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◆HK財政学:第二次大戦アメリカの航空機増産と女性労働者動員


写真(上):1914-1918年、第一次大戦中、ドイツ陸軍航空隊のアルバトロス(Albatros) C.I(機体番号229)多用途機。複座で偵察・軽爆撃などの多用途に使用された。
:第一次大戦中の軍用機は複葉機だったが、1930年代以降、単葉・全金属製・高速の飛行機が開発された。
Flugzeug Albatros C.I , Besatzung Record group N 1645 Bild - Schmeck, Heinrich und Paul.- Bildbestand Inventory information (BASYS-Invenio) Original title [Fotoalbum] Heinrich Schmeck 1914-1918.- Archive title Frankreich (?).- Aufklärungsflugzeug Albatros C.I (?), (Kennung 229) vor Hanger / Zelt auf Feldflugplatz stehend. Davor vier deutsche Soldaten (u.a. Pilot).
写真は、Digitales Bildarchiv des Bundesarchivs Signature N 1645 Bild-00273 引用。

写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機:写真解説には、C54、Produnctin Line、Douglas Aircraft、Santa Monica、CALIF, 1942とある。左方には、胴体の垂直尾翼取り付け部分が明瞭に映っている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047041引用。


マサチューセッツ工科大学出身でマーチン社の技師だったドナルド・ダグラス(Donald W. Douglas)は、1920年に退社してカリフォルニア州サンタモニカに1921年7月にダグラス・エアクラフト社Douglas Aircraft Company)を設立した。そして、カリフオルニア州サンタモニカ(Santa Monica)のクローバーフィールドへ大規模な飛行機工場を設置し、1933年に双発のダグラスDC-1輸送機、1934年に双発のダグラスDC-2輸送機を開発し、大型機製造の一流飛行機メーカーとなり、1936年にはベストセラーとなるダグラスDC-3輸送機を生み出している。

写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の主翼と発動機部:主輪が装備されていない状態で機体を支える専用の工作支柱が工場内に完備している。右側のエンジンナセルの降着装置の格納スペースが明瞭に映っている。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047040引用。


アメリカのダグラス・エアクラフト社Douglas Aircraft Company)は、カリフオルニア州サンタモニカ(Santa Monica)飛行機工場を拠点にして、輸送機開発で名を挙げたが、アメリカ海軍航空隊では1935年のTBD デヴァステイター艦上雷撃機、1938年のSBD ドーントレス艦上爆撃機、アメリカ陸軍航空隊では1938年のA-20 ハヴォック(ボストン)攻撃機、1942年攻撃機A-26インベーダー攻撃機など多種類の航空機を開発・製造してきた大企業である。

第二次世界大戦はアメリカのダグラス・エアクラフト社Douglas Aircraft Company)に軍需景気を呼び起こし大きな成功をもたらした。飛行機工場は、カリフォルニア州サンタモニカのほか、ロングビーチにも拡張され、トーランス、タルサ、シカゴにも工場を増設している。第二次世界大戦のアメリカ参戦期間中の1942年から1945年には、飛行機3万機を製造し、従業員は16万人の規模に達している。

写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場で製造されるダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の垂直尾翼と水平尾翼:専用の工作用足場が工場内に完備している。
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00047038引用。


ダグラス・エアクラフト社Douglas Aircraft Company)が開発したダグラス DC-3(Douglas DC-3)双発輸送機は、引き込み脚、全金属製、低翼式の大型双発輸送機DC-2を改修した発展型1935年12月17日初飛行した。改修点、DC-2胴体を若干太くして、DC-2の2列配置の座席(14席)を3列配置にして21席に増員し、運用効率を大幅に向上させたことである。そこで、1936年6月にアメリカン航空が採用したほか、トランスワールド航空、イースタン航空など、アメリカ民間航空での採用が相次ぎ、ヨーロッパのイギリス海外航空(BOAC)、スイス航空なども導入したベストセラーになった。

ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の発動機はプラット&ホイットニー社Pratt & Whitney)が開発したダグラス DC-3(Douglas DC-3)双発輸送機は、引き込み脚、全金属製、低翼式の大型双発輸送機DC-2を改修した発展型1935(Pratt & Whitney)が製造したR-2000 (32.84 L)ツインワスプ(Twin Wasp )空冷星形14気筒エンジン1,290hp4基で、別会社ので製造されたものである。カリフォルニア州サンタモニカでは、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)社から送られた完成した発動機を、C-54輸送機の主翼に据え付ける作業を行う。しかし、発動機を調整する油圧系統(hydraulic system)、電気回路から、エンジンナセルに取り付ける引込み式の降着装置主輪など飛行機の製造は非常に複雑である。

第二次大戦中に大量の軍需を背景に成長したダグラス(マクドネル・ダグラス)だったが、1997年には、ボーイング社に吸収され、「ダグラス」の名称は消えている。

写真(右)1942年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ、ダグラス(Douglas)飛行機工場のダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の主翼取り付け部分と発動機:胴体の窓は、円形である。備えた座席は、折り畳み式ベンチの簡便なものの場合は、普段は、壁側に折りたたまれていて、座席なしで貨物の収納スペースを大きくとっている。折り畳み式ベンチを備えた貨物専用輸送型である。他方、ソファー座席を備えているのが、民間仕様や要人輸送に使用された人員輸送である。 これが、
SDASM Archives
Douglas : C-54
Manufacturer: Douglas
Designation: C-54.
Official Nickname: Skymaster.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00013367引用。


プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-2000-3ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン諸元
気筒直径ボアBore: 5.75 in (146 mm)
気筒行程Stroke: 5.5 in (140 mm)
排気量Displacement: 2,004 in3 (32.84 L)
エンジン全長Length: 61.02 in (1,550 mm)
エンジン直径Diameter: 49.49 in (1,257 mm)
乾燥重量Dry weight: 1,570 lb (710 kg)
燃料Fuel type: 100/130オクタン
冷却機構Cooling system: 空冷Air-cooled
ギアReduction gear: 2:1
性能Performance
出力Power output: 1,350 hp (1,010 kW)/回転数 2,700 rpm (海面上)
圧力比Compression ratio: 6.5:1

鳥飼担当 HK「財政学」の課題

Word War Mobilization


【1941年第二次大戦中のアメリカ航空機生産】Video from the Past [31] - Building a Bomber (1941) (2014/10/31公開)
A segment of the video tour of the KSU Museum exhibit "The Great War: Women and Fashion in a World at War 1912-1922" narrated by the curator.

1939年9月に始まった第二次世界大戦は、1914年から1918年の第一次世界大戦をはるかに上回る規模の総力戦だった。敵も味方も国家財政を大規模に投入して大量破壊兵器を開発し、最新の技術と戦術の下で大量殺戮を行った。国家による膨大な財政支出があって、初めて、兵器の開発も、工場労働者を大動員しての兵器の量産も可能になった。大戦争を戦うには、国家財政の充実が不可欠である。

世界大戦は、大量の兵器や軍関係の物資が生産されたが、これは製鉄から始まって、小銃、機関銃、火砲、輸送用トラック、戦車、戦艦、巡洋艦、護衛艦、潜水艦、商船、缶詰、軍服などあらゆる軍事物資が含まれる。それが、一部は国営工場で、一部は民間工場で、国家の軍事支出によって生産された。軍需生産・食料増産には、女性も子供も参加した。

1914年の第一次世界大戦では、文明国・列国・一等国が、兵器を量産しそれを使って大量破壊と大量破壊をもたらした。個人や家族を包含する国家を守るための正義の戦いでは、敵は犯罪者と同じく恐怖の対象であり、殲滅されるべき悪であるとみなされた。敵の兵士や労働者を殲滅するまで殺しても、敵は人間以下とされた状況では、悪いことではない。

 戦争になった帝国主義の国家は、敵となった同じような帝国主義国家を全く別の敵として差別するようになった。国家財政が投入され、敵を憎悪するためのブラック・プロパガンダが展開された一方で、味方は国民・国家を守るために戦っている正義の存在というホワイト・プロパガンダが展開された。

第一次世界大戦は総力戦として、国家財政が丸抱えの戦いだったが、第二次世界大戦も同様だった。第一線の戦闘員だけではく、後方の一般社会の民間人も戦争に参加したが、技術発展によって、航空兵力が飛躍的に発展し、空襲・空爆が大規模に実施された。大量の兵士たちが志願した後、工場労働にも農業労働にも女子労働力が動員された。国民世論の支持、戦争のための増税、国債・自由公債の販売による借金が総力戦を支えたが、前線後方にある工場地帯、交通機関、労働者の住宅地、発電所を破壊する空爆・空襲が戦争に勝つ手段として大々的に活用された。


【1944年第二次世界大戦のアメリカ海兵隊向けの飛行機生産】World War 2 U.S. Navy Avaition Machinist Mates Fix it! (1944 Restored Color) (2016/03/01公開)
You'll see Prop Mechanics, Carburetor Mechanics, Instrument Specialists and Flight Engineers at work, repairing & servicing a wide variety of aircraft including like the SBD Dauntless dive bomber, Vought OS2U Kingfisher catapult scout plane, four engined Consolidated PB2Ys & more.
第二次世界大戦では、敵味方とも航空兵力の重要性を認識し、軍用機を大量生産した。そのために、多数の工場労働者が動員されたが、男性が兵士にも動員されたため、それまで男性の職場だった飛行機工場にもには多数の女性労働力が動員された。

こうして、第二世界大戦は、航空兵力が大規模に投入された国家総力戦Total War)となり、後方の民間人もいる都市、港湾・飛行場、発電所、鉄道、架橋なども優先的な攻撃対象となった。物資、資源、燃料、食料、資金、技術、労働、技術を破壊するための空爆・空襲、いわゆる無差別爆撃が大規模に開始されたのが、第二次世界大戦だった。無差別爆撃terror bombing )とは、攻撃対象が兵士や兵器生産施設など軍事目標ではない、工場地帯や労働者の住宅など民間施設であっても無差別に攻撃する爆撃の方法である。無差別爆撃の目標は戦争に勝つことであり、敵を大量破壊し、大量殺戮することだった。

 人権を重視していたら、人殺しはできない。敵の兵士を殺害するのは、国の敵に対する当然の戦闘行為である。敵のや労働者を殺戮するような空襲・空爆は、敵の生産力を弱体化するための手段として正当化された。この時点で、「民間人の殺害」「非戦闘員を攻撃目標としない」という騎士道精神spirit of chivalry)的な戦争のルールは放棄された。そして、敵の空襲にもかかわらず、軍需生産を継続し、兵器を作り、食料を増産して前線の兵士に送り届けるには、国民の戦争協力に向けた一層の努力が求められた。後方の民間人にも命がけの任務が与えられるようになった。これが、第二次世界大戦の空襲下の装飾戦の実装だった。

無差別爆撃terror bombing )など航空攻撃の方法は、爆弾、機銃掃射、あるいは原子爆弾など様々だった。ひとたび無差別爆撃によって大量破壊、大量殺戮が許容されてしまえば、もはや手段の歯止めはなくなったとみてよかった。破壊し殺すことが目標であり、その手段に制約はなくなったのである。国家財政は、総力戦に勝つためのプロパガンダ・教育・世論形成に使用されたが、攻撃側は、空襲は当然の戦争行為である都市、攻撃された側は、敵の攻撃を残酷・非道な行為を犯す存在としてを許容させる。

  第二次世界大戦は、1939年から1945年まで6年間も続いた大戦争だったために、参戦国の国家財政は戦争に大半の予算を使うことになり、多額の借金を追うことになった。戦争下の財政、戦時財政こそ人々の生活の質(QOL)や福祉水準を大幅に退化させるものだった。大量破壊・大量殺戮のために国家財政を消耗しているのだから。

後方における資源エネルギー、兵器・食料など物資の生産の生産、流通・輸送、それに必要な兵士・労働者の調達など、国家総力戦となった第二次世界大戦では、敵味方が大空襲・無差別爆撃を敵の大都市に仕掛けた。国家は、もてる人材、資源エネルギー、物資、技術、世論を総動員して、航空機生産を拡大し、航空兵力を使った大空襲を展開した。

国家総力戦となった第一次世界大戦を拙著『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年』「第2章 第一次世界大戦前半」で、国家財政の役割を、20世紀初めの帝国主義、国家総力戦のより大きな枠組み(フレームワーク)の中で、考えた。

「第3章 第一次大戦後半」では、総力戦に世論の支持を得るために、敵を憎悪する宣伝「プロパガンダ」が行われ、アメリカを参戦させるための「プロパガンダ」がイギリスなど連合国によって大々的に展開された理由を考えてもらいたい。総力戦では、銃後・後方で労働者、資源エネルギー・食料を調達をしなければならないが、そのためには国民の戦争への熱意を高めなくてはならない。これが戦争を戦い抜こうとする士気であり、戦争支持の世論である。そのために、自らは正義のために戦う、敵は悪であるとの国民の士気を盛り上げなくてはならない。これが、プロパガンダである。

 そして、攻撃目標としても、塹壕にいる兵士を砲撃するのではなく、近北の工場に物資を運搬する船舶・商船を撃沈するために、武将商船やUボート(潜水艦)が投入された。機雷による海上封鎖も行われた。これがシーレーン(海上交通網)を維持するための海上護衛であり、交通破壊しようとする潜水艦や機雷による攻撃である。


【アメリカ・ダグラス社の航空機製造工場の生産プロセス】.
Douglas Aircraft Manufacturing - Assembly Line & Engineering 221732-03 | Footage Farm (2013/03/18 公開)
Footage Farm is a historical audio-visual library. The footage in this video constitutes an unedited historical document and has been uploaded for research purposes. Some viewers may find the archive material upsetting. Footage Farm does not condone the views expressed in this video. For broadcast quality material of this clip or to know more about our Public Domain collection, contact。

アメリカの大企業ダグラス社は、軍用機の大量生産を請け負ったが、これは政府の軍事支出に支えられた。アメリカ国民は、政府の発行する国債(自由公債)を購入し、政府の借入を賄ったが、国債の販売で資金を得たアメリカ政府は、それをダグラス社のような航空機製造工場における軍用機生産に支払った。国際販売で借金をした政府は、資源エネルギーの物資調達、企業への兵器発注、労働者の給料に当たることができた。特に国民から借金した資金で、大増産が求められたのは、制空権を得るための航空兵力充実のためだった。総力戦では、国民に国債を販売し、その借金で財政支出を賄った。

第二次世界大戦の無差別爆撃によって最も被害を交付ったのは、枢軸国のドイツと日本の都市だった。日本では、1944年11月以降、サイパン島・テニアン島・グアム島などマリアナ諸島に基地を置いたアメリカ陸軍航空隊の四発大型爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレスによる空襲が始まった。鳥飼行博研究室戦争写真集[左段]「本土東京大空襲Boeing B-29 Superfortress 」にアクセスし、日本への無差別爆撃の実相について理解していただきたい。

鳥飼担当 HK「財政学」の課題

Report Writing

20世紀の帝国主義国家がヨーロッパで衝突した第二次大戦は、ヨーロッパで始まったが、アフリカ・中東・アジアに拡張し、大西洋・地中海、インド洋・太平洋など世界の海の戦いにも発展した。この人類史上最大級の大戦争は、国家が財政・産業・農業・交通・労働力・技術力の総力を挙げて戦った結果、大量破壊・大量殺戮をもたらした。しかし、この総力戦は、国民や植民地の支持がないと戦えないことは明らかだったため、国民と植民地の支援を得るためのプロパガンダ行われた。これは、戦争は国家・国民を守るための正義の戦いであり、敵は残虐非道な悪であるとの煽動であった。

鳥飼行博著『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年―二十世紀初頭から現在まで』青弓社「第9・10章 第二次世界大戦中期」(pp.254-286)に掲載されたような第二次世界大戦の飛行増産・空軍増強・ポスターのように、航空機増産と航空兵力増強のための動員事例を説明しなさい。

その際、鳥飼行博研究室戦争写真集
[右段]「アメリカの軍用機生産 Color Pictures:Mobilization」
[右段]「アメリカの兵士動員 Color Pictures:US Soldiers」
の2本にアクセスし、アメリカの航空機生産と航空兵力充実の事例に言及しなさい。

1)「まとめレポート」をワード(word)で作成、ふさわしい題名,学番,学生氏名を明記。
2)まとめレポートの文字数は、1000文字以上、2400文字以下。他サイトの引用は不可。
3)このレポート課題はサンプルなので提出には及びません。実際の課題レポートは、授業支援システム(OpenLMS)に掲載。

東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程

TorikaiLab, Tokai University



教養学部の講義HK「財政学」は、環境平和学と持続可能な開発を踏まえて、財政学を多様な視点で扱う授業です。

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東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程
鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka
Kanagawa,Japan259-1292
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