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◆「消費者行動論」市場とはどのような場所か

1776年刊行アダム・スミス著『諸国民の富』The Wealth of Nations、正式には『諸国民の富の性質と原因の探求 Tn Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations(日本訳では国富論と誤訳されることが多い)第4章第2節「経済学の諸体系」では、「人とは単に自らの生活を保障し、そして大いなる価値のあるものを生産することを、手段として正当化している。そして、多くの事例と同様、こうした経済行動は、一つの神の見えざる手に導かれ、人が当初意図したこととは全く別の結果に至るのである。」(鳥飼行博訳)

he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain; and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention


POLITICAL THEORY - Adam Smith


古典的な経済学では、市場は、自由競争、消費者の選択という神の見えざる手に導かれて、各人の豊かさ(効用)を追求し、「人が自らの利益を追求することによって、神の見えざる手に導かれるかのように社会全体の利益に必ず到達する」という「予定調和説」が主張された。しかし、現実社会には、大きな所得格差があり、これは所得分配の平等あるいは公正という倫理観、道徳的感情に反している。つまり、市場が導いた毛材の結果は、必ずしも社会的に望ましいかどうか、特に所得格差、所得分配の不平等、貧困は大きな問題として残されている。

例えば、先進工業国・成熟社会にある日本の国内にも、経済格差は広がっている様だ。背景には,グローバル化、貿易・投資の拡張、労働市場の歪み、移民増加による労働者の構造変化、不適切な税制度などが指摘されているが、所得分配の不平等は、国民や成熟社会にある市民をの分断し、その間の対立を引き起こし、場合によっては紛争を顕在化させる。例えば、国際的な独占資本、アメリカ・中国・ドイツ・日本のような大国では、反グローバル化の行動が発生している。また、アメリカ・中国・ドイツ・日本のような大国では、国際的な所得分配の不平等を当然のこととして、排外的な一国主義が台頭してきた。自分たちの生活が、外国人や外国企業によって脅かされているとして、自由な貿易や投資を制限したり、経済制裁を課したりする動きがこれである。20世紀末に盛り上がったグローバル化は、2018年末に環太平洋パートナーシップ協定(Trans-Pacific Partnership Agreement: TPP)の発効に結び付いたものの、相手国が不公正な貿易を行っているといった貿易摩擦・貿易紛争が起きているし、無関税・無規制の自由貿易が実施されているとは言えない状況にある。


写真(右)2013年8月、フィリピン共和国、マニラ首都圏マニラ市キアポ市場の市場通り:2013年8月、マニラ首都圏マニラ市キアポ市場。LRT1号線のカリエド駅を降りるとすぐに市場通りがある。ここをまっすぐに行くとキアッポ教会に至る。ここから北へ行くと、デパートやや土産物屋もあり、日本人にも人気なデビソリア(Divisoria)市場がある。 マニラ首都圏のキアポ市場。デビソリア(Divisoria)に連なる庶民街の市場通りで、果実が売られている。このほか、食品、衣類、雑貨など日用品も売っている。半ズボン、Tシャツの軽装で、草履を履いている売屋の人たち。家はトタンなどで囲んだバラックが多いが、コンクリートブロックの二階建ての家屋もある。

「人間」は社会的存在であり、他者の存在・価値を意識して、実感しながら生活している。「人間」が構成する社会にあって、所得格差は、不平等感をもたらしう、豊かさの実感を阻害するものである。そうなれば、社会的欲求としての平等達成のために、国内的にも、濃国際的にも、所得再分配、社会保障あるいは国際協力によって、所得格差を是正することが求められる。しかし、格差をもたらしたのが市場でであるとしても、市場に代わるシステム、メカニズムでコミュニケーションや商品取引が円滑にできるのであろうか。

市場に任せた自由放任、自由経済は、資本主義であり、「持つものがますます豊かに、持たざる者を持っているものまで取り上げられる」という勝者と敗者、勝ち組と負け組をもたらすものであろうか。市場経済の下で、所得分配が不平等になることは、かなり以前から、20世紀の初頭にはわかっていた。国際的にみても、先進工業国と開発途上の間に所得格差もあるし、国内での所得格差も当然ある。所得分配の不平等があり、貧困が残っているから、これは市場が諸悪の根源なのであろうか。市場では、妬み、憎悪も生み出されるが、ほかのシステム、メカニズムなら、それ補様な問題は起きないのであろうか。市場自体には、社会的価値観(真の豊かさ)の要素である所得分配の平等・公平を達成できる保証はないが、これを達成できるシステムやメカニズムがあるのか。
 
イギリスの貧困にある労働者、その家族のフィールド調査をし、貧困を分析したフリードリヒ・エンゲルスは、カール・マルクスの盟友として、貧困の実情を調べる中で、貧困を解消するには、貧困者を助けるだけでは不十分で、貧困の原因、すなわち市場経済を廃して、社会主義による平等化が、貧困救済に繋がると考えた。ここでの問題は、資本家、生産者、労働者を重視したものの、消費者について、市場の果たしてきたプラスの役割について、十分な考察をしていなっかったことかもしれない。
 

写真(右)2013年8月、フィリピン共和国、マニラ首都圏マニラ市キアポ市場の市場通り:2013年8月、マニラ首都圏キアポの市場で売られている茹でトウモロコシ。デビソリア(Divisoria)はマニラ港の税関、PNR(Philippine National Railway)駅があったため、古くから商業地区として栄えている。手前の少年は、ビニール袋を広げているが、この袋は売り物で、ただではない。児童労働の一環で、買い物袋がない客に、ビニール袋を有料で売るのが、この少年の仕事である。

市場には、フローの所得だけでなく、ストック資産(富)についても、分配が公正である保証されない。労働時間、能力、努力、ビジネスチャンスの差異から、所得分配は不平等で、その資産(富)の分配も不平等になる可能性は十分にある。換言すれば、市場には所得分配の不平等を是正する機能はないのである。市場に経済を任せる自由放任、自由競争の射会では、自由は確保されても、所得格差、所得分配の不平等という問題が残ることになり、これが貧困状態にお散ったままの人々の豊かさを損なうことになる。簡単化すれば、金持ちと貧乏人の格差があるが、これは経済学的には「所得分配の不平等」という。それでは、所得分配の不平等もたらしたのが、市場であろうか。それとも不平等は、体力、知力、努力、能力を反映したものであろうか。その所得格差は、どのようにしたら是正されるであろうか。
 
マール・マルクスなどが唱えた社会主義とは、市場の下で、自由競争が行われても、所得分配の不平等となる以上、市場を根本から改めて、ことなる経済システムを導入すべきであるという思想である。市場に依存しながら政府による所得再分配など市場への介入をする「混合経済」よりも、市場経済(資本主義)を廃止し、あらたに計画経済(社会主義)を樹立すべきであるという。もちろん、自由競争を否定し、所得分配の平等を達成しようとする計画経済・社会主義が、本当に人々の豊かさを実現するのかどうかは、保証されてはいない。このことは、「歴史的に実証されている」という学者もいるが、19世紀から21世紀初めまでの歴史を見るだけでは、市場に任せた資本主義が優れている、と断言できるだけの証拠はない。市場の歴史はそんなに浅くないのである。
 
市場が人々に豊かさを保証するとは言えない一つの理由は、経済がすべて市場を通じて出来上がったものではないからである。これにはどんな事例があるのか、実は、市場を通じない取引、金銭(カネ)の支払いのない経済(モノ・ヒト・ワザのみ)は、いたるところに広がっている。家族が家事を無償で担う自家労働(家内労働)、自分で作ったものを自分で消費する自家消費、これらは市場で売り手(供給者)と買い手(需要者)が相対して取引し、支払いを伴うものではないが、経済活動ではある。
 
無償の大気、水、土、森、みどりを感じたり、利用したりして効用や利益を得る「外部経済」は、市場を通さない消費・生産という経済活動である。また、人間に必要な大気、水、土、森、みどりなどの環境は、その利用から誰かを排除することができない非排除性と等量消費の性質を持つ公共財であり、消費者に意味を持つ経済財である。しかし、市場を通じて、売り手(供給者)と買い手(需要者)が取引する対象には馴染まない。
 
このように、家内労働、自家消費、外部経済、公共財など、市場を通じない経済活動は、人々の真の豊かさに向かく結びついている。これらなしには、ベーシックヒューマンニーズすらも満たせず、生活もままならないのである。

講義コンテンツ

Environmental Cooperation




写真(右)2013年8月、フィリピン共和国、マニラ首都圏マニラ市キアポ市場の市場通り:露店も都市インフォーマル部門(urban informal sector)の生業である。会社に雇用されていなければ、お金を稼ぐために都市インフォーマル部門(urban informal sector)に雇用機会を見出すしかない。

市場を中核とする経済活動を謳歌する資本主義は、産業革命以来、現在まで続いている。この根幹にある市場の意義を考えてみたい。現在の日本は、豊かな国である。しかし、これは日本の国際的地位を高めたり、国益を得たりすることが第一義的重視されたもたらされた結果ではない。日本人が、国のために経済活動を行った結果ではないなら、どうして日本人は豊かになったのか。その理由を考え直してみたい。


写真(右)2013年8月、フィリピン共和国、マニラ首都圏マニラ市キアポ市場の市場通り:2013年8月、マニラ首都圏キアポ教会前のキアポ市場。マニラ市エルミタ地区から、デビソリア(Divisoria)行きジプニーで20分、キアポマーケットに着く。キアポ地区は、16のバランガイ(Barangays:最小の行政単位)からなる人口2.5万人の地区。キリスト教徒のほか、イスラム教徒も住んでいる。このような都市インフォーマル部門は、食品など材料を安く買って加工したり、小さな袋に分けたりして、露店で売る転売、路上で客を待つ靴磨きや荷物運び、商店やタクシーやバスの客引き、駐車する車の番人など、さまざまな職を自ら生み出している。この特徴は、小規模な元手で行う自営的サービス業という点であり、高失業率といった主に会社の正規雇用を念頭に置いた概念で図ることはできない。  

20年以上前、テキスト『開発と環境の経済学−人間開発論の視点から』を執筆していた20世紀末、日本では豊かさは、物質的ゆたかさより精神的な豊かさ、物の豊かさより心の豊かさの重要性が指摘されていた。1960年代までの日本の高度経済成長の時代、物質的豊かさ、物の豊かさを追求する生き方が肯定され、「国民所得倍増計画」「大きいことはいいことだ」といった経済成長第一の物質主義が蔓延していた。その後、豊かさの精神的な心の豊かさが指摘されるようになった。しかし、そこでの経済の基盤は、全く変わっていない。これが市場である。グローバル化が進もうとも、技術が発展しようとも、経済が市場を中心に動いていることには変わりがない。登場する商品は異なって、はやりすたりはあるが、取引のあり方、取引の本質は、市場にある事には変わりがない。


写真(右)2013年8月、フィリピン共和国、マニラ首都圏マニラ市キアポ市場の市場通り:露店も都市インフォーマル部門(urban informal sector)の生業である。露店が立ち並び、周囲には商店やデパートがあるので、買い物には便利な場所である。

豊かさは、今までは、物質的豊かさ、物の豊かさを意味してきたが、現在の日本では、精神的な豊かさ、心の豊かさの重要性が指摘されている。これは、豊かさには、物と心の二面があるということで、日本では、久しく物質的豊かさより、精神的豊かさが、物より心が大切に思われてきた。1960年代から50年以上も長年に渡って実施されてきた「世論調査」から、成熟社会の特徴を整理し、しばらく前に成熟社会に達した日本では、なぜ「持続可能な開発」が重視されるようになったのかを考えたい。対照的に、物質的に乏しい途上社会にある貧困者が、ベーシックヒューマンニーズを満たすのも難しいような状況で、グローバルな視点で、世界の持続可能の開発のために、どれだけ負担できるのか、を見直してもらいたい。これは、例えば、成熟社会にある先進工業国と途上社会にある開発途上国の間で、1人当たり所得の格差がどれほどかを知ることから始めなければならないだろう。


写真(右)2013年8月、フィリピン共和国、マニラ首都圏マニラ市キアポ市場の市場通り:露店で蝋燭(ろうそく)を購入し、願い事をして蝋燭に火をともした鳥飼ゼミの3年生。2013年8月、マニラ首都圏キアポ教会前の蝋燭売り場。マニラ首都圏マニラ市キアポ教会隣で、祈祷に使う蝋燭を購入する鳥飼ゼミの3年生。ろうそくの使い方、ろうそくを灯す(ともす)意味を教わった。 日本人にも、蝋燭のともし方を丁寧に教えてくれ、差別はなかった。 メトロマニラ、キアポ教会に礼拝に来るキリスト教徒の慈悲があてにできるので、路上生活者(ホームレス)も暮らしている。

成熟社会と途上社会の人々は、第一にともに「宇宙船地球号」に住む住民、すなわち「地球市民」である。第二に、ともに地球に閉じ込められているという点で閉鎖経済の中で経済活動をするしかない。第三に、ともに宇宙船地球号の未来を共有するという意味で、将来世代は運命共同体にある。そして、そこでの取引は、市場を通じた売買取引が多いが、家内労働、自家消費、外部経済、公共財など、市場を通じない経済活動も真の豊かさに深く関連している。経済学は、金儲けの学問、ビジネスの指南役であるというのは、正確な表現ではなく、誤解を招くのである。

市場の機能、価格、需給均衡、商品(財貨サービス)の売買取引の前提条件は何かを考察し、市場での具体的な取引のあり方、交渉過程でなにがやり取りされるかを考えたい。

市場で売り手(供給者)と買い手(需要者)では、商品と貨幣が交換される、というのは一つの特徴ではあるが、市場で売り手(供給者)と買い手(需要者)とが相対して取引するのは、商品・貨幣だけではない。売り手(供給者)と買い手(需要者)が対面し相対した本源的市場では、挨拶から入り、商品の質や価格の交渉など、相互のコミュニケーションをとる。これが、売買取引の前提である。このやり取りを通じて、売り手(供給者)と買い手(需要者)は、商品と価格についての情報を相互に共有し、それを信じて、売買取引をする。つまり、市場には、売り手(供給者)と買い手(需要者)とが、商品・価格をコアにして、相互にコミュニケーションを図り、信頼関係を築くという特徴がある。売り手(供給者)と買い手(需要者)とが相対する本源的市場は、「いちば」を事例としてかんがえることで、具体的な意義が理解できるであろう。

Virtual Lecture Series鳥飼行博研究室アジア写真集やVirtual Classバーチャルクラス掲示もご覧ください。

鳥飼担当「消費者行動論」の課題

Report writing

<レポート課題サンプル>

講義コンテンツとテキスト『開発と環境の経済学―人間開発論の視点から』「第1章 開発とはなにか」を参考に、20世紀後半の南北格差から持続可能な開発の登場まで、物の豊かさと心の豊かさ、主観的豊かさと客観的豊かさ、途上社会と成熟社会を対比しながら、消費者の心理を分析してきた。経済学は、なんでもカネ、ビジネスと同じ、というのは誤解である。市場で評価されないものでも、ミクロ経済学の重要な課題とされてきた。これが、今回の公共財や外部経済という概念であり、この概念を使えば、環境問題と経済の関連性が今までとは異なった視点で理解できるようになる。 その際、鳥飼研究室左バナーボタンのアジア写真集(http://torikai.starfree.jp/photo/photos.html)掲載の2サイト (左段)中国 「中国河南省の農村と薪採取 Village of Henan」 (右段)「フィリピン タイガーグラス箒の製造 Tiger Grass Broom」の全て閲覧し、無償のエネルギー、無償の原材料の事例を引用すること。

講義コンテンツとテキスト『開発と環境の経済学―人間開発論の視点から』「第1章 開発とはなにか」を引用しながら、外部経済、公共財、フリーライダーに注目して、真の豊かさを求める成熟社会にあっても、世界のみんなのために、持続可能な開発を進めることがいかに難しいか、その理由を説明しなさい。

<レポート課題サンプル>

市場の機能、価格、需給均衡、商品(財貨サービス)の売買取引の前提条件は何かを、人類が財貨サービスの取引を始めたときから存在する本源的市場の実情を踏まえて、考察せよ。その際、鳥飼研究室左バナーボタンのアジア写真集(http://torikai.starfree.jp/photo/photos.html)掲載の3サイト「中国雲南省の白族定期市Bai People & Market」「マニラ庶民市場のゼミ研修Pasay & Litex Market」「カガヤン州ツゲガラオの市場Tuguegarao, Cagayan」の全て閲覧し、そこから市場の本源的意味、すなわち売り手と買い手の信頼関係、商品情報、コミュニケーションに関して、具体例に即して説明すること。

1)「まとめレポート」をワード(word)で作成、ふさわしい題名,学番,学生氏名を明記。
2)まとめレポートの文字数は、1000文字以上、2400文字以下。他サイトの引用は不可。
3)このレポート課題はサンプルなので提出には及びません。実際の課題レポートは、授業支援システム(OpenLMS)に掲載。

東海大学HK社会環境課程

TorikaiLab, Tokai University

大学での講義「消費者行動論」は、持続可能な開発を、グローバルとローカルの双方の視点で、成熟社会、開発途上国、地域コミュニティを、ミクロ経済学的に分析する授業です。現実的な問題を扱いながら、経済理論とその論理的展開を可能にする能力、批判的検討能力を身につけるのが目標です。

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東海大学HK社会環境課程
鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
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