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◆HK財政学:帝国主義と人種民族差別


写真(上):1930年代の中国、上海バンド(埠頭近く中心街)
:中国の主要都市上海は、外国から多数の船が寄航した国際都市。人口300万人だった。実は、華中の江南地方の巨大都市上海は、アメリカ、イギリス、日本が統治する共同租界、フランスが統治する租界とがあり、租界が中心街だった。租界とは,中国の中の外国(治外法権の地)であり、自由と不平等が並存する。中国人は、租界の中では居住権、労働権、交通機関の利用などで差別を受けていた。しかし、租界を支配していた列強にとって、文明を築く、国力のある優れた人種・民族が、無知蒙昧な民を支配するのは当然のことと考えていた。このような優秀な人種民族と劣って人種民族があるというのが、優生学の発想である。

写真(右):1930年代中頃、中国、北京あるいは上海、イギリスの中国駐留スコットランド部隊:;英国が勝利したアヘン戦争が、軍隊の中国駐留権の嚆矢となった。その後,英国は、中国の通貨を金.ポンドにリンクする通貨改革に成功し,経済的に日本よりも有利な立場にあった。
The Seaforth Detachment of the Scots Guards was also present in Shanghai. The US Marines would sometimes engage in "Kilt Hunting." This involved finding a thirsty Scotsman, drinking him under the table, and absconding with his kilt. This was not considered an easy task. the Home Page of Pat and Chuck:My father served in the United States Marine Corps for about forty years, enlisting as a private and retiring as a colonel. These 10 linked pages cover the period from 1933 to 1938, when he served aboard the flagship of the Asiatic-Pacific Fleet, the USS Augusta (CA-31).引用。


列国の支那駐屯軍(清国駐屯軍)派遣の権利を得たのは、北清事変(義和団事件)、いわゆる団匪事件に勝利した結果である。1900年(明治三十三年)白連教徒がキリスト教宣教師の横暴に憤慨して起ったもので、清朝の排外主義も手伝って、ドイツ公使や日本公使館員を殺害し、列国公使館を包囲するまでに発展した。そこで、列国は連合軍を組織して天津、北京を占領した。敗北した清朝は、列国に対し四億五千万)海関テール(各国通貨の金貨に対する為替相場で決定)の賠償金を支払うことになった。

鳥飼担当 HK「財政学」の課題

Report Writing


高校時代に、人間の間には、言語・宗教など文化による差異は民族の区別と、皮膚の色、体系などの生物学的 人種の区別があると習ったかもしれない。生物学的特長によるヒトの区分,民族は言語文化的な特長に人間の区分であるというのである。つまり、単純化すると、人種は遺伝・DNAが支配する先天的要因,民族は出自・家庭・教育・国籍が支配する後天的要因による区分とされる。

しかし,自分に兄弟や姉妹がいれば、お互いに同じ両親から生まれたとしても、その違いは、明瞭にわかる。さらに、従妹や甥など親類であっても、似ているとは言い難いかもしれない。となれば、より広い概念である人「種」といった概念は、実は明確に定義てきていないことに気が付く。肌の色、目の色、体系などで区分することはできるが、それを数値やDNAで厳格に区分することはできないである。これは、人種など実際には存在しないからである。人類は1種であり、たかだか「亜種」(Subspecies)を区分できるに過ぎない。ゴリラとオランウータンは、DNAで区別できるし、両者の間で掛け合わせたハーフの子孫を残すことは不可能である。しかし、人「種」では「混血」が可能で、ハーフが存在するが、これは人種といっても、生物学的な種ではないからである。歴史的に見ても、人類の進化の過程で、起源は唯一、アフリカの大地溝帯で生まれた種が進化して、移動して、世界中に拡散したことが分かってきた。

人種・民族あるいは能力の差異は、遺伝子よりも教育に左右される。兄弟でも大きな違いがあるのはそのためだ。人種・民族を意図的に定義し,特定の人種民族を差別,迫害するのが,人種民族差別である。

優生学とは、優生学的な偏見を一見、科学的な装いの下に正当化する似非(えせ)科学であり、人間を生殖細胞、遺伝子レベルで詳細に分析し、生命力や治癒力の優劣を区分するという恣意的な研究も含まれる。歴史的に見ると、優生学思想は、帝国主義の時代、支配する宗主国と従属する植民地の関係を、そこに住む人種・民族の優劣から正当化するために、科学的、進化論的な装いの下に、生まれてきた。本来、自分勝手な傲慢な意図や支配の欲望を覆って、支配を文明や啓蒙・教化の名のもとに正当化するために、優生学が使われた。

優生学によって、優れたものと劣ったものがあるというのであれば、支配する宗主国と従属する植民地の関係を、科学的に正当化される。劣ったものが、世界に害悪をもたらす、人類の進歩を停滞させる、というのであれば、優れた人種・民族が、そのような地域の劣った人種・民族を指導し、教えてあげなくてはならない。無知蒙昧な民を導いて、啓蒙しなければならない。独立国になるには、高い教養と知的水準、勤勉な姿勢が必要だが、それが揃っていない劣った人々は、まだ独立国になるには早すぎる。そこで、我が国がそのような国の可哀そうな人々を教え諭してゆく必要がある。これが植民地支配を正当化する優生学である。


映像の世紀 JAPAN 〜世界がみた明治・大正・昭和〜 3 of 8 YouTube(2012/06/09公開)
20世紀初頭、富国強兵を進めた日本は、朝鮮半島や台湾に派兵し、帝国主義を進めた。このような帝国主義は、政府の役割を重視する「大きな政府」を出現させ、国家財政の役割が格段に重要になった。

国家財政との関連でいえば、宗主国は植民地に道路・鉄道など交通インフラを建設し、工場から発電所・灌漑用水路など生産セクター整え、学校や病院を建ててた。つまり、植民地を支配する宗主国は、植民地のために財政負担をして、植民地に尽くしてきた。植民地だった国ができないことを、宗主国が代わって実施してきたというのである。帝国主義とは、支配と従属の関係ではあるが、上から下への恩恵・施しも含めれば、決して悪いことではない。それどころか、支配する帝国が、植民地に住む劣った貧しい人々に、衣食住、衛生・医療、教育といったベーシックヒューマンニーズを提供しているのであって、帝国の財政支出が、世界の進歩のために役立っているというのである。


British Occupation Of India In Color - Full Documentary (2013/11/23 公開)
大英帝国のインド植民地(1909-1948):20世紀前半の支配と従属の関係の背景
インドの人々を見るイギリスの支配者には、インド貧困者への弱者への憐みとともに、劣った人種・民族として見下げたり、物見遊山の対象としたり、優生学的発想が窺われる。支配者にとって、従属する人々への上から目線や偏見は、当然のことである。

20世紀の初頭は、帝国主義の全盛期であり、植民地や勢力圏を巡る戦争が起こった。帝国主義は、ナショナリズムを喚起し、国民、国土、国力、国益を結び付けた新たな国家の概念を生んだ。この国家では、政府の役割が拡大し、皇帝、国王を超えて、行政機構、企業、地域、そして国民が統合、一体化された。そして、それを国家代表するのが政府であり、国家経営の基盤は財政だった。

 ナショナリズムが暴行した20世紀、戦争は、戦闘員たる兵士だけではなく、後方・銃後の非戦闘員たる市民や子供も、工場労働,農作業、資源節約を通して参加した。戦争は軍民が一体となって戦う総力戦となった。総力戦を戦うためには、戦争の大義がつくりだされ、それが市民に喧伝された。大量の戦争ポスターが作成され、新聞、雑誌などメディアを活用して、プロパガンダが大々的に行われた。そのために、政府が情報を統制し、戦力を増強するために、軍備を拡張したが、軍備を支えたのは国家財政だった。

日本は、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第一次世界大戦で勝利し、文明国・列国・一等国という大国意識を持ち始めた。戦争に勝利し勝ち組になった日本人は、大和民族が優秀であることを、優生学が科学的に示しているように錯覚した。広大で大人口を擁するインド植民地を支配する大英帝国イギリスを見習って、日本は、1889年(明治22年)にの大日本帝国憲法を発布し、「大日本帝国」という国名を使用するようになった。このような帝国主義の時代、個人や家族より国家を大切にし、国力を重視する富国強兵が人々の規範になった。こうして、帝国主義の下で、
1)優生学に基づく優秀な人種・民族という驕り、
2)健康な国民(兵士・労働者)育成による国力増強、
3)国力増強に役に立たない劣等人種・民族の排除・差別、
が助長されるようになった。

日本だけでなく、世界中で、ハンセン病に正しい知識を持たない国民が偏見や無知で、ハンセン病患者を差別したことは事実であるが、ハンセン病患者の捜索・拘束、強制隔離・断種という人権無視した政策は、国家の財政負担により実施された。そして、ハンセン病差別政策の背後には、人種・民族差別と同じく、優生学とそれに支えられた帝国主義的な発想が指摘できる。

鳥飼行博研究室(http://torikai.starfree.jp/)左バナーボタン「アジア写真集」左列中ほどにある「日本優生学のハンセン病隔離 Hansen's disease」と並んで、20世紀初めの帝国主義とその戦争の時代を準テキストとした
鳥飼行博著『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年―二十世紀初頭から現在まで』青弓社の「第1章 二十世紀初頭の戦争」(pp.32-61)
を参照しながら、ハンセン病差別を、20世紀初めの優生学と帝国主義のより大きな枠組み(フレームワーク)の中で、考えてもらいたい。

鳥飼担当 HK「財政学」の課題

Report Writing


鳥飼行博研究室左バナーボタン「授業写真集」にある
2015年鳥飼ゼミ活動写真「ハンセン病資料館/全生園」
2014年鳥飼ゼミ活動写真「国立ハンセン病療養所多磨全生園」
では、日本国内の有数の国立療養所である「国立ハンセン病療養所多磨全生園」の最近の様子が写し出されている。

日本政府は全国に国立療養所を開設し、そこに捜し出したハンセン病患者を隔離した。この国立療養所は、ハンセン病患者とハンセン病が治癒した元患者を絶対隔離し、終生その中で生活することを余儀なくさる場所だった。政府は、入所者をベーシックヒューマンニーズが欠乏する状況に追い込み、さらに断種・不妊手術を強要したり、出産させた赤ちゃんを解剖・標本にしたりして差別し、人権を侵害した。ハンセン病患者の公的差別を可能にした「らい予防法」が廃止されたのは、1996年になってからである。

鳥飼行博研究室左バナーボタン「アジア写真集」左列中ほどにある website「日本優生学のハンセン病隔離 Hansen's disease」を引用しながら,日本政府が、どのようにハンセン病患者と元患者を差別し、その人権を侵害し続けたのかを、差別の根拠となった1907年の癩予防に関する件、1929年の無癩県運動、1931年の癩予防法、1953年のらい予防法の流れの中で説明しなさい。(これは前回講義の課題)

そして、優生学的発想が生まれてきた時代背景として、20世紀初頭の帝国主義に注目して、鳥飼行博著『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年―二十世紀初頭から現在まで』青弓社「第1章 二十世紀初頭の戦争」(pp.32-61)に掲載したアフリカ分割、半植民地化された中国、アメリカの遠征軍派兵、満州・朝鮮半島における日本とロシアの対立など帝国主義の植民地支配を引用しつつ、ハンセン病差別だけで なく、人種民族差別が始まった時代背景を考察しなさい。

1)「まとめレポート」をワード(word)で作成、ふさわしい題名,学番,学生氏名を明記。
2)まとめレポートの文字数は、1000文字以上、2400文字以下。他サイトの引用は不可。
3)このレポート課題はサンプルなので提出には及びません。実際の課題レポートは、授業支援システム(OpenLMS)に掲載。

東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程

TorikaiLab, Tokai University



教養学部の講義HK「財政学」は、環境平和学と持続可能な開発を踏まえて、財政学を多様な視点で扱う授業です。

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東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程
鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
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