南北格差
1.物と心の豊かさ
1.1 成熟社会
日本では,国民生活に関する世論調査によって,「心の豊かさ」と「物の豊かさ」のどちらを重視するかという質問を1972年から30年間にわたって,年1回程度実施してきた。これは,2000年までの総理府広報室,現在の内閣府大臣官房政府広報室による国民生活に関する世論調査であり,ここでは1976年に初めて,物の豊かさよにも心の豊かさを重視するとの回答率が上回った。その後,心の豊かさと物の豊かさとは回答率が拮抗していたが,1979年以降は一貫して,心の豊かさ重視が,物の豊かさ重視を上回っている【1】。物の豊かさとは,物質的な経済的豊かさを意味し,心の豊かさは,安らぎ,憩い,連帯感など感情的な部分と正義,公正,理念など倫理的な部分その他の集合体で,物の豊かさ以外の豊かさを全て包含している。つまり,心の豊かさを重視するとは,さらに物を手に入れるよりも,心を満足させるために,物以外の要素を手に入れたいという欲求である。そこで,物の豊かさ重視から心の豊かさ重視へと回答率の比重が移ったということは,価値観変化,成熟社会化の反映である。
他方,20世紀末には,世界規模で経済,社会,政治,文化の結びつきが強まり,相互の影響力を高めつつ,発展を遂げるグローバル化が進展したが,特定の価値観や行動様式が急速に世界中に広まり,それに伴って,ある価値観,行動様式が拡大したり,価値観の対立・融合が生じたりと,心の豊かさにも,大きな影響を与えている。したがって,豊かさには,経済,社会,政治,文化など様々な要素が含まれ,複雑であるが,それを端的に要約すれば,次のような人間環境に関連していよう【2】。
? 所得・経済成長率など経済パーフォーマンスの改善
? 工場設備などの資本の形成
? 経済社会を支える運輸・通信,エネルギー,教育,衛生・医療などのインフラの整備
? 乳幼児死亡率の引き下げなど人間開発指標の改善
? 老人・障害者・女子・児童などの社会福祉の向上
? 自然環境,アメニティなど環境の保全・回復
? 大量殺戮兵器の廃絶,紛争終結などの平和の確立
? 自由権・労働基本権など人権の確立
? 家族・友人・地域コミュニティ・国家の絆・連帯感などコミュニケーションとアイデンティティ
このように,人間環境とは,人間を取り巻く経済,社会,衛生・医療,福祉,自然環境,平和・人権など様々な豊かさに結びつく領域といえる。
内閣府大臣官房政府広報室(従来の総理府広報室)の国民生活に関する世論調査によれば,成熟社会化の傾向が指摘できる【3】。つまり,各項目の質問に対して,回答は次のように変化し,精神的豊かさ重視の傾向が強まっている(質問開始時期の1958-1973年の回答率と2002年6月の回答率)。
? 去年と比べた生活の向上感: 同じ(1964年63.6%→66.9%),向上(16.7%→3.8%)
? 現在生活の充実感: あり(1974年58.1%→67.0%),なし(38.4%→29.6%)
? 生活程度: 中の中(1958年37.0%→56.1%),下(17.0%→6.5%)
? 今後の生活見通し: 生活は同じようなもの(1978年43.0%→61.8%)
? 今後の生活の力点: レジャー・余暇(1973年20.2%→36.2%),耐久消費財(7.0%→6.7%)
? どちらを重視するか:心の豊かさ(1973年37.3%→60.7%),物の豊かさ(40.0%→27.4%)
? 生活にどちらを優先するか: 毎日を優先(1970年27.6%→56.4%),将来を優先(53.6%→26.9%)
このように,1950〜70年代の日本では,生活に充実感が得られない人々が多く,耐久消費財などの物の豊かさが重視され,貯蓄・投資によって将来に備えることが大切であると認識されていた。しかし,経済成長を遂げるにつれて,生活への充実感が溢れてきた。現在を楽しむことが優先され,教養・社会活動などに充実感を求める人々が増えている(図1-1参照)。成熟社会とは,物の豊かさが満たされた結果,それよりも心の豊かさを重視するようになった社会であるが,このことは,物の豊かさに価値がないという意味ではない。あくまで物の豊かさが満たされていること前提にして,今後は,心の豊かさを重視するということである。本能を満たすために必要な衣食住が満たされれば,自己実現という精神的な高次元の欲求に関心が移るが,これは物の豊かさが満たされ,その後に心の豊かさが求められることを反映している。
1.2 開発途上国における豊かさ
開発途上国は貧困の蔓延,マイナス成長,所得分配の不平等もあって,市民の関心は,経済的豊かさに集中し,環境保全には関心がないとされる。しかし,グローバル化に伴って,成熟社会へと向かい,心の豊かさを重視する傾向が1999年に朝日新聞社が実施した世論調査から窺われる。これは,日本,米国では全国を対象に,韓国,マレーシア,タイ,インドネシア,中国,インドでは首都,大都市を対象にした調査で,次のような回答結果が得られている【4】。
? 心の豊かさ重視:「経済的豊かさ」と「精神的豊かさ」のどちらを重視するか、という設問に対しては,全てのアジア諸国で精神を重視するとの回答が得られた(表1-1参照)。
? 所得分配の公平の重視:「生活水準に差のない社会」か「生活水準に差はあってもよいから,より豊かになるチャンスのある社会」かの選択では,差のない社会をタイ,マレーシア,日本が70%程度,インド,韓国も50%以上の人々が選択した。ただし,現代化を進める中国はチャンスがある社会を61%の人々が選んだ。
? 環境問題への関心の高まり:21世紀のアジアの深刻な問題として,人口急増,少子・高齢化,環境破壊,エネルギー不足,食糧不足,人権・民主主義の抑圧,軍事的緊張,民族・宗教対立,貧富の格差の拡大,エイズ・薬物などの社会問題,その他の11項目から3つを選択する設問では,インドの人々が人口急増を79%が,環境破壊を38%が選択した以外,他国では,環境破壊を第一の問題に選んだ人々が46〜62%に達した。
つまり,開発途上国でも,心の豊かさ,所得分配の公平,環境保全が重視されつつあり,南北で,環境問題が深刻化することは豊かさを損なうという共通認識が生まれた。1992年の地球サミットのリオ宣言によって,環境と開発を両立させるようなグローバル・パートナーシップが南北でともに合意されたのは,このような人間環境重視の流れがある。
2.南北の経済格差
2.1 南北区分
客観的に比較しやすい1人当たり所得を基準に各国を先進工業国と開発途上国とに区分し,貧困の問題を検討してみよう。UNDPの場合は,従来は,西欧,北米(米国,カナダ),日本,オーストラリア・ニュージーランド,東欧・旧ソ連を先進工業国に,残りを開発途上国に分類していたが,1999年には東欧・旧ソ連を先進工業国とは別個に分類するようになった。また,平均寿命,識字率,製造業比率などが特に低いバングラデシュ,ミャンマー,ラオス,エチオピアなどの低所得国を,後発開発途上国(LLDCs:Least Less Developed Countries)として,重点的に援助すべきであるとしている【6】。また,1999年からは,東欧・旧ソ連は,市場経済移行国(economies in transition)に分類するようになった。これの分類によれば,1999年の世界人口59.6億人の1人当たり所得は4884?であるが,先進工業国の所得は2万6147?,旧ソ連・東欧は2180?,開発途上国(先進工業国と旧ソ連・東欧以外)の所得は1222?となる。他方,人口は先進工業国8.5億人,旧ソ連・東欧4.8億人,開発途上国47.8億人であり,世界人口の80.1%が開発途上国に属することになる(表1-2参照)。
OECDの下のDACでは,加盟21カ国(1999年からはギリシャが加盟し22カ国)を先進工業国とし,それ以外の諸国を開発途上国とすることが多い。OECD原加盟国にはトルコがあり,その後1994年メキシコ,1995年チェコ,1996年ハンガリー,ポーランド,韓国が加盟した。他方,世界銀行では,1999年の1人当たりGNIを基準にして,低所得国を1人当たりGNI755?以下,中所得国を756〜9265?(下位中所得国:756〜2995?,上位中所得国:2995〜9265?),高所得国を9266?以上と区分している。そこで,この基準によれば,中所得以下が開発途上国となる【7】。しかし,東欧・旧ソ連,韓国,サウジアラビアは中所得国,アラブ首長国連邦,シンガポール,イスラエルは高所得国に分類されており,これらの国の分類が問題となる。また,基準所得も毎年のように若干変化している。
以上のように,先進工業国,開発途上国の分類は,機関,統計,年代によって若干の差異がある。そこで,本書では,東欧・旧ソ連など移行国は,開発途上国に含めないことを原則としつつ,1人当たり所得水準の低い諸国を「開発途上国」と呼称し,高所得の先進工業国と対比して分析を進めることにする。
2.2 所得格差
南北を人口,経済のうえで対比すると,大きな格差がある。例えば,2000年の人口は,低所得国は24.6億人,中所得国26.9億人であり,両者の合計で世界人口の85.0%を占めるが,両者のGNIは世界全体(31.3兆?)の20.2%に過ぎない反面,人口構成比で15.0%に過ぎない9億人の高所得国の人々が世界のGNIの79.2%に相当する25.0兆?を獲得している(図1-2参照)。そして,最終消費,輸出もGNIと同様に大きな南北格差を示している。また,高所得国の人々は,世界の政府支出の84.1%に相当する7.4兆?を費やし,エネルギーの50.5%を消費しており,開発途上国に比して,教育・衛生・医療・インフラなどの充実が進んでいることが窺われる。つまり,物の豊かさには,南北で著しく大きな格差が存在する。換言すれば,南北格差は,?開発途上国の膨大な人口,?開発途上国における低所得,?資源エネルギー利用の制約,の3点を反映しており,それが開発途上国の人々の人間環境を規定していると考えられる。
各国の2000年の1人当たりGNIは,日本の3万5620?に対して,タイ2000?,フィリピン1040?,中国840?など開発途上国は著しく低く,世界人口の80%以上の人々は,日本の所得の10%未満である(表1-2参照)。しかし,1965-1980年の年平均所得増加率は先進工業国2.9%,開発途上国3.7%で,1990-1999年は各々1.7%,3.3%に低下したが,南北の所得格差は,長期的には縮小傾向にある。しかし,格差縮小の速度は,開発途上国の間で異なり,南南格差が認められる (図1-3参照)。
ここで,1人当たりGNIの比較によっては,南北の経済格差を十分に示せない技術的な限界もある。この第一は,国民所得に計上されない経済活動が多いことである。女性・児童の家内無償労働,農家など個人経営体の非賃金雇用,自家消費はGNIに計上されない。価格・数量を把握できないアングラ経済として,密輸,闇取引,脱税,コミュニティの無償分与,贈与,屋台や露天商のような都市インフォーマル部門も把握が困難である。つまり,開発途上国では所得に計上されない経済活動の比重が先進工業国よりも高く,その分だけGNPが過小評価される。第二の限界は,各国の物価水準は異なり,購買力に大きな差異があることである。国ごとに物価水準に違いがあり,同じ1?相当の国内通貨で購入できる財貨サービスにも格差がある。そこで,国内通貨1単位で購入できる財貨サービスという購買力を基準にして1人当たりGNIを修正するのが,購買力平価換算である。例えば,日本の1998年の1人当たりGNPは3万2350?であるが,物価水準が高いために購買力平価換算では2万3592?に低下する。他方,物価水準の低い中国では750?から3779?へ大幅に上昇するなど,一般的に物価の安い開発途上国では,購買力を考慮しないGNIは過小評価される【11】。開発途上国では,購買平火力換算した1人当たりGNIは,そうでない1人当たりGNIよりも高くなる場合が多く,2000年の購買力平価換算した1人当たりGNIをy,1人当たりGNIをxとすれば,両者はy=26.08x0.69 という近似式であらわすことができる(図1-4参照)。そこで,世界銀行では,1985年基準価格の購買力平価換算によって,1日当たり1?未満の所得あるいは支出水準にある者を「極度貧困者」と定義している。1987年では,極度貧困者数は11.8億人,その地域人口に対する貧困率は28.3%に達し,1993年にも13.0億人,28.1%と改善は進まなかった【8】。しかし,1998年には東アジア(東南アジアを含む)で貧困者が減少し,貧困率は,南アジア40%,東アジア18%,中南米12%など世界全体で24%に低下した(表1-1参照)。
第三の限界は,所得と豊かさが矛盾する場合である。不健康な人々が据えれば,医療支出が増え,病院の所得が増える,肥満や成人病が心配になるとダイエット産業が儲かるなど,所得増加が健康と相反する場合がある。治安が悪く警備会社や防犯装置等のセキュリティ支出が増えればGNPは増加し,大量殺戮兵器などへの軍事支出が増加すると,有効需要の増加から所得が上昇する場合も多い。火力発電所からの電力供給が増え,生産が増加しても,煤煙,硫黄酸化物の増加から環境が悪化する場合もある。児童労働が強化され,生産が増加すればGNPが増えても,子供の就学する権利が侵される。つまり,所得向上は豊かさの増進と同義ではなく,所得分配・人間開発指標の改善,環境・人権・平和への配慮も豊かさ達成のために不可欠である。
2.3 所得分配の不公正
世界の所得分配をみると,過去30年間で,最下位20%の貧困層へのGDP分配率は2.3%から1.4%に縮小し,最上位20%の富裕層へのGDP分配率は70%から85%に上昇した。つまり,最上位富裕層と最下位貧困層の所得分配比は30対1から61対1へ悪化した。各国の所得分配率は,ラオス,日本では,下位20%貧困層が8%以上,最上位20%富裕層が40%以下と所得分配は平等といえるが,ブラジル,中国などは,各々の階層が3%未満,60%以上と不平等である(図1-5参照)。また,米国の所得分配は,フィリピンやタイと同様で,世界平均よりも不平等である【9】。つまり,国際的にも国内的にも,所得分配は不平等で,経済成長によって所得が向上しても是正されるとは限らない。さらに,一国内の所得分配は,都市と地方の間でも大きい。フィリピンの1991年センサスによれば,年間所得2万ペソ(約800?)の世帯は,全国平均で16.3%,都市では8.2%と少ない。しかし,地方では24.3%,最貧困のビコール(Bicol)地方では25.0%に達している。年間所得10万ペソ(4000?)以上の世帯は,全国平均の15.9%に対して,都市は25.8%,地方,ビコールは約6%と所得分配の地域格差は大きい(図1-6参照)。
所得分配については,とりあえず経済成長を目指し,次の段階で,分配の公平のための政策,すなわち所得再配分を実施することは理論的には可能である.しかし,財貨サービスへの需要は個人の嗜好,購買力,代替財の有無などに影響され,市場価格は個人の欲求を反映しているに過ぎない。また,需要は資本,資源,資産などストックの初期保有量によって影響を受けるから,ストックの分配が公正かどうか問題となる。つまり,初期値として,「持つもの」と「持たざるもの」があれば,保有ストックの格差が所得分配の公正の具体的基準に社会のメンバーが合意することは困難である。初期保有が公正なものといえない以上,能力に応じた所得分配が公正である保証はどこにもない【10】。そこで,所得分配の機会だけではなく,結果の平等も求めるならば,インフラ,土地なども含めて資産ストックにも配慮することが求められる。
3.南北の厚生格差
3.1 人間開発指標
乳幼児死亡率,低体重児出生率,妊産婦介護率,成人識字率,初等・中等・高等教育への就学率などは,開発の成果を具体化し,人間に体現している点で,物の豊かさと並んで心の豊かさにも結びつく。つまり,人間の本来持つ能力がどれくらい発揮されているかを示す人間開発の指標をとして,平均寿命,成人識字率,乳児死亡率(出生1000人当たりの0歳児死亡数),乳幼児死亡率(出生1000人当たりの5歳未満乳幼児死亡数),低体重時出生率,妊産婦死亡率などがあるが,これらの水準にはやはり大きな南北格差がある(図1-7参照)。
人間開発の指標の近年における推移であるが,大半の開発途上国にあって,改善されていることが確認できる。例えば,乳幼児死亡率は,1990年から2000年にかけて,日本は6から4に低下したが,開発途上国でも,タイで49から29に,メキシコ46から30に,インドネシアで91から48に大きく引き下げられている。インドも123から96,バングラデシュも144から82に低下しており,開発途上国全体では103から91に改善された。他方,ナイジェリア,パキスタンのように乳幼児死亡率が,依然として,100を越える開発途上国も残っており,LLDCsの乳幼児死亡率も181から161と最近10年間の改善は芳しくはない(図1-7参照)。また,平均寿命をみると,1970年から2000年の30年間で日本は72歳から81歳に伸びたが,メキシコは61歳から73歳に,タイも59歳から71歳に10歳以上伸張した。平均寿命の伸びは,インドネシア18歳,バングラデシュ15歳,インド14歳など低所得国の伸びは著しい。開発途上国全体ではこの10年間に53歳から62歳に長寿化したが,これは乳幼児死亡率の引き下げを大いに反映している(図1-8参照)。他方,LLDCsの平均寿命は,1970年43歳,2000年51歳と8歳伸びたものの,依然として60歳に遠く及ばず,長寿とはいえない状況にある。
ここで,1人当たり所得による豊かさの計測に比して,人間開発の指標,特に乳幼児死亡率に基づく豊かさの比較には,2つの利点がある。つまり,?数値の上で所得格差ほど大きくはなく,少数の豊かなものに影響される度合いが小さい,?保健・衛生などの開発の最終的成果であり,所得のような手段ではない,という点で,1人当たり所得よりも有益な豊かさの指標ともいえる。しかし,登録制度が不備な場合,地方の出産・死亡を把握するのは困難で,推計の信頼度は低い。つまり,所得のように市場評価され客観的に観測するとが難しいという問題が残っているのであって,単一の指標による豊かさの計測や豊かさの統合指標の作成は避けたほうが賢明である。
例えば,1980年から1995年にかけて,成人非識字率は,アフガニスタン,エチオピアで80%代から60%代へ,モザンビーク,パキスタンで70%代から60%代へ,ナイジェリア,中国,インド,インドネシアでも10%ポイント以上引き下げられている(図1-9参照)。このような成人非識字率の低下は,初等教育就学率が高まったことを反映している。ここで,1980年から1994-96年の約15年間について,就学年齢にかかわらない初等教育粗就学率は,100を越える開発途上国も少なくない(図1-10参照)。これは,就学年齢が過ぎた生徒が再入学したり,留年したりするためで,粗就学率の向上は必ずしも適正な就学が進んでいることを意味しない。しかし,初等教育を受ける機会が広まったのは事実であろう。また,統計データは限られているが,就学該当年に置ける適正な就学を反映する純就学率をみると,大半の開発途上国で高まっている(図1-11参照)。つまり,初等教育の適切な普及することで,成人非識字率が下がることは確かであろう。
実際,成人非識字率と初等教育粗就学率との間には,強い負の相関関係が見てとれる。留年,再入学のばらつきを除外するために,粗就学率が115を越える国,粗就学率が100〜115でも成人非識字率21%以上の国,粗就学率が80〜99で非識字率41%以上の国を除外して,開発途上国45カ国について相関関係を分析してみよう。すると,2000年の男女平均成人非識字率をy,1998年の初等教育粗就学率をxとして,y=−0.78x+93.38 (R2 =0.67)という近似式で関係を表すことができる(図1-12参照)。つまり,成人非識字率は初等教育就学率の高まりによって改善されるが,初等教育以外の要素も無視できないであろう。家庭・地域コミュニティの教育,宗教的学習などが識字率向上に寄与していると考えられる。
さらに,文化的社会的な男女の差を意味するジェンダーをふまえれば,厚生水準を平均としてみるのではなく,男女別に比較することが重要である。開発途上国の女子は非賃金雇用,家事労働,育児にあって重要な役割を担っており,これは農業,灌漑,上水道,教育,保健についても同じように活躍する場を与えられるべきことを意味している。しかし,実際には労働,教育,経営,財産の面で不当に女性の差別がなされ,社会開発の障害になっている。世界8.8億人の非識字成人の約3分の2が女性であり,1995-99年の女性の成人識字率は男性を100として開発途上国で81,後発開発途上国で70と低水準にある。これは女性の教育の粗就学率(就学該当年齢にかかわらず初等・中等教育に就学する者の就学該当年齢人口に対する比率)が低いことの反映である。男性に比して女性の教育機会は大幅に限られている。そこで,男性に比して,女性の所得は先進工業国で66.7,開発途上国で42.9と大幅に低く,就業についても専門職,管理職の比率は男性よりも遥かに低い。
3.2 南南格差
東アジア(東南アジアを含む)など高成長国に比較して,後発開発途上国の多いサブサハラのアフリカ,南アジアの人間啓発指標は低いが,特に女性の低さは際立っている。例えば,1980年に比して,成人識字率は男女とも大きく改善された。しかし,1995-99年に至っても女性の成人識字率は東アジアでは79%に達したものの,東アジア(東南アジアを含む)に比較して,サブサハラのアフリカ,南アジア,中東・北アフリカ43~53%で低い(表1-2参照)。これは所得水準の低い後発開発途上国が多いという経済要因だけからは説明できない。1人当たり所得は,南アジア,サブサハラのアフリカでは500?程度で低いが,中東・北アフリカは産油国でもあり,所得は2100?と東アジアの2倍近くも高い。つまり,所得水準が高くとも女性の識字率が著しく低い国があり,これにはイスラム,ビンズーなど宗教や歴史的背景に起因するジェンダーが影響している。財産権,教育について女性が不利な取り扱いを受けることも,ジェンダーの問題といえるが,これには南南格差も大きい。
4.共通だが差異ある責任
4.1 環境債務
貧困は,人間環境を悪化させる。焼畑,薪炭生産に伴って熱帯林が減少し,デット・サービスレシオ(輸出に対する対外債務返済の比率)が高くなり,不足する外貨を獲得するためにも熱帯林を伐採し,木材を輸出せざるをえない。また,貧困が蔓延していては,公害防止装置を設置することもできず,下水道や廃棄物処理施設など衛生インフラも未整備なままで,大気,水,土壌が汚染される。人口増加も,森林,土地,水など1人当たりの環境利用可能性を引き下げ,資源の収奪的利用,環境負荷を強める。そして,小作権もなく土地を保有しない土地なし労働者が多数堆積しており,彼らがフロンティアでの過酷な生活を厭わず,農地拡大し,それが熱帯林の伐採に結びついてしまう。さらに,貧困は,ジェンダーによる早婚,児童労働,子供に依存した老後保障などから,高い出生率をもたらし,環境への人口圧力を高める。
このように,貧困に起因する環境悪化は,開発途上国で重視され,経済発展によって貧困が解消に向かえば,環境保全の傾向が強まるとも考えられている。焼畑農家を製造業に雇用すれば,熱帯林減少への歯止めとなる。所得向上に伴い歳入が充実し,環境規制の採用,衛生インフラの整備が容易になり,加工組み立て,情報など付加価値の高い産業が発展すれば,エネルギー原単位を引き下げることができる。換言すれば,産業構造高度化が進めば,生産額が増加するほどはCO2排出量が増えない。そして,女性の社会進出による晩婚化,教育費増加,社会保障充実によって出生率が低下し,環境への人口圧力も低下する。したがって,経済発展を進める開発が,貧困に起因する環境悪化を食い止める傾向をもつといえる。
しかし,経済発展が進めば,エネルギー消費が増加し,CO2排出量も増える。すると,温室効果から地球温暖化が進んでしまう。IPCCの1991年評価報告書は,1985年に比して,1人当たりCO2排出量は先進工業国で1.5倍,開発途上国で2.3倍に上昇すると予測しているが,これは後者のエネルギー消費が急増するためである【12】。また,中国,フィリピンでは,石炭火力発電所をSOx(硫黄酸化物),NOx(窒素酸化物)の除去をしないままに増設し,メキシコでもSOxを取り除く触媒方式コンバーターを装着しない自動車が大半である【13】。そこで,エネルギー開発,モータリゼーションが,大気汚染,酸性雨の被害を拡大する。
しかし,1998年の低所得国のエネルギー消費は,石油換算すると11.8億?であるが,高所得国は各々47.6億?,107.3億?と4倍である(図1-2参照)。そこで,世界人口の40%を占める低所得国のCO2排出量(1997年)は世界の12%,25.3億?であるが,高所得国(人口15%)のCO2排出量は世界の46%の107.3億?に達している。オゾン層を破壊するフロンも主に米国,旧ソ連,日本が生産しており,OECD加盟国は1990年で,世界のSOx排出の40%,NOxの52%を占めていた【14】。こうして,先進工業国ではエネルギー大量消費,化学物質を多用する生産プロセス,大量消費が進み,有害物質や廃棄物も含め環境負荷を高めてきた。したがって,経済発展に伴って環境悪化が進む側面も強く,過去から経済発展を続けていた国は,環境負荷物質を累積させ,環境債務を負っているのである。
4.2 意図せざる環境保全
貧困ではあっても,環境保全に,意図しないかたちで結びつく場合もある。開発途上国の零細農家では,農業機械,化学肥料,農薬は普及しておらず,労働集約的技術のために,1世帯当たりのエネルギー消費も少ない。地域コミュニティで広く行われている家内工業は,繊維,衣類,雑貨の製造など少ないエネルギーで付加価値を高める労働集約的技術である。例えば,タイシルクの生産工程は,養蚕,カイコ繭からの糸繰り,捩れ糸を整形する糸紡ぎ,木枠への緯糸(よこいと)掛け,模様デザイン,緯糸の模様付け(紐で模様部分を縛るマットミー),経糸(たていと)の整形,色彩に応じた染色,糸の機織りへの装着,機織りと複雑な労働集約的な工程が続く。つまり,付加価値を資本やエネルギーではなく,労働力,技能によって高めているのであって,化石燃料消費,大気汚染など環境負荷は小さい。他方,都市でも露天商などインフォーマル部門の雇用比率が高く,乗用車の相乗りによって,民生・運輸のエネルギー消費水準も低い。都市の1日1人当たり家庭ゴミ排出量をみても,西欧の0.8-2.6?グラムに比して,インドは0.1-1.0?グラムと少なく,焼却容易な生ゴミの比率が高い。しかも,開発途上国の生ゴミは,トリ・ブタなど家禽・家畜の餌・飼料あるいは堆肥として活用され,金属・ガラスも回収・再利用されている【15】。バナナの葉や竹筒などの包装容器は,廃棄処理に際してもプラスチックとは異なり,有害物質の排出を伴わない。また,森林は,木材だけでなく,果実,葉など様々な森林産物を提供する。ヤシやチークの葉は,屋根を葺くのに使用され,ヤシの実ココナツは,ココナツ油に,殻は燃料に使用される。バナナの葉は包装に,シュロの葉もゴザの材料となる。再生の範囲にとどまる薪炭採取は,持続可能なアグロフォレストリーとなる。つまり,貧困のために,身近で安価な資源・労働力を活用する傾向が強く,意図したわけではなくとも,エネルギー消費や廃棄物が少ない。換言すれば,意図せざる環境保全が実現している側面がある。こうして,貧困と開発は,ともに環境悪化にも環境保全にも結びつくのであって,単純な二分法は当てはまらない(図1-9参照)。貧困に起因する環境悪化を開発によって緩和しつつ,意図せざる環境保全を維持しながら,開発によって生じる環境悪化を抑制する「持続可能な開発」が求められる。
4.3 21世紀の課題
(1)貧困解消
グローバルに豊かさを増進するためには,南北格差を是正する開発途上国の経済発展,地球的規模での環境保全が不可欠である。そこで,総合的な豊かさの指標が作成困難なことをふまえれば,南北格差是正を念頭において,具体的な開発と環境保全の目標を設定することが必要になる。実際,1996年にDACは,人間中心の開発,ローカル・オーナーシップ,グローバル化の中の統合,国際的パートナーシップを原則として,開発協力を進めるとした。そして,次のような「21世紀に向けて−開発協力の貢献」(Shaping the 21st Century: The Contribution of Development Co-operation)を定めた【16】。
1日当たり購買平価換算で1?以下あるいは年370?以下の所得あるいは支出しかできない極度貧困者が開発途上国人口の30%に達していた1995年に,社会開発サミットが開催され,た。そこで採択されたコペンハーゲン宣言では,極度貧困者を人口の15%まで低下させることが重要課題であるとされた。1996年の「21世紀に向けて」の貧困解消目標は,2015年までに極度貧困者を半減する,というものである。そこで,1990年の貧困率と1998年の貧困率とを比較し,その改善の情況をみると,サブサハラのアフリカ48%→46%,南アジア44%→40%,東アジア(東南アジアを含む)28%→14%,中南米17%→16%と差は大きいが,貧困解消が進んでいる【17】。しかし,東アジアは貧困率が急速に引き下げられた反面,後発開発途上国を多数抱えるサブサハラのアフリカ,南アジアにおける貧困率は依然として高い。つまり,貧困解消には地域格差あるいは南南格差への配慮も強く求められる。
他方,産業部門別のGDPをみると,開発途上国でも,農業よりも工業の構成比が高い「工業国」が多い。メキシコ,ブラジル,マレーシア,タイでは2000年の農業のGDP構成比は11%以下であり,カンボジア,バングラデシュといった後発開発途上国で,農業のGDP構成比が工業よりも遥かに高いのと対照的である。中所得国でも中国,タイ,マレーシアは製造業の構成比が30%を越えており,この水準は日本の22%を上回る(図1-4参照)。つまり,農業依存度が高い開発途上国は,労働生産性が低く,それが貧困を蔓延させている。したがって,開発途上国でも,製造業が興隆しており,極度貧困者,貧困率は「工業が育っていない」ことにのみ依存しているわけではない。
(2)社会開発
1990年の「世界子供サミット」では,2000年までに達成すべき具体的目標として,次の7つの具体的目標を掲げた。
? 乳幼児死亡率の3分の1引き下げ
? 妊産婦死亡率の半減
? 乳幼児の重・中度の栄養不良の半減
? すべて人が安全な飲料水アクセスできるようにする
? すべて人が安全衛生的な排泄物処理施設にアクセスできるようにする
? 初等教育の完全普及と子供の80%が初等教育を修了させ,成人非識字率を半減する
? 児童労働・武力紛争・性的虐待・拘禁・障害児など特に困難な状況にある子供の保護を強化する
同じく,1996年のDACの「21世紀に向かって」では,人間開発の指標を改善する社会開発を促進するとして,具体的に,次のような目標と達成期限を定めた。
? 2015年までに,初等教育就学率を100%とし,教育の機会を行き渡らせる。
? 2005年までに,初等・中等教育におけるジェンダー平等を達成する。
? 2015年までに,乳幼児死亡率を3分の2に,妊婦死亡率を4分の3に引き下げる。
? 2015年までに,衛生・健康サービスへのアクセスを保障する。
ここで,初等教育就学率が低い地域について,1990年と1998年の就学率を比較すると,サブサハラのアフリカ58%→61%,南アジア73%→78%,中東・北アフリカ79%→80%,中南米88%→93%と改善されている。同じく乳幼児死亡率(出生1000人当たりの0〜5歳の死亡数)も,サブサハラのアフリカ101人→92人,南アジア87人→75人,初等・中等教育の男子生徒に対する女子生徒の比率は,サブサハラのアフリカ82%→77%,中等・北アフリカ82→86%,南アジア75%→94%と改善されている【18】。しかし,就学率,ジェンダー,衛生・健康などの状況は次第に改善されているとはいっても,サブサハラのアフリカでは他の地域に比して際立った改善は見られなかった。つまり,人間開発指標の水準とその改善についても,地域差,南南格差の是正が求められる。
ここで,貧困と人間開発の関連を検討すると,貧困が蔓延していれば,低所得のため税収が集まらず,政府も衛生・医療,教育,運輸・通信,エネルギーに関するインフラを整備することができない。すると,人間開発の上でも,医療,健康,教育の面で能力を奪われている人々が増え,生産面でも熟連労働者が不足する。また,貧困では貯蓄が少なく,投資の資金を国内で賄うことも困難になる。貧困国の通貨の為替レートは過小評価され,資金流入も期待できない。つまり,雇用,人間開発,貯蓄,資本の制約から,生産は低迷し,所得は向上しない。換言すれば,貧困ゆえに貧困となる貧困の悪循環に陥ってしまう。したがって,豊かさを増進するためには,貧困を解消し,人間開発の指標を改善する社会開発が必要となる。
(3)環境保全
「21世紀に向けて」における環境保全の目標は,2005年までに,各国が持続可能な開発のための国家戦略を策定し,2015年までに,森林・魚・水・気候・土壌・生物多様性・オゾン層などの環境資源の損失を防止し,有害物質の累積を抑制すること、である。このように環境保全が,地球的規模の重要課題であるとの認識は,先進工業国の市民や開発途上国における都市の市民の間では十分に認識されている。
しかし,1972年のストックホルム「人間環境会議」では,先進工業国は公害問題もあって経済発展の歪みとして環境問題を認識していたのに対し,開発途上国は,貧困こそが環境への悪影響を引き起こすと主張していた。また,1991年6月,北京に中国,インド,フィリピン,タイ,マレーシア,インドネシア,ブラジル,メキシコ,ザイール(現コンゴ)など41ヶ国が参加し,「開発途上国環境大臣会議」を開催したが,ここでも先進工業国の責任が強く求められた。つまり,北京宣言が発せられ,先進工業国による長年の大量の排出物や自然破壊が環境問題を引き起こしたこと,環境悪化の責任は先進工業国が負うべきであることが主張された。1992年には,同じ開発途上国のグループが,クアラルンプール宣言を発し,地球サミットの歴史的意義を認め,環境悪化に取り組むためのグローバル・パートナーシップの必要性を認めている。しかし同時に,開発が全ての人々および全てのくにの基本的権利であり,アジェンダ21を実施するための先進工業国による資金と技術の移転を必要であると訴えた【19】。低・中所得国は,膨大な人口を抱えているにもかかわらず,エネルギー消費,CO2排出量では高所得国と同等で,1人当たりの環境負荷は先進工業国の人々よりも遥かに小さいのであり,開発途上国よりも先進工業国にあって,環境問題の取り組みが強化されるべきであるとの主張である。
しかし,環境問題の解決のためには,開発途上国と先進工業国との国際協力は不可欠で,先進工業国だけの対応には,限界がある。第一に,環境悪化の被害は地球的規模で発生し,いったん被害が発生したならば,修復は困難である。つまり,悪化した環境,発生した被害を回復することは,技術的障害があり,費用もがかかりすぎるうえに,短時間では無理である。第二に,環境問題の被害は,対策能力のない貧困者ほど深刻になるが,開発途上国で貧困が蔓延していることをふまえれば,開発途上国でも環境を保全することが必要である。特に,地球温暖化や砂漠化の影響は乾燥地や低地が多く,農業依存度の高い開発途上国で深刻である。実際,開発途上国の世論も都市インテリ層にあっては,環境対策を開発途上国が自ら進めるべきであると考えるようになっている。1999年の朝日新聞の世論調査によれば,「環境対策は先進工業国が負担すべきである」との回答が「環境対策は開発途上国も分担すべきである」との回答を上回ったのは,タイのバンコクとマレーシアのクアラルンプールにおいてであって,インド(デリー),韓国(ソウル),インドネシア(ジャカルタ)では,後者が前者を上回った(表1-3参照)。つまり,環境対策には,南北協力を進める必要があるとの合意は概ね得られている。人間環境を維持・改善するためには,環境保全も重要であって,このことは,開発途上国の都市の市民にも十分認識されている。
他方,開発途上国では環境を保全しようにも,資金・技術が不足しており,応能原則からいっても自ら対策を実施することは妥当ではない。また,先進工業国は,過去に環境配慮が不十分であり,CO2の大量排出,森林の伐採,廃棄物の投棄を続けてきた。そして,相対的に高い環境負荷を過去から長期間にわたって地球に与え,環境悪化という代償を払って開発を進めたのであって,環境債務を負っている。したがって,環境債務を返済するためには,開発途上国への環境協力は義務でもある。換言すれば,南北格差をふまえると,貧困解消,社会開発,所得分配の公正を達成も不可欠であり,世界全体が開発と環境の両立を図り,人間環境を維持・改善するような持続可能な開発(Sustainable Development)を進めることが課題となってくる。
5.結語
持続可能な開発の概念は,1987年の「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)の報告書「われら共有の未来」以降,一般に広まった。もともとは,「将来世代のニーズを危うくすることなく,現在世代のニーズを充足すること」と定義されたが,1992年の地球サミットの「環境と開発に関するリオ宣言」(リオ宣言)では,先進工業国と開発途上国がともに,人間が持続可能な開発の概念の中心に位置し,その実現を目指すことが謳われた。そして,主権の尊重と管轄地域外の環境を破壊しない義務,開発の権利と世代間の公平,参加型の開発と環境管理,情報公開,予防原則,汚染者負担の原則,平和・人権,国際協力に配慮することをあわせて求めている。つまり,持続可能な開発について,先進工業国と開発途上国は「共通だが差異のある責任」を負っているが,開発途上国における貧困解消,経済発展に配慮しつつ,環境保全を進めることが重要である。
ここで,社会開発は,人間の所得,能力,厚生水準の改善を目的とし,持続可能な開発は,世代間の公平に配慮して,経済発展と環境保全の両立を目指す。そこで,持続可能な開発ではあっても,社会開発には含まれない分野も多くなる。開発分野としては,大規模な波力発電所建設,廃棄物のリサイクル促進,環境税の導入などは持続可能な開発に資するが,人間のもつ能力向上や厚生水準の引き上げには,直接は結びつかない。環境分野として,政府,大企業が行う環境保全投資,エコビジネスなども,人間に直接結びつく度合いは小さい。他方,直接投資は,開発途上国での現地労働者の技能向上を通して,福祉向上につながる。社会開発による教育水準の向上も,環境教育を通じて,環境保全に寄与する。つまり,人間環境に対する多方面の影響を考察すれば,持続可能な開発と社会開発とは,共通点が多いはずである。したがって,従来まで別個に扱われてきた社会開発と持続可能な開発の関係を解き明かし,人間環境を充実する接点を見つけ出し,社会開発と環境保全とを同時に進めることが要求される。そして,この社会開発と持続可能な開発の共通点は,個人経営体と地域コミュニティにある,というのが,筆者の考えである。
第1章注
【1】国民生活世論調査は,内閣府大臣官房政府広報室編『月刊 世論調査』平成14(2002)年11月号参照。
【2】人間環境の定義に関しては,拙著(2002)第1章を継承している。
【3】総理府広報室編『月刊 世論調査』平成12(2000)年8月号参照。
【4】アジアの世論調査は,『朝日総究リポート』第141号参照。
【5】正義,倫理については,各種国語辞典をまとめた。
【6】分類基準となる所得ラインは,年々変化する。また,1999年以前は, GNI(Gross National Income)ではなくGNPが使用されている。OECDは1960年に結成されたが,日本(1964年),オーストラリア(1971年)なども加盟は遅れた。そして,OECD加盟国のギリシャ,ポルトガル,トルコは中所得開発途上国として,それ以外の加盟国を「市場経済工業国」としていた時期もある(World Bank(1984)ix)。つまり,グローバル化,南南格差,社会主義国の市場経済への移行に伴って,南北区分は実状に合わなくなりつつあるが,社会開発と環境問題とを考えるにあたっては,「開発途上国」の分類が有用で分かりやすい。
【7】UNDP(1997),同(2000)の分類を参照。また,ここでは先進工業国に,チェコ,ブルガリアなど東欧,さらにカザフスタン,キルギスタン,エストニアなど旧ソ連も含んでいる。国連の統計には,先進工業国を北米(米国,カナダ),欧州,オーストラリア,ニュージーランド,イスラエル,日本,南アフリカ共和国とし,それ以外を開発途上国としている。
【8】1人1日当たり1?という分かりやすい貧困ラインは,購買力平価換算によって,1993年以来,引き継がれている(World Bank(2000))。
【9】所得低下はUNDP(1996)pp.2-3,12-15,所得分配はWorld Bank(2000)table2.8参照。
【10】所得比較の限界は,鳥飼(1998)pp.5-10,所得分配とその公正基準については,石川(1991)参照。
【11】購買力平価のGNP,所得分配率はWorld Bank(2000)table 1参照。
【12】1992年の地球サミットの意義は,Glasbergen and Blowers(1995)pp.101,126-128,http://www.un.org/geninfo/bp/enviro.html参照。温室効果ガス排出は,http://www.unep.ch/submenu/infokit/fact03.htm 参照。
【13】UNEPは1980-84年に75都市(25都市は開発途上国)の大気を測定し,世界中で9億人が不健康な大気の中で暮らしていると推計している(Tolba(1992)pp.4-6参照)。
【14】CFC-11,CFC-12は太陽放射を吸収しやすく,大気中の耐用年数も各々75年,110年と長いため,CO2を1とした20年間のGWP(Global Warming Potential)は各々4500,7100となる(Chiras(1998)p.397,IPCC(1992)pp.71-72,O'Riordan(1995)p.118参照)。SOx,フロンはTolba(1992)pp.2-3,http://www.un/org/esa/sustdev/agreed.htm参照。
【15】開発途上国の廃棄物処理は,Cairncross and Feachem (1993)参照。
【16】DACの開発協力目標は,OECD(1997)pp.4-21,World Bank(2000)pp.8-9参照。
【17】「21世紀に向けて」の成果は,World Bank(2000)pp.4-9参照。
【18】地域別の就学率の改善は,UNDP(2000),World Bank(2000)pp.4-9参照。
【19】地球環境法研究会編(1999)pp.68-75参照。