1936年頃、アメリカ領パナマ運河地帯、アメリカ海軍コロラド級戦艦コロラド(USS Colorado (BB-45)):1917年12月18日就役、基準排水量3万3,400トン、全長190.20 m、全幅32.39 m、最高速力21ノット、45口径40.6cm砲連装砲塔4基8門、51口径12.7cm単装砲14門。籠マストの戦艦コロラド (USS Colorado (BB-45))は、1941年1月27日からハワイ諸島オアフ島真珠湾を拠点としたが、実戦準備のためアメリカ本土西岸ワシントン州シアトル郊外のピュージェット・サウンド海軍工廠 (Navy Yard Puget Sound) で整備が行われた。そのために、1941年12月7日の日本の真珠湾奇襲攻撃を免れた。1942年3月31日に整備がなったが、この時点で戦艦「コロラド」は太平洋艦隊で唯一無傷の主力艦となった。
SDASM Archives
USS Colorado BB-45
Catalog #: SHIPS01461
Ship Name : USS Colorado
Hull #: BB-45
Country : USA
Ship Type : Battleship
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1936年、アメリカ領パナマ運河地帯、籠マストのアメリカ海軍コロラド級戦艦コロラド(USS Colorado (BB-45)):起工1911年4月17日、進水1912年5月18日、就役1914年3月12日。基準排水量2万70400トン、全長175 m、全幅29.02m、45口径40.6cm連装砲塔4基8門、51口径12.7cm単装砲12門。籠マストは、鋼材を籠状に編み上げて、軽量で耐弾性のある上部構造と考えられた。戦艦テキサスは、第一次世界大戦、第二次世界大戦では大西洋方面での輸送船団の護衛に従事。1942年11月、北アフリカ戦線トーチ作戦、1944年6月ノルマンディー上陸作戦に従事し、地上砲撃の火力支援に従事。1944年後半に太平洋方面に回航され、1945年2月の硫黄島、1944年3月の沖縄の攻略作戦で、地上砲撃の火力支援に従事。ペンシルベニア級戦艦ペンシルベニアとアリゾナは、当初、籠マストを採用したが、1930年代初頭に三脚マストに改装された。
SDASM Archives
BB in panama Canal 1936
From the San Diego Air and Space Ship Image Collection
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1936年、アメリカ領パナマ運河地帯、アメリカ海軍ニューヨーク級戦艦2番艦テキサス (USS Texas, BB-35):三脚マストの戦艦テキサスは、起工 1911年4月17日、進水 1912年5月18日、就役 1914年3月12日。基準排水量2万70400トン、全長175 m、全幅29.02m、 最高速力21ノット、45口径35.6cm砲連装砲塔5基10門、51口径12.7cm単装砲21門。ニューヨーク級戦艦は、ニューヨーク (BB-34)とテキサス (BB-35)の2隻のみ。第一次世界大戦、第二次世界大戦では大西洋方面での輸送船団の護衛に従事。1942年11月、北アフリカ戦線トーチ作戦、1944年6月ノルマンディー上陸作戦に従事し、地上砲撃の火力支援に従事。1944年後半に太平洋方面に回航され、1945年2月の硫黄島、1944年3月の沖縄の攻略作戦で、地上砲撃の火力支援に従事。
SDASM Archives
USS Texas Panama Canal 1936
From the San Diego Air and Space Ship Image Collection
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive引用。
ワシントン軍縮会議[Washington Naval Treaty](大正十年)
ワシントン会議はアメリカ大統領の招請により、日英米仏伊五国参加の上大正十年(千九百二十一年)十一月ワシントンに開催せられた、会議の主なる目的は当時熾烈なりし主力艦の造艦競争を休止するにあったが、会議の劈頭、アメリカ全権ヒューズ氏は海軍勢力制限縮小の基準として次の原則を提議した
一、実行中もしくは既定の主力艦建造計画は全部これを放棄すべきこと
二、老齢艦のあるものを廃棄することにより更に縮小を行うこと
三、一般に関係列強の現在海軍力に考量を加うべきこと
四、主力艦の屯数をもって海軍力測定の基準となし一定の補助艦艇の勢力をこれに比例して割当つべきこと
アメリカの提案については各国全権に種々意見あり、審議折衝を重ねたるも結局主力艦、航空母艦においては右の原則に準拠し大体別表に示すが如き協定に到達し、補助艦については保有量の制限をなすことなくワシントン条約の締結を見ることとなったのである
アメリカの提議せる制限縮小の基準は主力艦の建造休止と大縮減を行い、その現有勢力を基準とせる比率主義により各国の保有量を規定し、更に航空母艦その他補助艦(巡洋艦、駆逐艦、潜水艦)の保有量は主力艦の比率を適用してこれを定めんとしたもので大体において「現有勢力を基礎とする艦種別差等比率主義」と称すべきである、これは当時の情勢においては或は一基準であろうが、その内容には多大の矛盾欠陥を包蔵しているものといわねばならぬ、その主なる点をここに指摘しよう
(イ)現有海軍勢力についてはこれが算定に明瞭を欠く点あり、またこれか如何ように定めらるるとしても当時の海軍兵力は世界大戦およびその後の特殊の状態によりて出来上ったものであってこれをもって直ちに各国の所要兵力の基準とすることは適当でない、たとえばイギリスは独国海軍に対抗させるため全力をもって主力艦を建造し大兵力を有せるに反しフランスは陸軍の充実に専念し建艦を休止せるため、両国海軍力の差隔が甚大となっている、なおアメリカは大戦終期に参戦し、その勢をもって尨大なる建艦に着手したときであったので建造中の軍艦が非常に多い、しかもアメリカは建造中の艦艇も現有勢力に加えることを主張しその建造率によりこれを算入したのである、斯の如くその根柢において矛盾ある現有勢力を基礎とした差等比率主義であるからこれが公正妥当となし得るはずはない
(ロ)次に補助艦制限縮小の基準として主力艦の比率を適用せんとしたことはこれまた甚しき矛盾である、何となれば補助艦即ち巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などの艦艇は大体において防禦的の性質を多分に帯び各国の状況に応じその所要量を定むる必要があるに拘らず、これを相対的兵力にして且つ攻撃的性質を有する主力艦と同様に律せんとせるは補助艦の本質を考慮せざりしためであろう、フランス全権サロー氏が「フランスは潜水艦九万トンを要求し、補助艦割当屯数三十三万トンを要求す」と主張せるは補助艦の自主的所要を表現せるものであって補助艦の協定が遂に不成立に終ったのは自然の帰結と見ねばならぬ
ワシントン条約における制限縮小の基準が右の如く妥当でなかったので漸次その欠点が現われ最早今日の事態に適応せないものとなりいよいよ更新を叫ばるるに至ったのも当然であろう
[図表(華府会議当時(大正十年十月)五大海軍国主力艦保有量調)あり 省略]
(2) 現有勢力が無視されたロンドン条約
[図表(ロンドン条約内容(補助艦兵力)一覧)あり 省略]
ワシントン[軍縮]条約」[Washington Naval Treaty]は、主力艦の建造を休止し得たのであるが、補助艦保有量に関する制限規定を欠いているために、補助艦殊にその中心勢力たる中級巡洋艦の建艦競争を出現せんとする情勢に至ったのでアメリカ政府の提唱により昭和二年(一九二七年)ゼネヴァにおいて日、英、米三国海軍会議が開催せられた、この会議は補助艦に関する協定を目的としたが、イギリスは小型巡洋艦多数主義を、またアメリカは大型巡洋艦主義を持し、各その主張を譲らざりしため帝国全権の熱心なる斡旋にも拘らず会議は遂に決裂に終ったのである、会議失敗の原因は補助艦制限に関し英、米両国の異りたる要求を調節すべき適当なる基準がなかったためで、問題が解決せざりしことは寧ろ当然である。
写真(上)1930年後半、欧州、ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加したアメリカ海軍ノーザンプトン級重巡洋艦1番艦ノーザンプトン (USS Northampton, CL/CA-26):1941年9月、太平洋方面の第5巡洋艦戦隊司令官レイモンド・スプルーアンス少将は、重巡洋艦4隻(ノーザンプトン、チェスター、ペサンコーラ、ソルトレイクシティ)ろ隷下にノーザンプトンを旗艦とした。
起工 1928年4月12日
進水 1929年9月5日
就役 1930年5月17日
全長 600 ft 3 in (182.9 m)
全幅 66 ft 1 in (20.1 m)
最高速力 32.5 ノット
8インチ砲9門(三連装3基)
21インチ魚雷発射管三連装3基
搭載機 2機
写真はWikimedia Commons Category:USS Northampton (CA-26)
File:USS Northampton CA-26 late 1930s.jpg引用。
ロンドン海軍会議(昭和五年)
ゼネヴァ三国海軍会議失敗の結果、アメリカにおいて甲級巡洋艦の大建造計画が決定せられるなどのことにより両国の関係悪化したるため、両国政府は巡洋艦問題に関する政治的解決をなし国交の親善を計らんとして種々折衝の結果遂に補助艦保有量を均等とする原則を協定したので、イギリス政府の招聘により昭和五年(一九三〇年)ロンドン[海軍軍縮会議]において日、英、米、仏、伊五国参加の上補助艦制限会議が開催せられた英、米両国は補助艦制限の基準としてワシントン条約規定の主力艦比率を適用せんことを提唱したのである、
この基準は「ワシントン会議」[Washington Naval Conference]において失敗の経験を有しているものであるが果然日、仏両国より強硬なる反対に逢着し、折衝の末フランスはイタリーと共に遂に協定に参加することを拒否し、また帝国はその要求するところを貫徹するに至らなかったのであるが、互譲妥協の精神により、暫定的条約たるの故をもって補助艦協定に加わることになったのである、
かくして出来上った[1930年]ロンドン[海軍軍縮]条約[London Naval Treaty]の内容は別表の通りである。
英、米両国の提唱せる補助艦制限の基準は「主力艦比率の適用」で、これが妥当たらざることは既述の通りであるが、もし当時ワシントン会議の際主力艦制限に関しアメリカの提議せる基準、すなわち現有勢力標準主義を採用するなれば、関係国の甲級および乙級巡洋艦の保有量は大体次の如く決定せられたであろう。
[図表あり 省略]
ロンドン[海軍軍縮]会議当時(一九三〇年一月一日現在)における巡洋艦現有勢力調(艦齢内完成艦)
なお仏、伊両国が補助艦協定に参加せざりしことは一層ロンドン[海軍軍縮]条約[London Naval Treaty]を暫定的のものたらしめ、同条約中エスカレーター条項(仏の補助艦増加に伴いイギリスの補助艦保有量を増加し得る権利に関する規定)の如きものを必要とするに至ったのである、現時の状態において真に効果ある海軍軍縮の実現を期するためには、五大海軍国—全世界の海軍力の八割強を占むる—が一団となって協定を遂げねばならぬ。
写真(右)1937年、欧州、ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した日本海軍妙高級重巡洋艦3番艦「足柄」:1936年12月10日にシンプソン夫人との結婚問題で退位したイギリス国王エドワード8世に代わって即位したジョージ6世の戴冠式が記念した観艦式が1936年12月にイギリスで行われた。日本は条約型甲巡「足柄」(司令官小林宗之助少将を派遣、天皇名代の秩父宮雍仁親王・勢津子妃は、イギリス戦艦クイーン・エリザベスに乗艦して参加した。このほか、ネルソン級戦艦のネルソン、ロドニーも参加しているフランスは巡洋戦艦ダンケルク、ドイツはポケット戦艦グラーフ・シュペーを派遣した。
Polski: Krążownik Ashigara zacumowany w porcie.
Date
May 1937
Source
audiovis.nac.gov.pl
Author
Unknown author
写真はWikimedia Commons Category:Ashigara (ship, 1929) File:Wizyta japońskiego krążownika Ashigara w Niemczech (1-E-8502).jpg引用。
公正妥当なる新協定を待望
ゼネヴァ[ジュネーヴ]一般軍縮会議[Geneva Naval Conference](昭和七年)
ゼネヴァ一般軍縮会議[Geneva Naval Conference]は、昭和七年(一九三二年)二月初頭開催せられ、爾来二年有半を経過せるにも拘わらず、いまだ何ら実質的協定に達しおらざる情勢である、けだしこの会議は六十余国これに参加ししかも海、陸、空三軍に関連し人員、器材および経費など軍備全般にわたる事項を協定するを目的とせるものであって、参加各国の政治的、経済的および地理的特殊事情などに本づく複雑なる利害関係の一致せざるためであるからであろう、
しかして昭和七年七月二十三日、一般委員会決議において海軍軍縮に関し
日、英、米、仏、伊の五ヶ国に対し新たなる海軍縮小方法にして軍備縮小の一般綱領の一部として実現せらるべきものに関する報告を提出せんこと
を求められたるも、爾後の折衝進捗せず、遂にイギリス、マクドナルド条約案に予見せるが如く、明年の海軍軍縮会議に論議を委ねられたるものである、ゼネヴァ[ジュネーヴ]一般軍縮会議[Geneva Naval Conference]は、海軍軍縮に関する適当なる基準を作成することを大海軍国たる日、英、米、仏、伊の五国に委嘱したる次第であるが、五国間における軍縮基準すらこれを決定するに至らざる状況において一般海軍国に適用し得るが如き一層広汎且つ複雑なる基準を見出すことは更に困難の業である
明年の海軍軍縮会議の意義
写真(右)1934年5月31日、欧州、ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した ポートランド級重巡洋艦1番艦ポートランド (USS Portland, CA-33) :起工 1930年2月17日
進水 1932年5月21日
就役 1933年2月23日
排水量 9,950トン
全長 610 ft 3 in (186 m)
全幅 66 ft 1 in (20.1 m)
最高速力 32.7ノット
航続距離 10,000 マイル/15 ノット
兵装 55口径8インチ三連装砲 3基
搭載機 4機
The U.S. Navy heavy cruiser USS Portland (CA-33) underway in 1934.
Date 31 May 1934
Source
National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 520826
写真はWikimedia Commons Category:USS Portland (CA-33)
File:Portland (heavy CA33). Aerial, starboard how, underway, 05-31-1934 - NARA - 520826.tif引用。
明年の海軍軍縮会議はロンドン条約第二十三条の規定により開催せらるるものであり、また右会議の目的はロンドン[海軍軍縮]条約[London Naval Treaty]に代りかつ同条約の目的を遂行する新条約を作成するため、しかしてロンドン条約の目的とは同条約の前文にある
競争的軍備に伴う危険を防止しかつ負担を軽減せんことを希望し、並にワシントン軍縮会議により開始せられたる事業を進展せしめ、かつ軍備の一般的制限縮小の漸進的実現を容易ならしめんことを希望し
の主旨に存するものであって、会議はロンドン条約規定兵力以外ワシントン条約」[Washington Naval Treaty]関係事項をも議題となし得るであろう、もっとも仏、伊両国はロンドン[軍縮]条約を批准しておらぬ関係上、同条約規定の会議に参加の義務がないという見解もあるから両国を除外しては効果ある協定をなすことが困難である、
故に会議参加を応諾せしめねばならぬ、更に本年度末までにワシントン条約廃棄の通告をなす国があるならば、同条約第二十三条により明年中に会議を開催することとなるが、これはロンドン[軍縮]条約による会議と合流せしむることが両会議の性質に鑑み必要であろう、
しかして会議の問題となるべき現存軍縮条約の内容を検討すれば、いずれも最早今日の事態に適応せざるのみならず、その規定兵力量は、帝国国防の要求を充足せぬから明年の軍縮会議は帝国は勿論関係国も従来の経緯に膠着せず、全然新たなる立場に於て公正妥当にして国防の安固を期し得る新協定をなすを目的とすべきである、更にまたこの五国会議の成果如何によりては全世界海軍国の軍縮会議の開催を見るに至るであろう、これを要するに明年の海軍軍縮会議は独り帝国のみならず、関係国は勿論その他の国にとりても最重大なる意義を有するものである
[図表(華府会議当時(大正十年十月)五大海軍国主力艦保有量調)あり 省略]
[図表(日米甲級巡洋艦比較表)あり 省略]
写真(右)1939年、日本、東京湾、館山沖、改装後の公試中の日本海軍高雄級重巡洋艦1番艦「高雄」:起工 1927年4月28日
進水 1930年5月12日
就役 1932年5月31日
基準排水量 11,350トン(竣工時)
基準:13,400トン(改装後)
全長 203.76 m
最大幅 19.00 m (竣工時)
20.73 m (改装後)
最高速力 35.5ノット(竣工時)
34ノット(改装後)
航続距離 8,000マイル/14ノット(竣工時)
5,000マイル/18ノット(改装後)
兵装 竣工時
50口径20.3cm連装砲5基
English: Takao, heavy cruiser of the Imperial Japanese Navy, on trial run off Tateyama, mouth of Tokyo Bay.
日本語: 日本海軍重巡洋艦「高雄」近代化改装後に館山沖で公試中。
Date 14 July 1939
Source
English: Kure Maritime Museum editing "Japanese Naval Warship Photo Album, Cruisers." Diamond Co., 2005; also published in Shizuo Fukui, Nihon No Gunkan: Shashinshu, published 1970, p.64
日本語: 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。 ISBN 4-478-95059-8 p98; 福井静夫(編)著『日本の軍艦 : 写真集 ありし日のわが海軍艦艇』ベストセラーズ、1970年、p.64
Author Unknown, maybe the Imperial Japanese Navy official photo.
写真はWikimedia Commons Category:Takao (ship, 1932) File:IJN cruiser Takao on trial run in 1939.jpg引用。
訂正
前回[1930年]ロンドン[海軍軍縮]条約[London Naval Treaty]内容一覧表中日本の甲級巡洋艦トン数一八〇、四〇〇は一〇八、四〇〇の誤り、またロンドン会議当時巡洋艦現勢表中日本の甲級巡洋艦隻数3とあるは8の誤りにつき訂正
相錯綜する各国の主張
来るべき会議の難関
明年の海軍軍縮会議における協定の成否については今日既に種々の予測が行われているようである、筆者はこの協定成否問題が一般に多大の関心を持たれつつあるに鑑み、これに関連して来るべき会議にはいかなる難関があるか、またその内容並に由来はいかなるものであるかをここに明かにして読者の参考に供したいと思う、なおこれは従来関係当局者らが軍縮会議その他の議会において表明した主張、態度などを基礎とし妄に臆測等を加うることを避けたものである
会議難関というのは関係国の重要なる主張が互に一致せず、しかもこれが会議の成果に重大なる影響を与うるものを意味するのであって、これを列挙すれば大体次の通りである
仏、伊両国間の均等問題
フランスは現有海軍力の優勢なる関係上これを基準として対伊軍縮協定をなさんとし、イタリーはワシントン[海軍軍縮]条約に規定せる主力艦の均等比率を基準とし、他の艦種にも適用せんことを主張して相譲らず、ロンドン[軍縮]会議及びその後の英、仏、伊三国協定に際してもまた一昨年来英、米両国の斡旋にも拘らず、依然妥当の気配すら認め難き情勢にある、故に今後も何等か解決方法(恐らく至難であろう)が発見せられない限り両国間の協定は殆ど絶望的であろう
英、米両国間の巡洋艦問題
イギリスは交通線保護のため小艦多数主義を、またアメリカは主として作戦上大艦主義を主張して相拮抗し、これがため昭和二年ゼネヴァ三国海軍会議を決裂せしめたのである。尤もロンドン会議においては、暫定的妥協をなしたるもその後の情勢は本問題を再燃せしめているようである、これが恐らく、英米両国間の軍縮問題に関する癌となるであろう
[図表(日米潜水艦比較)あり 省略]
仏国主張の安全保障及び三軍関連問題
イギリスは軍縮によりて安全を求めんとする主旨なるに反し、フランスは『安全保障なくして軍縮なし』との原則を各種の機会において主張している。フランスが国際軍隊創設の提案をなし、或はドイツの再軍備に反対しているのも安全保障を軍縮以外に求めんとするに外ならぬのである、また軍縮は海軍のみ単独になすことなく、陸、空軍と共に、いわゆる三軍関連してこれを行わねばならぬことを一貫せる主張としている、国際連盟の軍縮会議に、多大の期待を有するのもこれがためである、如上二問題に対する仏国の態度は頗る強硬であるからこれをいかに調節すべきか会議の暗礁たるを免れない
英に対する仏の補助艦問題
イギリスはフランスの優秀なる空軍並に補助艦殊に潜水艦に多大の関心を有するものである、従ってイギリスは対米関係のみならずフランスとの補助艦協定に考慮を払わねばならぬ、ロンドン条約はエスカレーター条項(前出)をもって、一時を糊塗し得たるも、今後は特に重視せねばならぬ問題である
日英米三国間の兵力問題
英、米特にアメリカは既存両条約を尊重しかつその規定兵力関係を基礎として軍縮協定をなすべきことを主張しこれに対し、帝国は既存条約を離れて公正妥当なる別個の基準の下に、新協定をなさんことをもっとも強硬に主張しているのは内外周知の事実である、これはその主旨において一致せざるものがあるが会議において折衝を重ねねばならぬ喫緊の問題である
以上会議の難関と予想せらるる諸問題は、今後の情勢または会議の折衝などによりて、或は妥協点を見ることもあろうし、或はこれが会議決裂の因をなすこともあろうが、今日これを予断し得ざるは勿論である
不脅威不侵略の原則を確立
海軍軍縮協定の新基準
既述せる通り「ワシントン[条約]」及び「ロンドン」両条約は共にその軍縮基準が適当でないので結局新条約によりて更改せらるべき運命を有するものである、しからば来るべき軍縮会議においてはいかなる新軍縮基準を採択すべきであろうか、これについては慎重なる研究を遂げねばならぬが、結局その網領として挙示せらるるものは、次の三項目であると信ずる
軍縮の目途 国の恒久的安全のため、必要なる限度の軍備を斉整することを得しめ不脅威不侵略の原則を確立すること
軍縮の基調 差等比率を撤廃すると共に攻撃的兵力は、これを全廃若しくは縮減し防禦的兵力はこれを充実すること
軍縮の要則 質的、量的両方面にわたり兵力の大縮減を行いこの場合高度軍備国は他に比し一層大なる犠牲を払うこと
これらについて若干説明を加えることとする
軍縮の目途について 軍縮事業は国際平和を確保し軍事の軽減を計らんとする崇高なる目的を有するから公正妥当なる軍縮協定の実現は各国の斉しく希望してやまざるところである、しかし兵力の縮減は安全保障と不可分の関係にあるから軍縮は国の安全を期し得ることを根本条件とせねばならぬ、「ロンドン」[軍縮]条約は短期間の安全を目途として締結せられたるため、内外諸般の支障を生じたる事実もあるから今後の軍縮協定に当りては特に恒久的安全を確保することを主眼とすべきは勿論である。しかして国の安全のため必要とする軍備を斉整するの権利は国家生存権平等の一表現であるから、この軍備権の主旨を尊重することを目途とせねばならぬ、
同時にまた軍縮により世界平和の碓立を期すること、換言すれば不脅威不侵略の原則を具現することを考慮せねばならぬ、即ち軍備は相対的性質を有するものであるから海軍兵力を適当に縮減調節して互に他を脅威し侵略し得ざるが如き関係に置くことが最も必要である、一国の国策がたとい平和的であるにしても若しその国が他を脅威するに足る尨大なる兵力を保有するならば、これに関連を有する他国は何ら不安なく、また脅威を感ぜざるが如き真の平和的境地にあることを得ないであろう
軍縮の基調について 前述の目途に従い軍縮の基調としては第一に兵力の本質を考察し、脅威的若しくは侵略的と看做さるるいわゆる攻撃的兵力を全廃もしくは縮減することが先決問題であって、更に国防上の要求に本づく防禦的兵力の整備を認むべきである、これは寿府一般軍縮会議においても、既に各国が異議なく採択せる軍縮の重要基準である、もっとも攻撃的兵力の選定については種々論議を生ずる場合あるも、適当なる標準を設定してこれを検討するならば必ずしもその解決は困難でない
第二に兵力の量的方面より考察して一国が他を攻撃し得るが如き兵力関係に置くことを止めねばならぬ、海軍兵力は移動性大なる特質を有するから寡勢海軍国は他の優勢海軍力により、地理的地位並に状況を超越して常に脅威不安を感ぜざるを得ない、凡そ攻防の関係はまずもって兵力量の差違あることに依りて惹起し両国間の距離に大なる関係を有せざることはバルチック艦隊[第2太平洋艦隊]の東航など幾多の戦史例がこれを証している
軍縮の要則について 前項の如き基調により量的にも質的にも大縮減をなすことにありて軍縮が実現せらるるので、しかもこの場合大なる軍備を有する所謂高度軍備国が他に比し一層大なる犠牲を払い、垂範的縮減をなすことが絶対的に必要である、何となれば、現下の情勢において軍縮の解決方法としては、大体において、高度軍備国の兵力縮減によるか、或は小軍備国の再軍備を認むるか二者いずれかの主義を選ばねばならぬ、しかし後者は軍拡の結果となり、推賞すべきものではなく結局前者の方途によることが、もっとも適当かつ捷径であるからである、もしこれを拒否する国ありとせば、軍縮の実現は到底これを期せられないであろう
以上の三要項を具有する制限基準方式こそ来るべき会議において採択せられねばならぬものである
今次予備交渉の重要性
明年の海軍軍縮会議に対する予備交渉は英国政府の提唱により本年五月中旬開始せられたのであるが、七月中断の上十月再開となりいよいよ実質的折衝に入る予定である、各国よりそれぞれ代表及び専門家をロンドンに派遣するのであるから、会議開催に関する手続問題のみならず、本会議における諸般の折衝を容易ならしむるため予め各種の問題につき十分意見を交換し、関係国の態度、主張等を明かならしめて置かんとする主旨である、嘗てロンドン[軍縮]会議前英国首相が渡米し米国大統領と予備商議を行い補助艦の均等、主力艦代換計画再考などの協定を遂げた例はあるが、その他従来の軍縮会議においては事前単に会議の議題などに関する取極めをなす程度以上に出たことが殆どない、かくの如く今次の予備交渉はかつて見ざるが如き慎重なる試みであるが、これは畢竟するに各国の主なる主張にして相反するものも少からず、これがため会議の前途に幾多の難関を予想せらるるからであろう、いずれにせよ、予備交渉は本会議の前哨戦で、その成果は重大なる影響を伴い、本会議の運命を卜することになろう、全日本の重望を負い帝国代表として松平[恒雄]駐英大使と共に予備交渉の大任に当るべき山本[五十六]海軍少将もいよいよ二十日をもって帝都を出発の予定である、筆者は読者と共に、当面最重要なるこの予備交渉に多大の関心を有し、その推移を仔細に観察せんとするものである(おわり)
写真(上)1926年4月27日-5月1日、地中海、イギリス領マルタ島、グランドハーバー、フランス海軍大臣搭乗のフランス戦艦ブルターニュ (Bretagne)[左端]を迎えるイギリス海軍クイーン・エリザベス級戦艦1番艦クイーン・エリザベス(HM Queen Elizabeth),浮きドック[後方奥]入渠中のリヴェンジ級戦艦ロイヤル・オーク (HMS Royal Oak)、クイーン・エリザベス級戦艦3番艦バーラム (HMS Barham),、航空母艦ハーミーズ (HMS Hermes,) :空母ハーミーズは、起工 1918年1月15日
進水 1919年9月11日
就役 1924年2月18日。 乗員: 5名
要目
基準排水量 10,850 トン
満載排水量 13,700 トン
全長 182.3 m
最大幅 21.3 m
飛行甲板 182.3m×27.4m
最高速力 25.0ノット
航続距離 2,930マイル/18ノット
搭載機 20機。
English: April 27 - May 1, 1926: The Grand Harbour, Malta. The French battleship Bretagne (top left) is seen during a port visit of the French Naval Minister. From left to right are HM battleships Queen Elizabeth, Royal Oak (in floating drydock) and Barham, HMS Hermes and an unidentified destroyer are seen at right. (Identification of vessels by Mike Griffiths)
Date 1 May 1926
Source maritimequest
Author
Salvatore Lorenzo Cassar (1855–1928)
写真はWikimedia Commons, Category:HMS Queen Elizabeth (ship, 1913) File:S.L.Cassar, British and French battleships at Malta (27 April - 1 May 1926).jpg引用。
[図表(英国の二大戦艦 【上】クイン・エリザベス号、第一戦闘戦隊の旗艦、三万一千百トン、十五インチ砲八門、六インチ砲十二門を搭載【下】ネルソン号、第二戦闘艦隊の旗艦、三万三千五百トン十六インチ砲九門、六インチ砲十二門を備え、世界に最強豪を誇るもの)あり 省略](海軍軍縮問題の概観 (1〜2)著者
海軍軍事普及部委員長海軍大佐 野田清引用終わり)
写真(右)1933年、ノルウェー、オスロ沖、イギリス海軍ネルソン級戦艦(Nelson class battleship)1番艦ネルソン (HMS Nelson):起工 1922年12月28日
進水 1925年9月3日
就役 1927年8月15日
基準排水量 33,950トン
満載排水量 38,000トン
全長 220.2 m
最大幅 32.3 m
最高速力 23.5ノット
航続距離 7,000マイル/ 16 ノット
40.6cm45口径MkI3連装砲 3基
15.2cm50口径MkXXII連装砲 6基
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Van de Poll
Reportage / Serie : Zeereis met MS Johan van Oldenbarnevelt naar Noorwegen
Beschrijving : Het Engelse slagschip "Nelson", met links MS Johan van Oldenbarnevelt in de haven van Oslo
Datum : 1933
Locatie : Noorwegen, Oslo
Trefwoorden : cruises, cruiseschepen, havens, marine, militaire vaartuigen, reizigers, schepen, toerisme
Fotograaf : Poll, Willem van de, [onbekend]
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Glasnegatief
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.14.02
Bestanddeelnummer : 189-0556
Date 1933
Author Willem van de Poll
写真はWikimedia Commons, Category:HMS Nelson (ship, 1925)
File:Het Engelse slagschip Nelson, met links MS Johan van Oldenbarnevelt in de have, Bestanddeelnr 189-0556.jpg引用。
写真(右)1937年頃、アメリカ、カリフォルニア州サンジエゴ、ノースアイランド海軍基地、飛行場、アメリカ海軍レキシントン級航空母艦サラトガ(USS Saratoga (CV-3))と航空母艦ラングレー(Langley(CV-1):アメリカ最初の空母ラングレーは、1920年に石炭運搬艦ジュピター(USS Jupiter (AC-3))から改装された。
05_01616 USS Saratoga (C-3) Naval Air Station North Island
Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum引用。
写真(右)1937年頃、アメリカ、カリフォルニア州サンジエゴ、ノースアイランド海軍基地沖合(?)、アメリカ海軍レキシントン級航空母艦サラトガ(USS Saratoga (CV-3)):起工1920年9月25日、進水1925年4月7日、就役1927年11月16日。艦橋前後には対艦船砲撃用の5インチ砲 連装4基8門を搭載。排水量4万3,746t、全長888 ft (270.7 m)、全幅106 ft (32.3 m)、吃水30 ft 5 in (9.3 m)。 ボイラー 16基、主機 ターボ・エレクトリック方式推進、蒸気タービン4基4軸、出力 180,000馬力(設計)、212,702馬力(1928年)、最高速力 33.25ノット(設計)、34.99ノット(1928年)。
Saratoga CV3
Catalog #: SHIPS01359
Ship Name : Saratoga
Hull #: CV3
Country : USA
Ship Type : Aircraft Carrier
Notes: Lexington
写真はWikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum引用。
写真(右)1940年7月、アメリカ、カリフォルニア州サンジエゴ、ノースアイランド海軍基地、飛行場、アメリカ海軍航空母艦ヨークタウン(USS Yorktown (CV-5))と飛行甲板に並んだダグラスTBD デヴァステイター(Douglas TBD Devastator)雷撃機(先頭)、カーチスSBC ヘルダイヴァー(Curtiss-Wright SBC Helldiver)艦上爆撃機、グラマンF3Fフライングバレル(Grumman F3F Flying Barrel)艦上戦闘機ほか:80-G-651042: USS Yorktown (CV-5). At Naval Air Station, North Island, San Diego, California, in June 1940, embarking aircraft and vehicles prior to sailing for Hawaii. Aircraft types on her flight deck include TBD-1, BT-1, SBC-3, F3F-2, F3F-3, SB2U, JRF, J2F and JRS-1. Some of these planes were on board for transportation, while others were members of the ship's air group. Three Torpedo Squadron Five (VT-5) TBDs at the after end of the flight deck are painted in experimental camouflage schemes tested during Fleet Problem XXI. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the U.S. National Archives. (2015/12/31).
Date 31 December 2015, 16:18
Source 80-G-651042
Author National Museum of the U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:SBC Helldiver of the United States Navy File:80-G-651042 (23795813370).jpg引用。
写真(上)1940年12月以前、アメリカ、主翼を折り畳んだアメリカ海軍航空隊ダグラス(Douglas)TBM-1(Devastator)三座雷撃機の左側面:1935年4月15日初飛行、引込み式降着装置を採用。水平爆撃機か雷撃が可能である。
Grumman TBM-1 Devestator Pete Bowers collection
PictionID:43099936 - Title:Grumman TBM-1 Pete Bowers collection - Catalog:16_003533 - Filename:16_003533.TIF - - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr. SDASM Archives引用。
写真(上)1940-1941年、アメリカ、 カリフォルニア州南部、サンジエゴ(San Diego)沖、ノースアイランド(North Island)上空を飛行するアメリカ海軍航空隊ダグラス(Douglas)TBD-1(Devastator)三座雷撃機の右側面:プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830 ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星型14気筒エンジン900hp搭載。
Douglas TBD-1 Devastator
Catalog #: 15_001961
Title: Douglas TBD-1 Devastator
ADDITIONAL INFORMATION: Powered by a Pratt & Whitney R-1830 Twin Wasp producing 900 hp.
Collection: Charles M. Daniels Collection Photo
Album Name: U.S. Air Forces
Page #: 7
Tags: Douglas TBD-1 Devestator
PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr. SDASM Archives引用。
1935年4月15日初飛行のダグラスTBD・1型[デバステイター][Douglas TBD Devastator]の諸元
乗員:3名(パイロット、雷撃手/航海士、通信士/銃手)
全長:10.67 m
全幅(翼長・翼幅):15.24 m
全高:4.60 m
翼面積:39.2 m2
空虚重量:2,540 kg
満載重量:4,213 kg
最大離陸重量:4,624 kg
発動機:P&W R-1830-64 ツイン・ワスプ 900 HP (672 kW)
最高速力:331 km/h
航続距離:700 km (雷撃時)、1,152 km (1000 lb (454 kg) 爆弾搭載時)
兵装:
ブローニング 7.62mm AN/M2 機関銃 または ブローニング AN/M2 12.7mm機関銃 前面固定×1
ブローニング 7.62mm AN/M2 機関銃 後方旋回×1
Mk.XIII魚雷 ×1
生産数:129機
写真(右)1936-1939年、アメリカ、未舗装滑走路で待機中のアメリカ海軍航空隊第6戦闘飛行隊(空母「ヨークタウン」搭載?)グラマン(Grumman) F3F-1フライングバレル(Flying Barrel)艦上戦闘機(6-F-2)(0231):操縦席コックピットは密閉ガラス風防、胴体に収納される引込み式主輪、部隊マークは爆弾を運ぶ黒猫。機首銃座には7.62ミリ(.30-cal.)ブローニング機関銃 1挺が装備される。
Ray Wagner Collection Photo
PictionID:40961735 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:16_000113 Grumman F3F-1 0231 VF-4 4-F-2.tif - - - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives引用。
グラマン(Grumman) F3F-1フライングバレル(Flying Barrel)艦上戦闘機の諸元
試作1号機XF3F-1:1935年3月20日初飛行
全長:7.06 m
全幅:9.76 m
全高:2.85 m
空虚重量:1,490 kg
発動機:ライト(Wright)R-1820サイクロン 9(Cyclone 9)空冷星型9気筒エンジン
最高速力:425 km/h
航続距離:1,577 km
兵装:7.62mm M1919機銃 1挺、12.7mm M2機銃 1挺
1935年8月にアメリカ海軍は、量産型のF3F-1を54機発注した。ただし、生産機数は147機のみで終わっている。
2−8.航空母艦主力艦を廃棄せば潜艦廃止に応ず : アメリカの言分に対する我政府当局の意向『大阪朝日新聞』
Vol: 第 33巻
Page: 172
出版年
1934-10-07
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100344248
ロンドン海軍予備交渉はアメリカ代表部に海軍作戦部長スタンドレー提督を加えたことにより果然同予備交渉における日米会談の成行如何が最も重要視さるるにいたったが、アメリカ海軍当局は日本の攻撃的武器の撤廃の主張が航空母艦および爆撃機の廃止を意味するものならば、これが対策として潜水艦の廃止を要求する意向を有する旨報道されている、
これに対し帝国政府の意向はアメリカが攻撃的武器たる主力艦、航空母艦の廃止に同意すれば、日本としても潜水艦の廃止を承諾する用意を有するが、特に航空母艦の廃止のみをもってしては潜水艦の全廃に応じえられぬとの意向を有している、
いずれにしても予備交渉の劈頭において日本は攻撃的武器たる主力艦、航空母艦の廃止を含む日本の新軍縮方針の内容を関係国に提示することになっているので、本問題は予備交渉において日米両国間に行わるる重要論争の一つとなるであろう(航空母艦主力艦を廃棄せば潜艦廃止に応ず : アメリカの言分に対する我政府当局の意向引用終わり)
写真(右)1936年6月頃、アメリカ、カリドルニア州サンフランシスコ沖、アメリカ海軍潜水艦ノーファル(USS Narwhal) (SS-167):起工1927年5月10日、1929年12月17日進水、 1930年5月15日就役。ノーファルとは鯨類イッカクのこと。
SDASM Archives
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AL218-012 USS Narwhal San Francisco Jun31
Photos from an Album (AL-218) containing images of aircraft taken circa 1930-40 in the bay area.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives引用。
写真(右)1932年9月11日、アメリカ領プエルト・リコ南岸、プエルト・デ・クレブラ(Puerto de Culebra)、飛行艇演習に参加したアメリカ海軍航空隊コンソリデーティッド(Consolidated) P2Yレンジャー(Ranger)双発飛行艇:1929年1月10日初飛行、1941年には退役、生産機数78機。 80-CF-827-31-1: Life-Saving Equipment. Life boat drill at Port Culebra, Puerto Rico. Photographed by USS Wright (AV 1), September 11, 1933. Note the PBY “Catalina” aircraft. U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. (2016/05/03).
Date 3 May 2016, 11:06
Source 80-CF-827-31-1
Author National Museum of the U.S. Navy
写真はCategory:Consolidated P2YFile:80-CF-827-31-1 (26197436473).jpg引用。
2−9.ホノルル→マニラ六機編隊翔破 : 来る五月米海軍決行『東京日日新聞』
Vol: 第 35巻
Page: 136
出版年
1934-12-29
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100345901
【サンディエゴ二十七日発連合】米国海軍当局は来る五月「合衆国編隊」並に付属空軍を総動員、アラスカ、サンディエゴ、ハワイを繋ぐ三角洋上に大海軍演習を挙行した後[コンソリデーテッドP2Y]哨戒爆撃機飛行艇六台によりホノルルからマニラまで太平洋上五千三百マイルの編隊横断飛行を断行するに決した、サンディエゴ海軍鎮守府当局は二十七日右計画につき次ぎの通り発表した
本年五月太平洋上における海軍大演習には空軍部隊が参加するため航空特務艦ライト号(一一、五〇〇トン)が近くサンディエゴ根拠地を出発、真珠湾に向うに決した、同特務艦は大演習に際し海軍機四十八隻の母艦として活躍する筈である、さらに哨戒爆撃機六台をもってホノルルマニラ間の編隊横断飛行を決行する方針で目下右飛行計画をたてている
大平洋横断飛行の使用機は去る一月サンフランシスコ、ハワイ間二千三百九十二マイルを僅々二十四時間四十五分で一気に翔破、全世界を瞠目せしめた米国海軍秘蔵の精鋭コンソリデーテッド・P2Y・I型哨戒爆撃飛行艇であるがコースは未だ発表されない、ホノルル、マニラ間は五千二百九十六マイルでサンフランシスコ、ホノルル間の約二倍に達する(カット写真は米海軍の精鋭爆撃飛行艇)
写真(右)1935年11月17日、アメリカ東岸、3機編隊を組んで飛行するアメリカ海軍航空隊第4哨戒飛行隊所属コンソリデーティッド(Consolidated) P2Yレンジャー(Ranger)双発飛行艇:3機編隊が4編隊、合計12機が飛行しているのがわかる。生産機数78機。 Description U.S. Navy Consolidated P2Y flying boats assigned to Patrol Squadron VP-4 pictured over the waters of the Pacific Ocean during a long distance formation flight.
Date 17 November 1935
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1988.029.003
Author U.S. Navy
写真はCategory:Consolidated P2Y File:Consolidated P2Ys VP-4 over the Pacific 1935.jpeg引用。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただきますれば幸いに存じます。よろしくご協力をお願い申し上げます。
◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,サイパン玉砕戦も分析しました。
2023年11月22日公開の鳥飼行博研究室当サイトへのご訪問ありがとうございます。写真,データなどを引用する際は,URLなど出所を明記してください。
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