<今時の日本の大学教員は------?>
◆従来の大学 では,教員が自分の専門を自分のやり方で教授し,学生はそれを好奇心と眠気を持って聞くというスタイルがありました。また,大学教員は,学生にわかりやすく教えるという教師というよりも,世界的な研究を推進する学者,学問ばかりで世間を知らない,あるいは象牙の塔に籠もって研究すると評価されてきました。また,大学生の学力が大幅に低下してどうしようもないと酷評されていますが,本当でしょうか。
確かに,大学・短大への進学率 が,20%程度の時代,それも大変が男子学生で,女子の四年生大学進学率が10%未満の時代には,そのような教員(公立では「教官」)が多かったかもしれません。しかし,いまや女子も含め,進学率が48%にも高まり,女子の四年制大学への進学も当たり前になった時代です。
◆にもかかわらず,
「大学では研究が重視され,教員が教育に不熱心なために,授業をつまらなくなっている----」と一部有名大、一部の教授を引き合いに出した議論があります。しかし、この議論は、日本の大衆化した大学には当てはまりません。 もちろん,従来の一部,そのような傾向が残っていることは確かです。学会あるいはメディア・社会で評価されている有名教授でも,授業が面白くない----と思っている学生諸君もいるでしょう。いい加減な授業,教え方の下手な授業,レベルの低い授業は,いつでも,どこにもあったのだと思います。すべての学生を満足させる授業など,いつの時代でも稀だったのではないでしょうか。
◆「象牙の塔」に籠もって大学で研究している大学教授も,研究熱心でかつ教育不熱心な大学教授,研究不熱心で教育熱心な大学教授を,私は一人も存じあげません。研究はするが教育しない大学,あるいは教育は施すが研究しない大学など,聞いたことも見たこともありません。 。つまり,大多数の大学では,高等教育の大衆化の中で、研究重視の弊害が表面化するほど,大学教授は研究や教育の双方に不熱心ではありません。研究と教育は両輪のように並んでいるものであって,片方では,大学は前進できないのです。
◆大学の研究運営方針といっても,体系化し,専門化できるほど十分な予算とスタッフを揃える事は,大半の大学にはなかなかできないというのは本当です。また,大学スタッフの全てが研究と教育に重きを置いているわけではないのです。結論から言えば,世界大学大学競争を踏まえれば,研究も教育もどちらも世界市場で評価されなければ,大学の評価が高まらないと考えられるのです。研究と教育は一体ですから,どちらかに偏重するしているということは,まずないのです。授業がつまらない教授は,研究にも不熱心でしょう。研究していない教授の授業は,レベルの低いものと決まっています。いわゆる最高学府というからには,研究と教育の双方が備わっているはずで,どちらか一方だけが欠けているということはないのです。欠けているとすれば,研究も教育も双方がいい加減なのだと思います。重点の置き方は異なっても,研究か教育かという二者択一の大学はありえないと思います。
◆現在,私立短期大学 や四年制大学でも,定員が集まらず,外国人を形式的に入学させたり,定員割れになって倒産・廃校になったりしているのが現状です。2004年10月19日、文部科学省による学校法人北九州学院解散命令 もでました。文部科学省は、北九州短期大学を経営していた学校法人北九州学院(柿原博理事長)に対し、私立学校法に基づく解散命令を出しましかた、これは1978年以降、大学生が在籍せず、運営停止状態となっていたからです。多数の中国人留学生 がアルバイト目的で集めた山形県の酒田短期大学 を経営する瑞穂学園にも2004年7月、解散命令がでています。福岡市の東和大学 も、学生募集を中止、在校生が卒業する2009年度で廃校になる可能性が出ています。
有名とはいえないような大学・特定の学部、短期大学 では,入学希望や受験者が集まらない以上,大学経営は成り立ちませんから,学生集めを最優先することのにも十分に理由があることなのです。しかし,これは,教育も研究も双方を放棄する結果を生み出しました。人集めに狂奔する大学は,教育もいい加減なものだと思います。
◆新聞やTVに登場されるビジネスマンや評論家 は,たくさんいらっしゃいます。その中には、有益な論も多いです。早稲田大学の改革 など大きな成果を挙げた大学改革があるのも間違いないでしょう。教育改革かわら版 は、大学受験を目指す高校生とその保護者向けに、国立大学法人化など大学改革に関する情報を提供して、公私の見解が広く掲載されています。大学競争など死語になったように見えますが、そこには、「平成19年度 全国主要公立高校の難関国立大学合格実績とその評価分析」 として、旧帝国大学7校+東工大・一橋大+旧帝大以外の医学部医学科+国公立大合計合格者が誇らしげに掲載されています。これを見ると、世界最高峰の科学技術,文化を誇る日本ですが,研究や科学技術,教育の面から見て,世界に渡り合える「日本の最高学府」がたくさんあるように思えてきます。しかし,実は研究教育に関して,世界的に最高位の評価を受けている日本の大学は,それほど多くはありません。その証拠が,日本の大多数の大学では,入学希望者や定員の充足を気にせざるを得ない状況にあることです。少子化の影響だ,という人もいますが,これは短絡的です。世界の教育熱は高まっており,日本がすばらしい大学を擁しているのであれば,世界から優秀な留学生が勉強にやってくるはずです。日本語を学ぼうとする意欲的な学生が増えてくるはずです。
しかし,世界の学生,ビジネスマン,メディア関係者,留学生,研究者から一般市民まで,日本の大学に対する関心・興味は,それほど高くはないのが現状です。世界の大学ランキングからみても,日本の大学研究・大学教育の評価は,最高位のレベルにあるわけではありません。これは歴然としています。こうした状況で,研究重視で大学が成り立たないとか,大学教授が研究ばかりしているから,大学の授業がつまらないといったことは、ありえないのです。たぶん,教育も低位にあるから,世界評価が低いと考えられます。世界大学大学競争を踏まえれば,研究も教育もどちらも評価されていないので,大学の評価が高まりません。どちらかが評価されるのであれば,世界ランキングでは,最上位に大学名が登場してくることでしょう。
残念なことに,アジアの大学ランキング にも,日本の私学はほとんど出てこないのです。「今の日本の大学は------」といえば,日本の大学とその技術・教育が世界トップクラスの評価を受けていた,あるいはいると錯覚してしまいます。世界評価は,日本国内の内輪褒めとは違うのです。世界大学競争の時代では,国内外格差をを理解すべきです。多分,MBAをお持ちの識者や評論家の方々は,2006年ビジネススクール世界ランキング をご覧になって,自画自賛的な日本の大学評価はできないことをご存知だったので外国の大学でMBAを取得されたのでしょう。
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国公私立大学を通じた大学教育改革の支援 として、2007年度予算額:602億円(2006年度予算額:562億円)が投じられています。この大規模改革案では次の四点を重視しています。 1. 課程に応じた教育内容・方法の高度化・豊富化の充実 2. 現代的課題に対応できる人材養成と大学の多様な機能の展開 3. 社会の養成に応える専門職業人養成の推進 4. 国際競争力のある世界最高水準の研究教育拠点形成 つまり、 特色ある優れた取組みを支援するプロジェクトであり、選定された計画の大半は、有名大学のものなのです。有名大学ばかり見ていて、学力低下がはなはだしい大学生のいる大学は、恩恵を受けていません。しかし、大学生の大半が、このような大衆化した普通の大学に在籍しているのです。彼らを教育している大学教授が多いのです。大学内に格差もあるでしょうし、大学教授・大学生の格差はもっと大きいでしょう。そこで、大学上層部の手腕・能力と相まって、大学の経営・研究・教育方針は、異なってくるのです。しかし,すべての日本の大学は,グローバル化の中で,世界の大学と競争していことを定められているのです。世界大学競争のなかで,小手先の大学改革が,このような大競争時代にどこまで通用するかが問題です。
◆世界大学大学競争を踏まえれば,研究も教育もどちらも世界で評価されなければ,大学の評価が高まりません。少子化と高学歴化(大学の大衆化)のために,大多数の大学にとっては,魅力をアピール必要性は強まっています。そのために,スタッフ,施設,プログラムを準備することが求められています。
◆四年制大学への女子進学率 は、1970年6.5%、1980年12.3%、1990年15.2%から2000年には31.5%へと大幅に上昇しています。大学教育の大衆化がすすめば、大学生は勉強のできるエリートだけではなく、勉強以外の興味から、進学してくる学生が多くなっています。そのなかで、高等教育を授けるべき大学が研究だけ重視していたのでは、学生の教育は進展しません。昔の旧制中学 のような有能なエリートであれば、「教え方の下手な大学の授業」であっても、十分に知識をはぐくむことができたはずです。しかし、世界的に大学入試の大衆化 が進行し、学生の大衆化 の中で、学力の低下した入学者を対象に、大学が「下手な授業」を提供しても、全うな高等教育は不可能です。研究はいくらできても、教え方に魅力がなければ「興味ある授業」を行うことはできません。その意味で、「研究ばかりしている大学教授は、教員としては失格」という俗説は真実を含んでおり、下らない噂 も、フィクション、間違いだけとは言い切れません。大学の教員は、研究と並んで教育に力を入れることが必要です。大学教授は、研究者兼教育者 でもあるのですから、研究と教育の両輪を充実させることは、大衆化された大学では当然のことなのです。 大学改革の第一歩は、「興味ある授業 」を展開できるような体制を作ることであり、それには、大学教授が研究を深めて自己研鑽を積み,その上で、教育にも十分配慮することが望まれます。十のことを知っていても,三のことしか教えることはできません。十のことを教えるには,三十のことを知っていることが求められます。世界大学競争のなかで,研究も教育のどちらか,できればどちらもできる大学教授がいてこそ,日本の大学評価が高まると考えられるのです。(2008年鳥飼行博記述のまま、変更・追加・削除なしに掲載)
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