写真(右)1939年10月12日、冬戦争勃発1カ月前、フィンランド、ヘルシンキの鉄道駅、ソ連との雲行きが怪しくなり、空襲を受ける危険のあるヘルシンキから地方に疎開する民間人:フィンランドはソ連から、領土割譲、軍地基地提供、駐留軍派遣の強硬な要求を受けたが、拒否したため、スターリンの怒りを買った。ソ連軍は1939年11月30日、フィンランドに侵攻、冬戦争( Talvisota)が勃発したのである。
väestöä lähdössä junalla Helsingistä maaseudulle mahdollisia pommituksia pakoon
Hufvudstadsbladet, painaja 1939
vaaka, mustavalkoinen Aiheen paikka
Helsinki
Aiheen aika
12.10.1939 Organisaatio
Museovirasto - Musketti
Kokoelma
Historian kuvakokoelma Inventaarionro
HK19391118:9
Kuvaustiedot:
12.10.1939
Helsinki
Hufvudstadsbladet, painaja . 写真は,Museot Finna HK19391118:9用。
1939年9月にドイツのポーランド侵攻によって、9月3日、イギリス、フランスを巻き込んだ第二次世界大戦が勃発し、9月中に、ソ連軍はポーランドの進駐し、東半分を占領してしまった。1939年9月3日のイギリス・フランスの対ドイツ宣戦布告後、フィンランド首相アイモ・カールロ・カヤンデル(Aimo Kaarlo Cajander)は、中立宣言をしたが、10月11日、ソ連の外務人民委員(外相)モロトフは、フィンランドのパーシビキを団長とする交渉団をモスクワに招き、
1)カレリア地峡の対ソ連防衛戦の撤去
2)フィンランド湾の島々とフィンランド南岸ハンコ半島の租借とソ連軍駐留権
3)カレリア地峡のソ連国境の30km前進(割譲2200平方キロ)と東カレリア(フィンランド東国境に面したソ連領5000平方キロ)の交換
という要求を突き付けた。フィンランド軍総司令官マンネルヘイム元帥は、ソ連の要求を受諾するしかないと考え、フィンランド政府も、カレリア地峡のソ連国境10km前進、フィンランド湾の島々の譲渡は受け入れたが、ハンコ半島の租借は拒否した。こうして、交渉は決裂し、双方とも10月には、動員を準備し、ソ連の侵略に備えるために、政府の緊急事態を認める共和国防衛法を布告した。
写真(右)1939年11月30日、冬戦争の中盤、ソ連空軍機の空襲で破壊されたフィンランドの首都ヘルシンキ市街地;すでに第二次大戦は始まっており、ドイツはフランス・イギリスと西部戦線で対峙していたが、まだ西部戦線では、都市爆撃、民間人への空襲は行われていなかった。1)民間人への無差別攻撃はテロと見なされ、戦争の大義を失う、2)都市爆撃は報復爆撃を招聘し大損害を被る、と考えた政治的指導者は、都市爆撃を回避していたのである。しかし、ソ連軍は小国フィンランドに対して、都市爆撃を躊躇しなかった。レニングラードへのフィンランド空軍による報復爆撃、空襲を防ぐ自身があったのであろうか。 raunioita Helsingin pommituksen jälkeen
vaaka, mustavalkoinen Aineistotyyppi
Kuva
Aiheen paikka
Helsinki Aiheen aika
30.11.1939
Organisaatio
Museovirasto - Musketti Kokoelma
Historian kuvakokoelma Inventaarionro
HK19780731:222
Kuvaustiedot:
30.11.1939
Helsinki
写真はMuseot Finna HK19780731:222用。
写真(右)1939年11月30日、冬戦争の中盤、空襲で破壊されたフィンランドの首都ヘルシンキ、ソビエト空軍の空襲を受けて破壊された工科大学のビル家屋と消防救助活動に当たる兵士:フィンランドはソ連に奪われた領土奪回のため、1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に便乗してソ連に攻撃をかけレニングラード近郊まで領土を奪回した。 Teknillisen korkeakoulun pommitus
Fremling F. E., kuvaaja 1939
vaaka, mustavalkoinen
Aiheen paikka
Helsinki
Aiheen aika
30.11.1939 Organisaatio
Museovirasto - Musketti
Kokoelma
Historian kuvakokoelma Inventaarionro
HK10000:4027
Kuvaustiedot:
30.11.1939 . 写真は,Museot Finna HK10000:4027用。
1939年11月28日、ソ連はフィンランドと1932年に締結した不可侵条約を破棄し、2日後の11月30日、ソ連赤軍レニングラード方面軍司令官キリル・メレツコフ(Kirill Meretskov)大将隷下の兵力23個師団45万名、火砲1800門、戦車2300輌、飛行機700機がフィンランドを攻撃した。これが、フィンランドの言う冬戦争の始まりであり、対するフィンランド国防軍は、当初12個師団18万名で、総動員によって30万名以上の兵士を確保たものの、火砲700門、戦車20輌、飛行機130機で劣勢であった。カヤンデル首相は親ソ的とされ、1939年12月1日、カヤンデル内閣は総辞職し、後継にリスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)首相が任命され、ソ連と対決することとなった。
写真(右)1939年12月1日、冬戦争の中盤、空爆によって破壊されたフィンランドの首都ヘルシンキの市街地:フィンランドはソ連に奪われた領土奪回のため、1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に便乗してソ連に攻撃をかけレニングラード近郊まで領土を奪回した。 pommitettu Abrahaminkadun ja Lönnrotinkadun kulmatalo
vaaka, mustavalkoinen Aiheen paikka
Helsinki
Aiheen aika
1.12.1939 Organisaatio
Museovirasto - Musketti Kokoelma
Historian kuvakokoelma
Inventaarionro
HK19721231i:1
. 写真は,Museot Finna HK19721231i:1用。
写真(右)1939年12月1日、冬戦争の緒戦、フィンランド、カレリア地峡、ライシャラ、ソ連地上軍の侵攻・ソ連機の空襲を避けるために馬の引く橇に乗って住み慣れた故郷を去るフィンランド人避難民一家:戦争の初期の頃のカレリア地峡から避難する人々。写真は、祖父Antti Siiraと孫Tauno KuosaとVilho Kuosa、祖母Aune Siira、子供の母親Riitta Kuosaと彼女の兄弟Antti Siiraである。 Evakuointia Karjalan kannaksella sodan alkupäivinä. Kuvassa isoisä Antti Siira ja lapsenlapset Tauno Kuosa ja Vilho Kuosa, isoäiti Aune Siira, lasten äiti Riitta Kuosa sekä hänen veljensä Antti Siira.
Organisaatio
Sotamuseo
Kuvaustiedot:
1939-12-01
Tuntematon, valokuvaaja . 写真は,Museot Finna sa-kuva-111155用。
写真(右)1939年12月1日、冬戦争の中盤、フィンランド南部、首都ヘルシンキの北西200キロ、ミッケリ(Mikkeli)鉄道駅から出征するフィンランド軍兵士たち:ミッケリは、現在、フィンランド南部の南サヴォ県ミッケリ(Mikkeli)郡で、サイマー湖畔に位置する。
sotilaita Mikkelin asemalla
vaaka, mustavalkoinen, kiinnitetty kartongille, jonka koko 33 x 23 cm Aineistotyyppi
Kuva
Aiheen aika
18.12.1939 Organisaatio
Museovirasto - Musketti Kokoelma
Historian kuvakokoelma Inventaarionro
HK19541228:53
Mitat
5 x 8 cm. 写真は,Museot Finna HK19541228:53用。
人権を無視して、大量破壊・大量殺戮を行う無差別爆撃(Terror Bombing)は、空襲を受けた側では無差別テロとも呼ばれた。しかし、「民間人の殺害」「非戦闘員を攻撃目標としない」という騎士道精神(spirit of chivalry)な戦争のルールは放棄された。破壊し殺し尽くす無差別テロが湖劇手段として正当化されたのが、第二次世界大戦だったが、この背景には、国家財政が、総力戦に勝つために爆撃機のような大量破壊兵器を生産し、それをい使う兵士を訓練していたことが指摘できる。無差別テロであっても、それを敵を弱体化させる空襲として正当化するプロパガンダが展開され、戦争支持の世論が形成された。
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