高校時代に、人種 は、皮膚の色、体系などの生物学的な区別であり、民族は、言語・宗教など文化による区別であると習ったかもしれない。このように、生物学的特長によるヒトの区分,言語文化的な特長による民族の区分を採用することは、人種は遺伝・DNAが支配する先天的要因で変えることができない区分であるとなり、民族は出自・家庭・教育・国籍が支配する後天的要因による区分で、変化はあっても、やはりそう簡単には変わらないとされる。つまり、人種も民族も生まれ持っての環境に依存しており、それをもとに区分されてしまえば、人種間・民族間には、科学的根拠のある大きな溝、断層があるかのように思えてくる。
しかし,自分に兄弟や姉妹がいれば、お互いに同じ両親から生まれたとしても、その違いは、明瞭にわかる。さらに、従妹や甥など親類であっても、似ているとは言い難いかもしれない。となれば、より広い概念である人「種」といった概念は、実は明確に定義てきていないことに気が付く。肌の色、目の色、体系などで区分することはできるが、それを数値やDNAで厳格に区分することはできないである。これは、人種など実際には存在しないからである。人類は1種であり、たかだか「亜種 」(Subspecies )を区分できるに過ぎない。ゴリラとオランウータンは、DNAで区別できるし、両者の間で掛け合わせたハーフの子孫を残すことは不可能である。しかし、人「種」では「混血」が可能で、ハーフが存在するが、これは人種といっても、生物学的な種ではないからである。歴史的に見ても、人類の進化の過程で、起源は唯一、アフリカの大地溝帯で生まれた種が進化して、移動して、世界中に拡散したことが分かってきた。人種・民族あるいは能力の差異は、遺伝子よりも教育に左右される。兄弟でも大きな違いがあるのはそのためだ。
本来、人間には、一人ひとりの差異があり、みんな違っている。これが個性であり、個性を美徳と感じ、異なる個性を受け入れることが、インクルージョンであり、そこから生まれるのが共生社会である。これを単純化すれば、異なる人種・民族を受け入れる社会ともいえるが、実際には人種も民族も科学的根拠によって識別できるわけではない。これは、障害者と健常者の区別、男女の性の区別ですら全体的なものでないのと同じである。ただし、人種・民族が存在するとしても、そのような差異を受け入れるなら、やはり共生社会ということはできる。
しかし、人種・民族を意図的に定義し,特定の人種民族を差別,迫害するのであれば、もはや共生社会とは異なるのであって、人種民族差別による人権侵害があれば、それは望ましい平和な社会ではない。
このような差別が広まった理由は、人々の偏見といった精神的な問題だけではなく、人種・民族を厳格に区別するのと同じように、ハンセン病にり患した人たちを、恐ろしく忌むべき存在として区別することから、ハンセン病差別が始まったといえる。そして、ハンセン病患者、精神障害者、特定の人種民族を差別・排除しようとする思想は、その背景に「優生学」の思想が根付いているのである。
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優生学と血統の選択(2017/11/04公開)
家畜と同じように、人間が改良できるというのが優生学であるが、これは劣った人間は排除し、淘汰されるべきであるという差別に結び付く。家畜として役に立たない動物は、活かしておく価値がないというのであろうか。
優生学とは、優生学的な偏見を一見、科学的な装いの下に正当化する似非(えせ)科学であり、人間を生殖細胞、遺伝子レベルで詳細に分析し、生命力や治癒力の優劣を区分するという恣意的な研究も含まれる。ヒトゲノムの解読、バイオテクノロジーの進化は、再び先端技術を装って、 「生きるに値しない命 」を選別するようための似非(えせ)科学の優生学を蔓延させる危険がある。なぜなら、優生学思想は、特定グループが自分たちの利益を損なうと考える都合の悪いグループを選別するために、国家、政治家、科学やビジネス界の指導者によって、都合のいいように恣意的に用いられてきたからである。科学的な装いの下に、自分勝手な傲慢な意図を隠して、気に入らない人間を排除することが、優生学の目的である。
優生学によって、優れたものと劣ったものがあるというのは、劣ったものが社会にとって害悪をもたらす、社会にとって負担になると邪魔な存在として認識しているからである。優生学では、文明を生み出す優れた民族と、野蛮で無知蒙昧な劣等民族があり、劣等民族を啓蒙・教育すべきであると考える。優生学では、文化豊かな優秀な人種と、他の人種に寄生して搾取しようとする劣等人種があり、優秀な人種は、劣等民族を支配し、排除する行動を推奨する。優生学では、犯罪者には何か特有の遺伝子があって、その遺伝子を持つものが犯罪者となると考え、前もってそのような遺伝子を持つものを監視すべきである、拘束すべきであると主張する。
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【特集】旧優生保護法を問う 原告の決意 (2018/12/25公開) 「神戸でもいよいよ26日から、旧優生保護法に関する国の責任を問う裁判が始まります。 私たちはどうして子どもを持つ権利を奪われたのか、原告の思いを取材しました。兵庫県明石市に住む小林宝二さんと喜美子さん。 2人とも、耳が聞こえないこと以外はどこにでもいる仲むつまじい夫婦です。 連れ添って58年。 これまで誰にも言えなかったことがあります。
結婚してまもなく、赤ちゃんを身ごもった喜美子さん。 しかし、その後中絶手術と不妊手術を受けさせられます。 何も知らされなかった夫婦は、その後も子どもを望み続けました。
2人が長い沈黙を破ったのは、ことし9月のこと。 兵庫県に住む聴覚障害が、あるもう一組の夫婦とともに子どもを持つ・持たないという選択をする権利を奪い、その後も救済措置を取らなかった国の責任を問う訴えを起こしました。
2人が受けた傷が癒えることは決してありません。」(サンテレビ )
日本では戦後になっても2万人以上が、断種・子供をもつことを許されなかったが、その理由は、優生学に基づく障害者への差別である。
国家財政との関連でいえば、少なからぬ国家指導者が、ハンセン病患者や障碍者が外見的に不快で、感染によって周囲の人々を罹患させ、障害者となって、国に過分の財政負担をさせるようになれば、それは「美しい国」を損ない、健康な人々に害をなし、文化・教育から国家の発展にも充当できる財政支出を、社会貢献できない者にすることになり、無駄である、考えた。そこで、国の恥となり、病気を感染させるハンセン病患者を終生隔離することにし、そのための安上がりな収容所として「国立療養所」を設置したと考えることができる。政府は、優生保護法に基づいて、欠陥品と同じく障害者を社会への負担をかける存在とみなし、断種してきた。
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ひとりの人間としてハンセン病訴訟「控訴断念」への道のり (2018/10/08 公開) 「2001年ハンセン病国賠訴訟において、政府内で控訴断念を貫いた公明党、坂口力・元厚労大臣の働きを振り返り、人間主義を掲げる公明党の取り組みを紹介します。」(公明党 ) 1996年にらい予防法が廃止されたが、療養所に隔離されていた入所者の長い年月が帰ってくることも、人間としての生活が取り戻されたわけではなかった。21世紀になって、政府が言うには「きわめて異例なことだが」ハンセン病患者に対する国の控訴を取りやめにした。厚生労働大臣はハンセン病患者に謝罪し辞職した。国家賠償は30年を2000万円程だが、これで入所者は故郷に帰れたのか、財政に支えられた差別から人権・人間性が回復されたのか考えてほしい。
鳥飼行博研究室左バナーボタン「 授業写真集 」にある
2015年鳥飼ゼミ活動写真「ハンセン病資料館/全生園」
2014年鳥飼ゼミ活動写真「国立ハンセン病療養所多磨全生園」
では、日本国内の有数の国立療養所である「国立ハンセン病療養所多磨全生園」の最近の様子が写し出されている。現在は、開放的な出入り自由の施設であるが、実は、1909年に開設され1996年までは、らい予防法に基づいて、ここにハンセン病患者とハンセン病が治癒した元患者が、終生隔離されていた。換言すれば、国立療養所とは名ばかりで、治療や看護の施設ではなく、強制収容所と同じだった。
1897(明治30)年、第1回国際らい会議において、ハンセン病を予防すりうためには、ハンセン病患者を隔離すべきであるとされ、 1907(明治40)年、「授業写真集 」で、日本政府は、ハンセン病患者の強制収容とハンセン病患者の強制不妊治療・断種手術の基本方針を決定した。ハンセン病患者の収容は、当初は、家庭を離れて放浪するらい病患者(放浪癩)の収容・隔離から始まったが、その後、すべてのらい病患者を死ぬまで完全に隔離する絶対隔離の方針を示した。地方自治体でも「無癩県運動」を警察と行政を動員して実施し、県内に自由に移動できるハンセン病患者を一人もいないようにする排除政策が実施された。
明治期に制定された「癩(ライ)予防ニ関スル件 」は1931年、癩予防法に改正された。癩予防法 では、ハンセン病患者を自由にさせず、収容所に終生隔離しておき、危険な病気を持った子孫が増えないように、断種・不妊手術を施す方針が明確にされた。この時期、実は、世界では、1943年に発明されたハンセン病患者に対する特効薬、プロミン の治癒効果が明らかになりつつあり、絶対隔離について、疑問も出されていたのであるが、ハンセン病患者への差別は、優生学に基づく病気の予防措置であるとして正当化された。また、医学的判断だけではなく、政府は、ハンセン病患者を国の恥であると不快感を表しており、国民に対しても、ハンセン病を恐ろしい不治の病で、感染しやすいので、患者は、隔離すべきであると教育を行った。ハンセン病患者は、犯罪者と同じように、社会に悪をなす存在として、不治の病として嫌われるように仕向けられた。健康な国民と、恐ろしい病をもつハンセン病患者とを区別する優生学に基づき、政府はハンセン病患者を終生隔離し、断種 ・不妊治療を強要した。
政府は、国立療養所にハンセン病患者を強制的に隔離したが、療養所と称してはいても、そこで患者に対する積極的な治療は行われず、病気が悪化して失明・歩行困難など重度の障害者になっても、介護を行わなかった。介護は軽度の障害のある同じハンセン病患者の入所者に行わせた。入所した児童には、学校教育を施さなかった。満足な食料も提供しなかった。昭和の時代になっても、正月に卵1個が支給されるのが楽しみだったと、入所者から伺ったのは、2010年以降である。
このように、国立療養所に隔離されたハンセン病患者のためには、衣食住、衛生・医療、教育というベーシックヒューマンニーズ が提供されず、入所者たちは外出できないまま、療養所の中で、自給自足的な生活を強いられたのである。優生学を信奉する政府関係者も医療専門家も、このような社会に貢献できないような病気・障害のあるハンセン病患者を「無駄飯ぐらい」と蔑んだから、彼らのために支給する物資も資金も最小限に抑制し、財政支出を軽くするように図った。同じ財政支出をするなら、健康で社会に貢献できる人々や企業に支出すべきであり、ハンセン病患者への財政支出は無駄な資金であると考えたのである。優生学的発想を信奉した為政者・医療専門家は、ハンセン病患者を活かしておくことですら、国家予算の無駄使いであると思ったかもしれない。国家財政の節約のために、国立療養所に隔離されたハンセン病患者は、助け合いながら、自給自足に近い生活を終生強いられたのである。
日本は、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第一次世界大戦で勝利し、文明国・列国・一等国という大国意識を持ち始めた。戦争に勝利し勝ち組になった日本人は、大和民族が優秀であることを、優生学が科学的に示しているように錯覚した。明治政府は、欧米の先進国と同列となるため、昭和からは、欧米を凌ぐため、らい病(ハンセン病)患者がその外観から「国の恥」「国辱」「日本人の面汚し」と映らないように排除しようとした。ハンセン病患者を治療し彼らとの共生を図るノーマライゼーションは、財政負担がかかりすぎると判断され、国家に貢献できないらい病人の人権保護は必要ないとされた。つまり、ハンセン病患者に対する人権侵害(終生隔離・断種)には、 1)優生学に基づく優秀な日本人という驕り、 2)健康な国民(兵士・労働者)育成による国力増強、 3)国家貢献できない人間を切り捨てる国家主義的な財政効率優先、 という三点が大きく影響している。
日本は、第二次大戦敗戦後の1948年になっても、優生保護法によって「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」とし、優生保護法第三条「医師の認定による優生手術」で優生手術、すなわち生殖腺を除去せず生殖を不能にする手術で、精管あるいは卵管の結紮(けつさつ)による断種・避妊手術を行うとした。つまり、ハンセン病患者の終生隔離・断種手術は、戦前・戦時中同様、継続された。
ハンセン病に正しい知識を持たない国民の偏見や無知は、ハンセン病患者の隔離・断種という人権無視を引き起こした背景として指摘できる。しかし、ハンセン病の伝染力の低さを認識し、プロミン治療を知っていた専門家や政府・行政、特に厚生省は、どのような理由から、隔離を続けたのであろうか。日本の優秀な医療や行政の専門家は、ハンセン病患者・癩病患者を一生涯、「国立療養所」という名の強制収容所に隔離し、断種 手術を強要し、入所者の人権を侵害し続けてきたが、そのような長期にわたるハンセン病患者の差別の理由はどのようなことであろうか。 ハンセン病患者の人権侵害は、優生学に基づく精神障害者排除と全く同じ理由であり、国民の無知蒙昧というよりも、行政官・軍人・学者・医師など専門家の優生学的偏見、非人間的な財政支出節約の発想が根本的な理由として指摘できるのではないか。
鳥飼行博研究室(http://torikai.starfree.jp/)左バナー「アジア写真集 」左列中ほどにある「日本優生学のハンセン病隔離 Hansen's disease」を熟読して、考えてもらいたい。